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2010/09/27 (月) カテゴリー: XBOX

『HALO: Reach』のエンディングロールが全て流れ終わった後、居ても立ってもいられなくなって、押し入れから『HALO』の一作目を引っ張り出し、それをReachのディスクと入れ替えに360本体に押し込んでいた。同じ気持ちになった人も多かった筈だ。
俺ことスパルタン・ノーブルシックスがバトンを託した物語の続き。
コルタナとスパルタン最後の生き残りを乗せた戦艦オータムは、あの宇宙に浮かぶ指輪のような環状惑星ヘイローへと向かう。
もっとも8年前、初めてこの一作目のイントロダクションに立ち会ったときは、ここに至るまでの重たい歴史や展開など知る由もなかった。まぁ当たり前のことだけど。

この栄えある初代HALOが発売された当時、日本国内でのXBOXはタマ不足に喘いでいた。
期待していた海外ゲームは、せいぜいEAのスポーツもの程度。後は『斬・歌舞伎』だの、『マジデスファイト』だの、『メタルダンジョン』だの、ドリキャス市場から逃げてきたハンパなギャルゲーだのと、国産ゲームのダメなとこの吹き溜まりのような有様。
そりゃ『ジェットセットラジオフューチャー』や『サイレントヒル2』など、面白いゲームも確かに在りはしたが、それってみんな焼き直しか移植だし!
そこに鮮烈に登場した『HALO』は、まさにXBOXユーザーの救世主であったのだ。

とは言え、手放しで諸手を挙げて歓迎したわけではない。その頃の俺は、まだ家庭用機で(コントローラーで)FPSを遊ぶことに対して非常に懐疑的だった。
ニンテンドウ64にはゴールデンアイのような傑作FPSがあったけど、それでも64コントローラーでの操作は、マウスとキーボードに慣れた人間からしたら不自由極まりないものだった。
しかしHALOは違った。それは絶妙な照準アシストや、XBOXコントローラーに搭載されたアナログスティックの優秀さによるものが大きかったのだろうけど、とにかく手に馴染んで取り回しも自在なHALOの操作性は、「マウスじゃなきゃFPSなんて遊べねえよ」なんて固定概念を覆すには充分過ぎるくらいだった。
それどころか、マウスには無いトリガーを引いた確かな手応えがある。照準は、そりゃ確かにマウスに比べれば不自由だけど、これくらいの不自由さがあったほうが、むしろ銃器を取り回しているような気分になれるじゃないか。
こうなると、むしろマウスでの照準が、ただの味気ないカーソル合わせに思えてきてしまう。

シールドという概念。ヘッドショットの重要性。そして個性豊かな武器やビークルの数々。そんな独自性も、HALOの魅力に確かな厚みを加えていた。
今ではプラズマガンやニードラーなんて勝手知ったる武器だが、当時初めてこれらの武器を拾い上げたときの、おっかなびっくりした感覚は今でも印象に残っている。
そして怖々ニードーラーを使ってみて、「何、この訳の分かんない武器!?」と慌てて捨ててしまったりもしたっけ。

後々にマスターチーフ以上の名物となるこのおっさんも、一作目の時点ではまだ名もない”他よりちょっと目立つ死にキャラ”程度の扱い。
後々の作品でこのおっさんに再び出くわし、「何でお前生きてんの?」と思わず声を荒げた人も多いだろう。
前半のコブナント陣営との分かり易い対決の構図から一転。ヘイロー内部に突入すると、コブナントが自軍とは明らかに違う敵たちと交戦した痕跡を目の当たりにして行き、徐々にホラー的な雰囲気を増していく中、ついに恐怖のフラッドさんたち登場という、サスペンスフルな流れも印象深い。
あ、それと、フラッド登場を機に、いきなりシリアスサムライクになってしまう、ちょっといびつなゲームバランスも。

でも、何よりも一番鮮烈だったのは、初めてヘイローに降り立った時(まぁ降り立ったと言うか、墜落したわけだが)に目の当たりにした、ヘイローの風景のあまりの美しさ。
息を呑むグラフィックとは、まさにこの事だったろう。当時の家庭用機ゲームの常識を覆す、圧倒的なグラフィック美が、そこにはあったのだ。
「コブナントの降下艇が接近」
そんなコルタナの警告にも耳を貸さず、しばらくの間ぼーっとしながら、あちこちの景色に見とれてしまっていたっけ。
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