- 【マジカルサウルスツアー 最新恐竜図解大辞典】 [2020/04/03]
- 【Dead Rising】ショッピングモールは永遠に [2020/04/04]
- 【Dead Rising】史上最悪のパパラッチ [2020/04/06]
- 【Dead Rising】麗しのホームセンター [2020/04/08]
- 【Dead Rising 2: Off The Record】再生産の再生産 [2020/04/10]
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PCエンジンのCDロムロムは、まだCD-ROMというメディアが海のものとも山のものともつかなかった1988年の時点で、CD-ROMシステムを標準搭載した非常に画期的なハードでした。
ただ当時のCD-ROM媒体のゲームは、絵がアニメーションするだとか、生ボイスを収録できるとか、ローディングが鬼のようにクソ長いとかの部分のみがその特徴として語られ、またスーパーCDロムロム以降のゲームは、実際にそれらをメリットとした作品ばかりになってしまいました。

この新しい媒体を使って、今までにない新しいことにチャレンジしようという試みは、CDロムロムが立ち上げ間もない頃の方が、むしろよっぽど盛んでした。
そもそもCDロムロムの斬り込み隊長にして、CD-ROMゲームソフトの草分け的存在である『No・Ri・Ko』にしてからが、ゲームとアイドルの本格的コラボレーションという斬新なものでしたし、やはり"世界初のCD-ROMマガジン"という触れ込みだった『ウルトラボックス』シリーズ(全5号)や、家庭用ゲーム機でできる本格的カラオケの元祖とも言える『ROMROMカラオケ』シリーズ、ゲームとアイドルオーディションの合体『みつばち学園』など、ゲームの枠に囚われないCD-ROMの使われ方が、CDロムロム初期には活発に模索されていたのです。

このCD-ROMでできることに対する様々なチャレンジは、90年代前半に狂い咲いたマルチメディアCD-ROMムーブメントへと自然に繋がって行くのですが、このPCエンジンCDロムロムソフト、『マジカルサウルスツアー 最新恐竜図解大辞典』は、そんなマルチメディアCD-ROMの元祖とも言える存在の一つです。
銀河万丈の重々しいナレーションから幕を開けるこのソフトは、100種類以上もの恐竜のデータや解説を収録した、言わば"動く恐竜大図鑑"。
後年のマルチメディアCD-ROMには、相当いい加減な体裁のものも多く見られましたが、先駆者であるこの『マジカルサウルスツアー』は、奇をてらわず丁寧に作られた、データベースソフトとしては完成度の高い作品となっています。

収録された画像や動画も、PCエンジンとしては非常に頑張ったレベルのものになっており、家庭用ゲーム機で本格的なデータベースソフトを実現させようという、作り手の意気込みが伺えます。
とは言っても、お堅い学習ソフトには偏らず、進行役にマスコットの恐竜(声は皆口裕子)を配したり、バラエティの項は、ちょっぴりくだけたトリビア集になっているなど、あくまでも楽しく読める恐竜図鑑という心配りだけは忘れていません。

エンディングは恐竜絶滅に関する様々な説に対する考察。
そして「種としての恐竜は確かに絶滅したが、しかし恐竜は我々の心の中で、今でも生き続けている」なんて、思わず「いねえよ!」なんてツッコミたくなるような一言で幕を閉じますが、しかしこんなベタなセリフでも、銀河万丈のナレーションで語られると、それなりに重々しさが出てくるから、実に不思議なものです。
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2020/04/03 | Comment (1) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
世界があっという間に非日常に包まれた。
オレ個人の周りで言うと、仕事がなくなったとか会社が飛びそうだとか色々とあるのだが、それらを差し置いて非常事態を感じさせるのが、近隣のショッピングモールがこの週末営業を休止してしまったことだ。
ショッピングモールのない日常。都内住みの人間にはピンと来ないかもしれないが、都下の田舎住まいのオレたちにとっては事実上ロックダウンを宣告されたようなもんである。
ショッピングモールに行けないとなると、オレたちはどこでボーッと時間を潰せばいいのだろうか。
きれいな山や川があるじゃないですかって? ふざけんなこの野郎! そんなもんで心が満たされるのはお前らだけだ!

そんなわけで開いているうちに諸々の用を足そうと金曜日にモールに行ってみたのだが、同じことを考えたやつらや暇を持て余した家族連れで平日にも関わらずごった返していて、なんかもう本末転倒な話になっていた。
しかしオレも同じ穴のムジナだ。矢も盾もたまらずここに押し寄せてきた人々の気持ちはよく分かる。
ショッピングモールはオレたちの心の拠り所であり、たったひとつの楽園だ。ここを訪れることのできない人生になんの意味があるだろう。
コロナならまだ自制があるが、ゾンビを発症したらもう本能の赴くままだ。たとえ休業していようが封鎖されていようが、オレは腐った身体をひきずってショッピングモールに押しかけ、「入れろこの野郎!」と正面入口で大騒ぎしていることだろう。

Xbox 360最初期のキラータイトル『デッドライジング』。
もう14年前のゲームだという事実に軽くのけぞるが、しかしその後ずるずると続く同シリーズの中で、オレにとってのベストはシステムもゲームバランスもいびつなこの一作目だ。
その理由は唯一つ、ショッピングモールが舞台だから。
2のカジノも3のなんだかよくわからない外国の街も、オレにとっては遠い世界のお話。しかしショッピングモールは日常だ。

遥か14年前にクリアしたこのゲームのXbox One版を、ここで改めて購入したのはセールだったってのも勿論あるが、心が自然と人で溢れかえった日常の世界を求めたってのが大きいだろう。もっとも溢れかえっているのは人ではなくゾンビだが。
厳密には営業を放棄している状態だが、しかしこのウィラメッテショッピングモールは現在進行系でしっかりと息づいている。
理由なくなんとなく集まってきちゃった無数の人々は、巨大なショッピングモールを循環する血液だ。たとえゾンビを発症しようともその役割は変わらない。
そしてこの人が溢れかえる賑やかな様子は、いまの現状から見たら大きな希望の風景だったりする。

いびつなバランスや窮屈なタイムテーブルにめげず、オレは再びこのアメリカ中西部の片田舎にある巨大ショッピングモールを好き勝手に闊歩する。
フードコート、シネコン、本屋におもちゃ屋、スポーツ用品店、スポーツジムにスーパーマーケット、ここにはなんでも揃っている。
孤立することもない。世界から取り残されているなんて心配する必要もない。置き去りにされているのはここから外の世界だ。
ショッピングモールにいさえすれば、すべては万事うまくいく。ショッピングモールにできないことなどないのだから。
一度入ったからには、この際とことん居座ってやるぜ!
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2020/04/04 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
勧告を無視して封鎖地帯に勝手に入り込むマスコミ関係者。
今の時代だったらSNSとかで「こいつは徹底的に吊し上げていい」マークをべたべた貼り付けているようなものだが、『デッドライジング』の主人公フランク・ウェストに限って言えば、14年前から充分アンモラルであった。
報道写真とメディア倫理の関係は「ハゲワシと少女」の遥か以前から存在し、ジャーナリストであれば一度は真剣に向き合わざるを得ない問題であるが、フランク・ウェストはおそらくそんなもの一願だにもしなかったであろう。
たとえ「ハゲワシと少女」の写真を目にしたとしても、奴が吐きそうな言葉は「なんでこいつはワシがガキに喰いつくまでシャッターを待てなかったんだい? ヌルいな!」程度であることは容易に想像がつく。

2のチャック・グリーン、3のニック・ラモス、後のシリーズ作の主人公たちの設定は基本的に小善人だ。そしてそれは作品そのものの薄味に繋がっている。
4においてフランク・ウェストは正規にナンバリングタイトルの主人公復活を果たすが、あのフランクはフランク・ウェストのパロディみたいな存在。やはりフランクは1作めのとことんゲスなパパラッチ野郎に尽きる。

『デッドライジング』は周回プレイを前提としたゲームデザイン。プレイヤーは必然的にゲームのイントロダクションに何度もつきあわされるハメになる。
しかしこのイントロダクションが、古今東西のあらゆるゲームのそれの中でも、傑出したものであることだけは間違いない。
ヘリコプターから映る下界の風景は、これから起こる狂気の乱痴気騒ぎなど微塵も感じさせない、アメリカのどこにでもあるような、どうでもいい田舎町の遠景だ。
そのヘリコプターに乗り合わせるのは、ゲーム史上最低最悪の座に輝く主人公フランク・ウェスト。
そしてフランクは、ヘリが町の中心部に侵入するや否や、その最低最悪ぶりを、早々と全開で披露することになる。

抵抗虚しくゾンビに八つ裂きにされる男性を激写しては「ナイス!」
爆発炎上するガソリンスタンドをフィルムに収めては「パーフェクト!」
ゾンビの群れに追い詰められた女性が建物の屋上から転落死する瞬間をパチリとやっては「ファンタスティック!」
ゲームのプロローグ部分が一種のチュートリアル的な意味を兼ねているのならば、ここでプレイヤーたちは、このゲームの真の目的が、いかに他人の悲劇を面白おかしく写真に捉えることであるかを教えられる。
そしてプロローグ部分が、ゲーム主人公の自己紹介パートであるのならば、フランクはその行動で己のことを雄弁にこう語っている。「オレ、フランク・ウェスト。史上最悪のパパラッチ。みんな、よろしくな!」

この良識のかけらもないイントロダクションがあるからこそ、プレイヤーは以後、ウィラメッテ・ショッピングモールというこの世の地獄の中で最も不要なものがモラルであることを、早々と理解することができるのだ。
ここで起こるあらゆる悲劇も、喜劇も、生も死も、フランク・ウェストという史上最低野郎の、カメラマンとしての欲求を満たすための餌でしかない。
愛する人を失った悲しみや、そして人の断末魔にさえ、フランクはカメラのレンズを向けて、そしてにこやかにこう大声を上げるのだ。「ナイス!」と。
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2020/04/06 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
コロナウイルスによる諸々の事態を受けてアメリカでは銃砲店の駆け込み需要が高まっているなんて、盛っているんだかどうだか分かんないようなニュースを目にしたが、この現状に思わず抑止力を手にしたくなる気分は非常によく分かる。
かくいうオレも真っ先に手に入れに走ったのは自衛のための武器、チェーンソーであった。
事態がさらに悪化して暴徒やゾンビやレイダーやスーパーミュータントが跋扈するようになったら、立て籠もってこれで迎え撃つ気まんまんだ。
ゲームの主人公気取りのすっとこどっこいが「話し合おう!」なんて近寄ってきても聞く耳なんか持ちやしない。
「誰も信じねえ!」と叫びながら自慢のチェーンソーの生け贄にしてやる。かくして『デッドライジング』におけるサイコのいっちょう出来上がりである。

なんてわけはなくて、仕事がなくなって暇になったのを機会に、これまで手がつけられなくて荒れ放題になってしまった雑地をきれいにしようと買ってきたのだが、しかしいざこれを手にしたときに得られる「いつでも勝負してやるぜ!(誰と!?)」とばかりの自信と安心感は、チェーンソーが武器の類にカテゴライズされるブツであることを改めて思い知らされる。
アメリカ人の自衛精神の源が銃砲店ならば、日本人にとってのそれはやはりホームセンターだ。
チェーンソーを始めとして、草刈り機、長柄鎌、スコップ、ハンマー、ネイルガンが並ぶその風景からは、「武器庫」という文字が即座に連想される。
政府が一度はホームセンターを休止要請対象に入れようとしたのは、ここを足がかりとしての市民蜂起を恐れたからだと、なかば本気で思っているくらいだ。

『デッドライジング』においてもホームセンターは頼もしい。
自由行動ができるようになったとき、オレのフランクが真っ先に駆け込むのはノースプラザのホームセンターだ。
ほど近くにはアメリカ人の心の故郷、銃砲店もあって変なおっさんが立て籠もっているのだが、そっちはくれてやる。
日本人のオレが頼りにしたいのはやっぱりホームセンターだ。草刈鎌、ショベル、デッキブラシ、そしてチェーンソー。
それらの品々が並ぶ棚を見ているだけで、まるで母の胎内にいるかのような安心感に包まれる。

もちろん見ているだけじゃしょうがない。これは実用品だ、使わなくてなんになる。
スコップで側頭部をぱっかーん、デッキブラシで頭頂をすっこーん。実験台はそこらにいくらでもいる。
そしてなんてったってやっぱりチェーンソー!
『デッドライジング』には小型チェーンソーという、攻略には不可欠のチート気味な武器もあったりするのだが、そっちはいささか味気ない。

やっぱりホームセンターで手に入る、ぶるん!と一発エンジンかけてから使う、ちょっとばかり取り回しに苦労するチェーンソー、こいつに限る。
ここには頼りになる武器が山ほどある。他の場所はかまわねえが、ここだけは絶対人には渡さねえ!
もうブラッドもジェシーも信じねえ! オレのこの神聖な武器庫を侵すやつは、片っ端からチェンソーで血祭りに上げてやる!
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2020/04/08 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ウィラメッテショッピングモールでの乱痴気騒ぎから5年。
ゾンビの災禍はアメリカ全土にまで拡大(今どきに言うとオーバーシュート)し、そして世界は不安を抱えながらもなんとなくこの騒ぎと共存するフェーズに入っていた。
ゾンビもののシリーズとしては王道パターンだ。
ゲームに限らず、映画やドラマなどあらゆるエンタメジャンルは人気を博すとビジネスの事情から必然的に続編を要求される。
それらのシリーズは成功するものもあれば失敗するものもある。特にシリーズの3作目は鬼門だ。
これを乗り切ってナンバリングタイトルが4作目にまで至った『デッドライジング』などは、シリーズとしては優秀な方なのだろう。

どんなタイトルでもシリーズとしての礎を築くのは2作目。
舞台をコロラドのショッピングモールからネバダのカジノに移した『デッドライジング2』は、そういった意味では申し分のない続編なのかもしれない。
いびつだったゲームバランスに修正が施され、挙動や操作性も改良されて格段に遊びやすくなった。触れ込みの割には窮屈だったプレイヤーの自由裁量も大幅に広がり、合体武器など目を引く新要素もてんこ盛り。
そして何よりもゾンビのマシマシ大増量。続編としては充分すぎるくらいの進化を遂げている。

しかしどんなシリーズものも、その基本のコンセプトは1作目で完成完結してしまっている。システム的な部分を引き継がなければならないゲームの場合は特にそうだ。
初代の『デッドライジング』はゾンビを扱ったエンターテイメント作品として強烈すぎるくらい強烈だった。
無数のゾンビに囲まれたショッピングモール籠城、72時間のサバイブ、そしてゾンビより怖いのは人間のお約束。
ロメロの映画を観て育った身にとっては、これらをインタラクティブに体験できるだけでとてつもない幸せであった。

しかし2の舞台であるフォーチューンカジノを彷徨く無数のゾンビにあるのは、嬲り尽くせる大義とのろまさを兼ね備えた便利な人形としての側面ばかりだ。
プレイヤーが好き放題アンモラルに振る舞えるのは確かに『デッドライジング』のチャームポイントの一つだが、『デッドライジング2』以降の続編はその部分ばかりがひたすら拡大され再生産されていったような印象がある。
釘を打ち込んだバットでゾンビのなりをした入れ物をぽかぽか叩きまわる行為に、オレが真っ先に感じるのは惰性の二文字である。

これは2の主人公であるチャック・グリーンが、あまりにもキャラクター的にアクがなさすぎることにも起因するんじゃないかと思ったが、しかしフランク・ウエストが改めて主人公に起用された2の裏バージョンともいえるこの『デッドライジング2 オフ・ザ・レコード』でも、その印象は結局変わらずじまいだった。
それどころか2からほぼキャラだけを入れ替えただけの内容から受けるのは、再生産のさらなる再生産のイメージ。
4でより一層露わになる、フランク・ウエストのセルフパロディ化もこの『オフ・ザ・レコード』から顕在化しちゃっているのであった。
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2020/04/10 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |