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2015/08/08 (土) カテゴリー: PS1

怪談師、それはヤクザとよく似ている。
因果な話に他人を無理矢理巻き込んだあと、それを否定したり鼻で笑ったりする人に、「霊をバカにすると何が起こってもしりませんよ」などと、脅迫じみた捨てぜりふを浴びせたりする、なかなかにたちの悪い連中だ。
世の中にはそんな因果話を、わざわざ自分からカネを払って聴きにいく奇特な人たちもあったりするもんで、そんな怪談師と奇特な人の共生関係を当て込んだ商品が、今日も巷にあふれている。

この手の商品が主に展開する先は本やDVDだが、ゲームも昔から地味に怪談ビジネスの草刈り場だったりする。
特にまだDVDが普及していなかった90年代においては、セル展開を不得手とするVHSビデオに代わって、ゲームソフトという手段が度々利用されていた。
そのクラシックとも言えるPCエンジンの『百物語 ~ほんとにあった怖い話~』に始まり、ゲームの分野においても怪談ジャンルの絶対的エースは、やはり稲川純二なのであった。

そして初代プレイステーションにも稲川の恐怖が襲来。
プレイヤーが迷い込むのは、稲川純二がホストを務める恐怖の屋敷。
最後まで稲川の語りを聴くか、あるいはプレステの電源ボタンをぷちっと押さない限り帰らせてもらえない、なんとも因果な館である。
ゲームにおける恐怖語りのフォーマットとして一般的なのは、いわゆるサウンドノベルの形式。
前述の『百物語 ~ほんとにあった怖い話~』や、その後継作であるサターンの『古伝降霊術 百物語 ~ほんとにあった怖い話~』など、実話風怪談をテーマにした作品でも、その形態を採るものは多い。

しかし『稲川淳二 恐怖の屋敷』は、そんなまどろっこしいやり方を踏襲していては、せっかくの生稲川がもったいないとばかりに、稲川の生語りにすべてを任せて、その映像をただ垂れ流す手法に敢然と打って出たのであった。
「そんなの稲川のビデオ借りてくりゃいいだけじゃん!」とか、「ゲームの存在意義は!?」なんて疑問なんか知ったこっちゃないとばかりに。
プレイヤーができることは、陰鬱な稲川の顔を拝みながら、ただその語りに耳を傾けるだけ。
その肝心の語りボイスは、音割れしまくるプアー極まりない音質で臨場感もへったくれもあったもんじゃなく、「なんでこういうとこに気を遣わないのかなあ……」なんてやりきれなさが、話の怖さをすっぽり覆い隠してしまうだろう。

せめてもの変化球とばかりに挟まれたテキストパートも、分岐もマルチエンディングもなしにただ読み進めるだけの、文字通りのサウンドノベルだったりするから徹底している。
我々の語る怪談に聞き手の貴様らが意思を挟む余地はない。そう言い切っているかのようだ。
ひと通り稲川の話を聴き終わったあとは、「お前、まさか寝てないだろうな?」と確認するかのように、霊の世界をご理解いただけましたか?と、唐突かつ慇懃無礼なクエスチョン。
はいを選ぶと稲川ご満悦。いいえを選ぶと霊をタテに恫喝されると、どっちに転んでもロクなことはない選択肢だ。
結局プレイヤーに残るのは、なんでプレステでわざわざ稲川をという不条理な思いだけなのであった。
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