- 【Forza Horizon 4】クリスティーン [2020/06/01]
- 【Everspace】輪廻のぼっち宇宙旅 [2020/06/04]
- 【ゲームギア】非ゲーム機的ゲーム機 [2020/06/07]
- 【Tyler: Model 005】ちびロボのささやかな冒険 [2020/06/09]
- 【de Blob】ブロブ カラフルなきぼう [2020/06/12]
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小説や映画などの創作物によって車に特定のイメージが植え付けられる例がままある。
オレの場合、ダッジ・チャレンジャーR/Tを見ると、もうバリケードに突っ込む未来しか想像できなくなるし、トヨタ2000GTはブロークンな日本語をしゃべる男が悪質なブロックを駆使してトップを堅持する車だ。
その最たる例がスプリンター・トレノ。もうあれを見てなんとかとうふ店をイメージしない人のほうが稀であろう。

それでも良いイメージならまだいい。よりによって禍々しい印象を残されてしまったらどうなるか。
大胆なテールフィンが特徴的なプリムス(プリマス)・フューリーは、アメリカ自動車産業のもっともハッピーな時代を体現したようなモデル。
そのままであれば、自動車産業ゴールデンエイジを象徴する一台として同時代を生きた人々の記憶にぼんやりと残り、一部のマニアたちだけに長く愛でられる車で終わっていただろう。
そう、スティーブン・キングという名の男がそれを主人公に小説を書き上げて、ジョン・カーペンターが映画化するまでは。

キングがなんと言おうが、オレはキング原作小説の映画化作品は「地獄のデビル・トラック」以外どれもほぼほぼ大好きだ。
中でも「クリスティーン」はキング原作映画としても、ジョン・カーペンターのフィルモグラフィーにおいても飛び切りの存在だ。
そりゃあキング自身やそのファンが、この映画版に対してもどかしさを抱くこともよく分かる。
だけどあの長大かつ執拗な小説を2時間弱の尺に収めるのはハナっから無理があるわけで、映画は原作の長きに渡っての怨念が封じ込まれた邪悪な車を、性悪でサイコパスな人格を持った車に置き換えて、気弱な青年と優等生の友人、そしてハイスクールきっての高嶺の花との四角関係を描く青春ストーリーへと生まれ変わらせた。
ジョージ・サラグッド&ザ・デストロイヤーズの"Bad to the Bone"と共に生産ラインに上がってきた58年型プリムス・フューリー、通称クリスティーンは生まれながらにして我がままで執念深くタチの悪い女だ。
ほんの気まぐれで工場員の手を潰し、車内に葉巻の灰を落とした男をさっそく死に至らしめた。
その性悪は紆余曲折を経て、年上のヤバい女としてハイスクールのいじめられっ子アーニーの前に現れる。

クリスティーンが喜怒哀楽を表現する手段はカーラジオ。もっともそのラジオの時間は彼女にとっての黄金の時間、50年代で止まっている。
流れる曲は映画の時代設定である70年代末ですら、すでにオールディーズと呼ばれていた古いロックンロールばかりだ。
車の中での恋人との時間の背後で鳴り響いていたカーラジオの思い出は尊い。「クリスティーン」はそんなカーラジオの映画でもある。

『Forza Horizon』シリーズにはゲーム内ラジオ局がいくつかあり、それぞれの専任DJが曲と共にゲームに絡めたトークも交えてくれるのだが、さすがに収録曲の少なさがネックになり、オレはもっぱらSpotifyをバックグラウンドで流してカーラジオ代わりにしている。
ジョン・カーペンターは自ら映画のスコアを書くことでも知られ、Spotifyにはカーペンターの手による「クリスティーン」のサウンドトラックもあるのだが、ここで流したいのはやはりクリスティーンのカーラジオから流れていた劇中歌の方だ。

『Forza Horizon 4』でプリムス・フューリーを乗り回すときに常にセットになるのは、これら劇中歌を収めたプレイリスト。
ドライブインシアターでクリスティーンがヒロインの殺害を目論んだときにラジオから勝手に流れたロバート&ジョニーの"We Belong Together"「♪あなた(あの人)は永遠に私だけのもの」
クリスティーンを傷つけた不良の一人に復讐する際に、戯れのように鳴っていたサーストン・ハリスの"Little Bitty Pretty One"。
アーニーの死にレクエイムのように響かせていたジョニー・エースの"Pledging My Love"「♪すべてを捧げて永遠にあなたを愛す」
クリスティーンの激情の発露だったリトル・リチャードの"Keep a Knockin'"にラリー・ウィリアムスの"Bony Moronie"。
まるでクリスティーンの断末魔のように聴こえたダニー&ザ・ジュニアーズの"Rock And Roll Here To Stay"。
そしてなにより彼女のテーマ曲であるかのようだったバディ・ホリー&ザ・クリケッツの"Not Fade Away"「♪あたしの愛はキャデラックよりも大きいわ」
カーラジオから流れていた曲ではないけれど、もちろんジョージ・サラグッドの"Bad the the Bone"も。
これらの曲をぶち込んだSpotifyプレイリストと共にプリムス・フューリー(マイナンバーはもちろんCQB241)を走らせていると、気弱なアーニーを劇変させたクリスティーンの無音の囁きが聞こえてこないかと妙な期待をしてしまう。
少なくともこの組み合わせで走っている間は、ポルシェもフェラーリも無粋な脇役。世界はオレとクリスティーンの二人だけのものだ。

不良たちにめちゃくちゃに壊されたクリスティーンが、めきめきと金属を軋ませながら自己修復するシーンは、あの映画のハイライトの一つ。
『Forza Horizon』でフォトモードに入ると、現状の車についた傷を修復させるかどうかの選択が出てくるが、オレはあれを見るたびにいつも「クリスティーン」の例のシーンを思い出す。
どうやら自己修復は『Horizon』に出てくるあらゆる車に備わった超常的な能力。
だが数多の車の中でも、ボロボロの車体が一瞬でぴかぴかの新車同様になる姿が似合うのは、なんと言ったってプリムス・フューリーをおいて他にはないのだ。
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2020/06/01 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
記憶喪失状態を告げる簡素なオープニングと共に戦闘機一機で放り出された広大な宇宙。機に搭載されているAIはオタク気質の皮肉屋。なんて気の乗らない相棒!
しかし記憶がないとは言っても、この宇宙戦闘機の乗り心地や操縦の手応えには、なんとも懐かしい覚えがある。
目印となるランドマークは遠い星ばかりで、いくら全速ブーストを利かせてもちっとも得られないスピード感。
そして重力や地面の概念がないから、ちょっと縦軸に方向転換すると上も下も右も左もすぐ分からなくなる方向感覚。ってか宇宙にそもそも上下左右なんてない。

スペースコンバットは宇宙空間を舞台にしたコクピット視点の疑似3Dシューティング。ATARIの『Star Raiders』を始め。『ウイングコマンダー』に『Star Wars: X-Wing』、ナムコの『スターラスター』などの名作を生み出し一世を風靡したジャンル。
もちろんその潮流は途絶えてしまったわけではなく、メインストリームからは後退したものの、モダナイズされながらそれなりに脈々と系譜を保っている。
とは言えオレがこのジャンルをプレイするのは、かなり久しぶりだ。Xbox 360で出ていた『PROJECT SYLPHEED』やリメイク版の『Star Raiders』あたりが最後かもしれない。

まあかなりブランクが空いてはいるが腕に多少の覚えはある。
そう言い聞かせてなんの情報もない宇宙空間に飛び出し、中立勢力らしき戦闘機の間を縫ってなんとなく宇宙戦闘艦らしいものに近づき、とりあえず目の前にあった物資コンテナに接触したら猛り狂った中立戦闘機たちに袋叩きにされて、あっという間に宇宙の藻屑となった。すいません、もしかしてオレいま泥棒しちゃいました?
しかしいくら不埒な行動をとったにせよ、そしていくら複数機が相手にせよ、こうまで早々とゲームオーバーにさせられてしまうのは、いくらなんでもハードコアなゲームバランスすぎる。

釈然としないオレの前に現れたのは機体のパワーアップ画面。
さっき(意図せず)かっぱらったのは幾ばくもないクレジットだが、それでもわずかながらも機体の性能値を上昇させられる。
そう、この『Everspace』は死ぬこと前提。死んだらそれまでに入手したクレジットで機体をパワーアップさせ、そしてまた一から宇宙の深部とその先のストーリーを目指す、スペースコンバットにローグライクを折衷したゲームなのであった。

そうと分かれば気が楽だ。
プレイヤースキルの向上なんて曖昧なものだけでなく、一回の行脚で機体のレベルアップの蓄積を見込めるとなればゲームオーバーのし甲斐もあるものだ(もちろんレベルアップ分のクレジットを獲得できないケースも、ままあったりはするが)。
機体の速度や耐久力などのベーシックなものから機体各部の損傷確率や修理コスト、探索能力など、パワーアップできる能力値は細部にまで及ぶ。

汎用機に偵察機、ガンシップと機体も複数に及ぶ。機体の能力を最大値にまで高めるのは気が遠くなるような話なので、自然とレベルアップ画面とにらめっこしながら、当面の自分好みのセッティングを突き詰めていくのがメイン作業となるだろう。
道中では獲得した資源によって装備をアップグレードさせたり、換装可能な新しい兵器も手に入ることもあるが、これらはゲームオーバーの段階ですべて失われてしまう。
まあそれらは一期一会の存在。大丈夫、クレジットだけは確実にゲームオーバー後に持ち越され、戦闘機は一回死を迎えるたびに着実に強くなっていってるはずだから。

やっかいなのは星間移動の際に消費される燃料。
宇宙の先に進むためには必要不可欠な存在であるのだが、区分けされたステージはオブジェクトや敵の配置がランダム生成されるため、これを確実に手に入れられる保証はない。
最悪燃料がゼロでも星間移動は可能なのだが、機体に大きな損傷が生じる確率が跳ね上がる。
中間勢力はなかなか強いのでぶっちゃけ穏便に済ませたい相手なのだが、場合によっては燃料入手のために事を構えるのを覚悟しなければならない。

物資を交換してくれるトレーダーシップや支援を求める貨物船など、ランダムイベントもそれなりにあるが、行った先にそれがあるかは運次第。場合によってはなんも無かったなんてのも、この手のゲームではお約束だ。
機体がぼろぼろになり燃料もないなんて八方塞がりの状況では、「さっさとゲームオーバーになってお楽しみのレベルアップ画面になってくんねえかなあ」なんて本末転倒な感情も生まれてきたりもするが、そういうときに限ってしぶとく生き延び続けるのも、これまたお約束。

過去に遊んだスペースコンバットゲームは、僚機や仲間たちにかなり恵まれていたような記憶もあるが、『Everspace』の旅路はとことん孤独。
ひとりぼっちな自分に頼りなさを覚えながらも、再出撃を重ねるたびに自機もプレイスキルも少しずつ少しずつ上昇し、一回の出撃(からゲームオーバーに至るまで)の時間も徐々に長くなる。
蓄積のまた蓄積のその繰り返しの果てに、前回より先、さらにその先と辿り着く宙域もどんどん伸びてゆく。

Xbox版は国内ストア未配信(SwitchとPS4には国内版あり)のこのゲーム、地味ながらも中毒性が高くて面白い。
廃宇宙船に小惑星、雷放電にブラックホール、出会うオブジェクトや自然現象も様々だ。
そんな美しいビジュアルの宇宙を漂いながら、このスペースコンバットとローグライクの思いがけない折衷のおかげで、宇宙の旅はぼっちが似合うことに改めて気付かされるのであった。
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2020/06/04 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
昭和生まれのゲームオタクは、もういいかげんパタパタと死に始めてもおかしくない年齢。
それを見越してか、取りっぱぐれの無いよう最後の集金とでも言うべきレトロハードのミニ版復刻商売が花盛りだが、そのラインナップに新たに加わろうとしているのが、セガ往年の携帯ハード、ゲームギア。
しかしこのハード、改めて携帯ゲーム機と言われると、なんかちょっともにょるものがある。思い返してみてもモバイル的な使い方をした記憶がまったくない。
これを書くにあたって家に残存するゲームギア本体を久しぶりに引っ張り出してみたのだが、本体のほぼ半分以上を占める電池スロットに改めてガクッと力が抜けた。
要求電池量単3電池6本。今でこそ百均ショップの存在でコストをあまり意識せずほいほい使えるようになっているが、当時の電池はまだそれなりに割高なもの。
それを6本も投入しての駆動時間は実質3時間に満たなかった。

これでオレは早々とゲームボーイのようなモバイル的な運用を諦め、メガドライブのアダプターを流用して家の中のコンセントが届く範囲限定ならどこでも持ち運べる半据え置きゲーム機の役割を新たに与えることとなった。と言うかそれ以外に扱いようがなかったからだ。
しかしそのポジションですらゲームギアにはツラいものがあった。
ゲームギアのソフトラインナップは、ソニックやアウトラン、スーパーモナコGPといったメガドライブタイトルをダウングレードしたようなタイトルがその中心。
だけどこれらを半据え置き機と化したゲームギアで遊ぶくらいなら、なにもメガドライブ版をプレイすればいいだけの話だ。
それ以外のゲームギアオリジナルタイトルとなると実に印象が薄い。
ちょっと面白かったのは『シャダム・クルセイダー ~遙かなる王国~』というRPGくらい。他となると、なんかダビスタの出来損ないみたいな競走馬育成ゲームをちょっと遊び込んだ覚えがあるが、それほど面白かったわけじゃない。
ゲームギアでしかプレイできないキラータイトルの不在は、このハードに最後までつきまとっていた致命的なウイークポイントであったと思う。
だがそれでゲームギアが押入れの肥やしになったかというと、まったくそんなことはなかった。
それはカラーと並ぶゲームギアのもう一つの目玉だった、別売りのTVチューナーパックで得られるテレビ受信機能。
このポータブルテレビ化によって、ゲームギアは我が家においてゲーム機の世代をまたぐ大延命を果たしたのであった。

このTVチューナーパック、ホントに重宝した。付随しているアンテナの感度は頼りないものだったが、外部アンテナ端子を使えば受信の問題はほぼほぼクリアできたし、なによりポータブルテレビがまだそれなりの値段がしていた時代、ほどほどの投資で家の中のどこにでも持ち運びできるテレビを得られた恩恵は大きかった。
これがもう一つ重宝したのは外部入力端子の存在だ。
コンポジットの変換アダプターさえあれば、ありとあらゆるビデオ機器のハンディモニターへと変身してくれる。
これはゲーム機器も同様で、今となってはアホな話だが、当時名古屋に2ヶ月だけ短期赴任しなければならなくなったとき、赴任先で新たにテレビを買うのが勿体ないので、ゲームギアwithTVチューナーパックに発売されたばかりのセガサターンを繋いで、とりあえず賄ったことがある。
なにしろ本来なら普通にテレビで遊ぶことを前提として造られているゲームを、あのちっちゃい画面を覗き込んでプレイしているわけだから、麻雀ゲームだと萬子の区別がまったくつかなかったり(手牌に入れば整理されるからまだなんとかなるが、積もってきた萬子は直感でどうにかするしかなかった)、ADVやSLGだとテキストが潰れてなに言ってんだかさっぱり分からなかったりと、弊害ばかりが多かったような気もするが、東京に帰るまでの辛抱だと意地で続けていた記憶がある。
おかげであの名作『ワールドアドバンスド大戦略 ~鋼鉄の戦風~』に対するオレの評価は、「ちっちゃい画面の中に文字みたいなものや何やらがたくさん蠢いているワケのわからないゲーム」という不幸なものに落ち着いてしまっているけど。
そんなこんなで純粋なゲーム機としての印象な極めて薄いのに、オレにとってはめちゃくちゃ馴染みがあってて思い入れが深い、なんともワケのわからないポジションにいるハード、ゲームギア(結局その必要性から3台も本体を買い換えてしまった)。
復刻ミニ機ビジネスに対して元々距離をおいているのもあるんだけど、今回のゲームギアミクロに対すして反応が「とりあえずはTVチューナー付けてこい。話はそれからだ」になってしまうのも、仕方のないことなのであった。
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2020/06/07 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
手のひらサイズの小さな小さなロボット。
丸っこい可愛らしい頭とボディ。しかも喋る。作った人間はきっと愛おしくて愛おしくて堪らなかったことだろう。
しかしロボットにだってネグレクト問題はある。
どんな理由があったかは知らないが、ロボットたちを作った科学者の家はいつしか家主不在となり、この小さなロボットたちもバッテリー切れを起こして長い眠りについていた。

長い月日の後、家を直撃した落雷によってタイラーという名のロボットの電源が偶然オンになる。
久方ぶりの目覚めだ。しかし長く空き家状態だった家には人の気配がまったくなく、浦島太郎どころの話ではない。
欠落していた時間を取り戻すため! …………なんてオーバーなものではないが、とにかく状況を把握するためには家の中を色々と調べなくっちゃならない。
だがタイラーは手のひらサイズ。椅子すら見上げるような彼にとって、その探索は家探しなんてレベルを遥かに超えた冒険となるのだった。

タイラーの動力源は光。しかし長らく誰も住んでいなかった家だ。灯りという灯りはみんな消えている。
ちなみに今かすかに満たされているバッテリーがなくなればゲームオーバー。再び雷が落ちるなんて偶然は期待するだけムダだろう。
自然とタイラーの当面の目標は、手近にあるランプを点けて回ることになる。
だけどランプってのは、たいていはテーブルとか棚の上とかに置かれているのが常だ。小さなタイラーにとっては、まずそこまで辿り着くのが一苦労。

試行錯誤しながらランプをひとつ、またひとつと点けるごとに広がってゆくタイラーの行動範囲。
頼りない小さなランプの光と言えど、タイラーにとってはまるで太陽のように頼もしい明かりだ。
薄暗い家の中が少しずつランプの暖かい光でほのかに満たされていくビジュアルには、なんとも言えない美しさがあって、このゲームの最大のチャームポイントとなっている。

だが家の中に生き物の気配がまったく無いわけではない。
クモ、ハチ、アリ、ゴキブリ。いずれもフレンドリーな連中ではないし、手のひらサイズのタイラーには、なかなか面倒くさい相手でもある。
そんな連中を蹴散らしてステータスアップを重ね、地下室からリビング、屋根裏に中庭と広がる冒険の舞台。

一方で純粋な3Dプラットフォーマーとしては、あまり洗練されてるとは言い難い。
補正の利かないジャンプアクションを始めとして、操作性のもどかしさはちょっと目に余るものがあり、人によってはこれで大幅に評価が下がるかもしれないが、しかし暖かみを帯びたライティングに代表されるビジュアルの美しさとタイラーのいじらしさ、そしてゲーム全体に漂う慎まやかな終末感には、それを補うだけのものがあった。
この無人の家に一体何があったのか。なぜ自分たちは放棄されたのか。それを探るタイラーの小さくもディープな冒険は、やがて時間を超える展開へと至るのであった。それもタイラーとこのゲームらしいささやかな規模で。
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2020/06/09 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
オレのトラウマ映画に「人喰いアメーバの恐怖2」というB級SFホラーがある。
俗に「マックィーンの絶対の危機」と呼ばれている作品の続編。まぁ内容は一緒だ。田舎町にスライム状の人食い生物が現れて大パニックを巻き起こす。

大人になった今なら鼻くそほじりながら笑って観るような映画だが、年の端もいかない子どもの頃に昼下がりのテレ東あたりでこれをうっかり観てしまったときのショックはハンパではなかった。
うにょうにょした不定形のゲル状物体に飲み込まれて悶え苦しみながら死ぬ。こんな死に様だけは絶対に嫌だと強烈なトラウマをまだ精通も始まっていないガキに刷り込んでくれた罪作りな映画である。

「マックィーンの絶対の危機」「人食いアメーバの恐怖2」そしてこれらのリメイクである「ブロブ/宇宙からの不明物体」。邦題はバラバラだがオリジナルで共通しているタイトルはBlob。
そんなオレのトラウマ生命体が、よりによってゲームの世界にやってきた。しかも主人公。
映画のブロブは何を考えてるのかわからない(恐らく何も考えていない)、ただ有機生命体をひたすら喰らい続けて膨張する原子生物だったが、このゲームのブロブは、……まぁこっちもあんまり何を考えてるのかよく分からないような生き物だ。

こっちの不定形生物ブロブの特徴は、その並外れた吸インク性。
そこらのインクに接触すればたちまちのうちにその色を吸収してしまう。もちろんゲル状物体+インクなので、やつが動いた航跡はその色が残ることになる。
そして建物やオブジェクトに触れればあっという間に対象を現在の色に範囲塗りつぶし。ペイントソフトの範囲塗りつぶし機能が明快にヒントになったであろうことを伺わせる。

それだけならただの迷惑な勝手にペンキ塗り野郎なのだが、しかしこの世界は下々の華やかな営みを嫌う(文字通りの)ブラック企業によって色という色をすべて奪われてしまっている。
カラフルであることが犯罪なこの世界でブロブの存在はローン革命家。
さあ、白と黒しかない世界に、その類稀なる範囲塗りつぶし能力を駆使して、ブロブのカラフルを取り戻す革命闘争が始まった。
もっともブロブ自身は、そんな難しいことまったく考えていない。ただ本能の赴くままに色をつけて回るだけだ。

街ナカを彷徨うインクたちから色を吸収し、あたり一面無軌道に色をつけまくって辺りを一定量カラフルに染めたら次のエリアへ。
もっともただ染めるだけでは面白くない。取り込むインクは赤、青、黄色の三色が基本だが、赤と青を混ぜれば紫に、青と黄色を混ぜれば緑になる。
時間の許す限りなるべく色とりどりカラフルに街を染め上げよう。別にこれは強制されるわけではないが、遊んでいれば自然とそうしたくなるのが人情ならぬブロブ情というものだ。

ブロブはその名の通りぶにょぶにょした生き物だからして、その挙動にもゲル状生物らしい独特のクセがある。
全体の挙動はねっとり粘着気味。ジャンプの質感はぶにょーーーーんとした手応え。そしてジャンプした先の壁なんかでは、ねちょっとこびりついたりする。
3Dプラットフォーマーのキャラクターはきびきびとしたレスポンスであって欲しいと思うものだが、『ブロブ カラフルなきぼう』の場合は、この一般には敬遠されがちなクセの強い挙動が、その着色能力と相まって実に楽しく昇華されている。

指定着色やタイムトライアルなど各種ミッションも程よく差し挟まれ、またそれらの大半は任意なのでゲーム全体の軽快なテンポを損なうこともない。
なにより革命の烽火を色に置き換えて、そのカラフルな着色範囲がどんどん広がることで体制を追い詰めていく"着色革命"の流れが、ユーモアたっぷりの幕間ムービーを挟んでとても小気味好い。
あいつはブロブ。何を考えてるんだが分からないぶにょぶにょしたやつ。
だけど体制にとっては危険極まりない。その無自覚な着色能力と明るいなBGMで秩序を崩壊させる脳天気なゲバラみたいな存在だ。
本能の赴くままインクを撒き散らし、行くぞ着色革命!
(記事編集) https://bonkura360.blog.fc2.com/blog-entry-2916.html
2020/06/12 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |