- 【ねずみくす】今年の干支ゲー [2020/01/02]
- 【WWF ロイヤルランブル】1月の恒例行事 [2020/01/06]
- 【SSX(2012)】一代限りの新世代SSX [2020/01/08]
- 【スティープ・スロープ・スライダーズ】サターンの秀作スノボゲー [2020/01/10]
- 【DOOM(2016)】デジタル暴力世界の盟主 [2020/01/14]
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あけましておめでとうございます。
2020年は子年。実は干支にちなんだゲームを取り上げた記事の第一回も子年だったりして、恒例の干支ゲーもいよいよ十二支を一回りしてしまいました。まぁなんて私、進歩ないんでしょうか。
ひとくちにねずみと言っても、浦安のあたりにいるあいつとか、セガの青くてバカっ速いやつとか色々いますけど、古くからのXboxユーザーにとっては、ねずみときたらあいつらしかいないわけでして、今年の干支ゲー、満を持して『ねずみくす』の登場です。

いまの日本市場にいるんだかいないんだか分からないような存在と違って、2002年に国内販売が開始された初代のXboxは、そりゃあもう派手なお目見えでした。
ゲイツ、YOSHIKI、笑っていいとも、緑に染まる渋谷。
その黒い巨体も相まって、ゲーム大国日本に開国を迫るアメリカからの使者は"黒船"の異名をとったりもしましたが、まぁ確かに船にはねずみの乗船がつきもの。
だけど船のねずみってのは、基本こっそり乗ってるもんですが、このXboxのねずみの場合は「タイタニック」のディカプリオよろしく舳先に堂々とその姿を現していたのでした。

マイクロソフト自らが贈る初代Xbox最初のオリジナルタイトル。
当時陣頭指揮を執っていたマイクロソフトの大浦常務は、「ねずみのフサフサ感」をやたらとアピールしていましたが、裏を返せばそれしか取り柄らしい取り柄がなかったこのゲーム。
そしていつしか「フサフサ」という言葉も、Xboxそのものを揶揄する言葉へと変わっていったのです。

Xboxユーザーにとっても世間にとってもろくな思い出がない『ねずみくす』。
ファミリー層にもアピールできる可愛らしいゲームであるのが、このねずみどもがプッシュされた大きな理由なのでしょうが、しかしこの『ねずみくす』は、フサフサでキュートな外見の下に排外主義というポリティカルなテーマを隠し持った作品なのでした。
小さな家の屋根裏で暮らす一見平和なねずみの一団。

しかしある日、彼らは自分たちの食い扶持がいつの間にか減っていることに気づき、内紛の危機を迎えます。
この事態をとりあえず収集したのが、仲間内では知恵者で通っているねずみ。
「これはヨソモノがボクたちの食い扶持を奪ってるんだよ!」
ハンパなインテリが無教養な連中を煽るってのは、どっかで見たような構図ですが、とにもかくにもねずみたちは「悪いのはあいつらだ。ヨソモノをやっつけよーぜー!」と、たちまち

こうなるとねずみたちの一匹がピースマークのTシャツを身につけているのも、タチの悪いブラックジョークにしか見えてきません。
こうして徒党を組み家の中を探索してヨソモノを炙り出すねずみたち。狩り出すだけ狩りだしたら最後は腕っぷしに物を言わせてステージいっちょ上がり。
この構図の前には薄っぺらいゲーム性や、「Have a mice day」「よみこみチュー」「ドタバタねずみアドベンチュー」といった人の神経を逆なでするダジャレの数々も些細な問題でしかありません。
黒船の舳先に立ってきた乗員であるにも関わらずバリバリの国粋主義者。自己矛盾の塊のような『ねずみくす』が、スタートダッシュで前のめりになるXboxの足を思い切りすくったのも、むべなるかなであったのです。
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2020/01/02 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
新日本プロレスの恒例行事である新春の東京ドーム興行。今年は近年にない盛況を迎え、イッテンヨン、イッテンゴってのは、もはやプロレス季語のような存在になってます。
しかしなんと言ったって季節感のあるプロレスといえば、かつて新日のオポジションであった全日本プロレス。
春のチャンピオン・カーニバル、冬の最強タッグ。そのシーズンの恒例となる興行を最初に定着させたのは、馬場さん率いる全日でした。
そしてイッテンヨンに先立つ新春の恒例行事といえばバトルロイヤル。参加レスラーですらお屠蘇気分の抜けていない緩い緩いイベントです。

全日のバトルロイヤルは、昔一般的だった参加選手全員が最初からリングに登場して、ゴングと同時にあちこちでもそもそと揉み合うというスタイルのものです。
このゴングが鳴ってから、みんなが仕方なさそうに「しょうがねえ、じゃあ始めるか」と、適当な相手を探してうろうろしだす、なんともだらけた間が子供心に大好きでした。
"やる気のない中堅"の代名詞だったロッキー羽田などは、いかにもこの「しょうがねえなあ」という気分を全身から振りまいていて、「とりあえず熊さんあたりとくっついとくか」と大熊元司の元に歩み寄り、熊さんと適当に肩に手を回しあいながら(断じてロックアップなどと言う攻撃的動作ではない)呑気にリングをうろうろしていたものです。
きっと我々の分からないところで「熊さん、参ったよ、昨日飲み過ぎちゃって」「お前も? 実はオレも」なんて会話をしていたのでしょう。

この正月恒例バトルロイヤルの本家は、どうやらロサンゼルスらしく、'70年頃から豪華メンバーで行われていた同地区のイベントを馬場さんが日本に輸入してきたのが、全日版新春バトルロイヤルの始まりみたいです。
この全員が一斉にリングに上がりフォールカウント決着で行われる(誰かが倒れると、みんなが一斉にのしかかったりする)タイプのバトルロイヤルは、何と言ってもそのだらけきってルーズな展開が妙味なのですが、一方でメリハリや盛り上がりに欠けるという弱点もあります。
それを補うためにWWF(現WWE)が考案したアイデアが、やはり1月の恒例行事として定着しているロイヤルランブル。
一定時間ごとにレスラーが一人ずつ登場し、順次リング上の闘いに加わっていくスタイル。
これならば個別の入場になるので、レスラー各人の個性を際立たせることができるし試合展開もメリハリが利いたものになります。

そんなロイヤルランブルの名を冠したドリームキャストのゲームが本作。制作はエキプロシリーズのユークス。
通常対戦とロイヤルランブル、二つのモードが収録されており、通常対戦は一対一のシングルマッチのみ。
ただしリング下に自分の相棒を指名して待機させられ、パートナーアイコンを消費することで相棒を呼び寄せての合体攻撃を実行できます。
乱入をオンにすれば、試合中突如として数人のレスラーがリング内に雪崩れ込み、リング上の人間に無差別攻撃を仕掛けて嵐のように去っていきます。

しかしやはり本作のメインディッシュはロイヤルランブルモード。
このゲームはどうやらアーケード版もあるらしく、アーケードゲーム特有のばたばたしたテンポが、ロイヤルランブルという試合形式に実にマッチしている意外な効果をもたらしています。
もう凄まじいテンポで、レスラーが入場してきてはあっという間に落ちていく。
自分のレスラーがリングから転落すれば、即座にスタートボタンでコンティニュー(アーケードなら新しいコインを放り込んでいるところでしょう)して、新しいレスラーで入場。
登場レスラーが隠しキャラ(ビンスとシェーンの親子)を含めて21人と少なめなので、さっき退場になったばかりの奴が何食わぬ顔をして再入場してきたりしますが、気にしない気にしない。

入場口の正面に待ち構えていて、新手のレスラーがリングインする瞬間にぶん殴りかかり、即座にたたき落としてしまうという、えげつない必勝法もあります。
これを使うと、アンダーテイカーやストーンコールドといった超大物までもがクリス・ノウィンスキーやサンティーノ・マレラ状態。
登場レスラーを含めてゲーム全体のボリュームの薄さにやや難はありますが、バトルロイヤル本来のバタバタした魅力はしっかりと再現された2000年のドリームキャストタイトルです。
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2020/01/06 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
冬、ウインタースポーツの季節到来。
ビデオゲームの世界でこの手のメインストリームといえば、なんと言ったってスノーボード系。
スノボゲームにも、その時代時代を引っ張るトレンドリーダー的なシリーズがある。
90年代、まだ勃興して間もない同ジャンルを牽引したのが『クールボーダーズ』シリーズならば、ゼロ年代のそれを牽引したのはEAの『SSX』シリーズだ。
2000年発売の初代『SSX』に始まり、その発展型である名作『SSXトリッキー』、そして『SSX 3』『SSX on Tour』と、PS2にゲームキューブ、Xboxにまたがって栄華を極めた。

『SSX』シリーズは元を正せばEAスポーツの中のブランド、BIGの作品。
『フリークスタイル モトクロス』や『FIFAストリート』『ラリーショックス』などを擁する同ブランドは、従来のEAスポーツゲームと違って、そのスポーツ競技を極端にデフォルメしてアーケードゲーム的なチューンナップを施しているのが特徴。
『SSX』もその例には漏れない。破天荒なレイアウトの急斜面コースをノンストップで駆け下りて、ジャンプはビル1個分程度の高さをを飛ぶのは当たり前。
ほとんどスカイダイビングのようなジャンプ中には、物理の法則を無視したトリックを山のように盛り込んで、グラインドレールはともすれば谷をまたいで崖を縫うように貫いている。

それでいて操作はとことんカジュアル。スタートでスノボを蹴り出した瞬間から、もうアドレナリン全開。
作品ごとのマイナーチェンジはあれど、これらはシリーズに一貫したアティチュードであった。
そのSSXシリーズも、2007年にWiiで発売された『SSXブラー』を最後にしばし鳴りを潜め、Xbox 360やPS3といった第7世代機が全盛を極める2010年代には、どことなく様子をうかがっている感があった。
そして2012年、ついに登場した10年代のSSX。ゲームタイトルもシンプルに無印の『SSX』と原点回帰。
初代と混同しそうでややこしいから『SSX (2012)』と表記するが、しかしこの久方ぶりのシリーズ作は、能天気ではっちゃけたゼロ年代から、よりリアル指向を増した10年代のゲームカルチャーの変遷をもろに被ってしまった、賛否両論の作品となってしまった。

シリーズの肝であったはっちゃけた感触は減退し、代わりに増したのはエクストリーム度。
抜きつ抜かれつな絶妙なバランスのレースや弾けた大ジャンプにトリックなど、随所に従来のSSXらしさが残されてはいる。
しかし崖やクレバスなど一発死ポイントの過多による難度の上昇は、シリーズ過去作に共通していた底抜けに開放的なアーケード感覚を大きく損なってしまっているのだ。

その象徴的な存在が、本作から導入されたデッドリーディセントと題された、一発死ポイントだらけのデンジャラスなコースを、とにかく麓まで生きて完走することが目的のサバイバルモード。
生か死かのエクストリームテイストは、この『SSX (2012)』の大きなテーマらしいが、これがシリーズ過去作に共通していた、一度スタートしたらアドレナリンを撒き散らし麓までノンストップだったアーケード感覚との乖離を生み、多くのシリーズファンを困惑させてしまった。

ウイングスーツやピッケルなど、コースごとに必須とされるギアの付け替えや、スノボゲームとしては異例なヘルスポイントの存在なども煩雑な印象しか生み出せず、不親切なシステムインターフェースも足を引っ張った。
実在する世界の名峰をリアルに再現の触れ込みも、後にDLCで追加された富士山が洞穴や謎オブジェクトだらけの、いびつな不思議山になっていたことから首をひねらざるを得ず。
オンラインプレイやコレクタブル要素、自在のBGM設定など、10年代の新しいSSXを確立させようという気概は、あちこちに観られるのだけど、ぎくしゃくしたトータルバランスの前ではそれらも空回りに終わり、新時代の新しいSSXは結局そのまま後継を得ることなく、この一世を風靡したIPも雪山の上で氷漬けになってしまうのであった。
<Xbox One 互換対応タイトル>
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2020/01/08 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
それまでスキー一色だったウインターレジャーに新興のギアであるスノーボードが加わってきたのは1990年代のこと。
そしてスノボをテーマにしたゲームも、そのゲレンデへの定着と足並みを揃えるように花開く。
スノーボードゲームの勃興は、ちょうど90年代半ばの次世代CD-ROM機戦争の真っ只中と重なっていて、しのぎを削っていたプレイステーション、セガサターン、ニンテンドウ64それぞれが、独自のタイトルを抱えていたのが大きな特徴だ。
プレイステーションには人気シリーズの『クールボーダーズ』、ニンテンドウ64には大傑作『テンエイティ・スノーボーディング』。
残るセガサターンだって負けてはいない。
サターンが誇るスノボゲームの秀作。それが『スティープ・スロープ・スライダーズ』だ。

だがプレステや64と比較すると、3D表現力には若干の難があるサターンが舞台。
レゴ人形と見紛うかのようなボーダーのモデリングは、そんなサターンのハンディキャップをうすうすと感じさせるが、しかし開発元のケイブは「スノボゲームは見た目じゃねえんだよ! ……まぁ見た目がいいに越したことはないけど」という真理を、この『スティープ・スロープ・スライダーズ』で証明してみせたのだった。

ライバル機の同系統ゲームに比べれば見劣りするビジュアルだが、いざ雪の上に滑り出してみれば、実際に新雪の上を滑走しているかのような確かな手応えを感じることができるだろう。
パウダースノーの質感と柔らかい雪の上でボードが跳ね上げる雪しぶきのイメージは、実に見事に再現されているのだ。

『スティープ・スロープ・スライダーズ』の大きなセールスポイントは、サターンのパッドに見事に落とし込んだ非常に手に馴染む操作体系。
サターンパッドの秀逸なLRボタンにドリフトターンが割り振られてており、通常のターンとこのドリフトターンを自在に組み合わせて滑走する感覚は、まるで一流のボーダーになったかのような気分を味あわせてくれた。
派手なジャンプやトリックではなく、何気ないターンで感じる一流ボーダー気分。こんなさり気ない魅力は、数ある同世代スノボゲームの中でも『スティープ・スロープ・スライダーズ』ならではのものだ。

遊び心いっぱいの隠しキャラと隠しコースも本作の特徴の一つ。
隠しキャラではサターンのコアなファンならお馴染み、あの懐かしの32偶像サタンちゃん(気分は64ビット!)も登場するし、隠しコースは、南極や宇宙、さらにはワイヤーフレーム風のステージなど。
個性的なBGMの数々も、とても印象深く、これらの曲をバックに繰り広げられる、淡々としているけど歯ごたえ満点な滑りがお気に入りで、オレはテンエイティやクールボーダーズ以上に、この『スティープ・スロープ・スライダーズ』がお気に入りだった。
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2020/01/10 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
それまでナンバリングなどを重ねてきたシリーズが、第一作目と同じプレーンなタイトルを冠することがままある。
『SSX』『アローン・イン・ザ・ダーク』『メダル・オブ・オナー』などなど。
そんなややこしいマネの大義とされるのが、「シリーズの原点を見つめ直し初心に帰る」なんてところだが、その割にはこれらの作品の中で本当の意味での原点回帰を果たした作品は少なかったりする。
そして『DOOM』。言わずとしれたゲーム史に残るモストインポータントタイトル。
1993年にその忌まわしき第一作目が登場して以来、翌年の『DOOM 2』。そこから10年の時を経た『DOOM 3』と緩やかなペースでシリーズを積み重ねてきた。

2004年にリリースされた『DOOM 3』は10年のスパンもあってか、ストーリーやイベントの重視、細く差し挟まれた設定など、勃興期を経て熟成されつつあったFPSのトレンドに大幅に歩み寄ったもの。
それはそれでかなりの良作ゲームではあったのだが、DOOMを名乗る必然性に欠ける、SFホラーシューターの新規IPのように感じられたのも確かであった。
その『DOOM 3』から12年もの時を経て、ついに姿を現した『DOOM』の最新作はナンバリングやサブタイトルを省いた原点回帰のネーミング。
しかし原点に帰ることを標榜していながら、その原点の本質そのものを見誤ったタイトルは事欠かない。果たして『DOOM』もその轍を踏んでしまうのか。

煉獄の棺に縛り付けられているプレイヤーキャラ、ドゥームスレイヤー。鎖を引きちぎりとりあえず手近にあったコンソールに駆け寄ると、キーマンらしき人物がなにやら状況説明らしきものをくどくど。
「うるせー!!」とばかりに話の途中でコンソールをぶち壊し駆け出す主人公。
ショットガンも手っ取り早く獲得した。あとは通路を、狭いフィールドを、とにかく駆けて駆けて駆け回って、遭遇するデーモンには出会い頭に散弾をお見舞いしまくって、圧倒的なスピード感で繰り広げる無慈悲なまでのデジタル暴力行使。
DOOM! DOOMだ! この手応えはかつて寝食も忘れて熱中した初代『DOOM』そのものだ! これは確かに原点回帰。オレたちのDOOMが帰ってきた!

『DOOM 3』に欠けていたもの。それはスラッシュメタルのごとき有無を言わせぬスピード、残虐なビートを打ち出すリズム、ブルータルな音楽をコントローラで奏でるかのようなプレイフィールだ。
豊穣なストーリー、臨場感あふれるイベント、FPSというジャンルが時間をかけて育んできたファクターを、このFPSの祖は「そんなもん面倒くせー!」とうっちゃった。
削ぎ落とした後に残るのはシンプル極まりない暴力の連鎖。
火星に蠢く邪悪なデーモンたち。しかしこのグロテスクな連中は決して畏怖の対象ではない。
この血みどろの暴力だけで構成された世界で頂点に立つ存在は、地獄の下僕たちよりもさらに邪悪な存在であるドゥームスレイヤーに他ならないからだ。

新たなシステムであるグローリーキルも、この手の新要素にありがちの余計な付加ではなく、DOOM本来の魅力をさらに推し進めたものになっている。
ヘタるデーモンを殴りつけ、引き裂き、踏み潰す。ただ撃ち殺す以上にエゲツないこれらの行為は、弾薬やヘルスを回復するボーナスを伴って、プレイヤーをより暴力的な行動に必然的に誘ってくれる。
お馴染みの武器であるチェンソーも同様だ。
STGのボム的な役割と大幅回復ボーナス、危険状況回避を折衷したチェーンソーの役割は、タクティカルな運用を求められたりもするが、しかし本能の赴くまま一番ムカつくデーモン相手に使っちゃうのがやっぱり一番だ。うぃーーーーん、ぶちぶちぶち! 真っ二つにしたてめえの身体に小便かけられないのが残念だぜ!

デフォルトのキーアサインも啓示的だ。左右スティックとトリガーがすべての基本、それ以外のボタンに手をかける機会を極端に抑えた配置は、操作する指先にもスピード感を授けてくれる。
初代『DOOM』の登場から20数年。FPSというジャンルが進化を積み重ね、豊穣な表現力や多彩なシステムを手に入れた現在に突きつけた本家本元の強烈な原点回帰。
その意義に対して理屈をこねくり回すことすらも、この2016年の『DOOM』は否定する。
余計な能書きはいい。とにかく引き金に指をかけ走って走って走り回り、動くものすべてを肉塊に変えろ。
コントローラを手にした者こそが、この救いのかけらもないデジタル超暴力世界での、唯一の圧倒的な盟主なのだから。
この記事に含まれるtag : FPS
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2020/01/14 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |