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ボンクラ360魂クロスカルチャーゲームブログ 

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【リング】ドリキャスを襲う貞子の呪い

   ↑  2017/12/01 (金)  カテゴリー: ドリームキャスト
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「大変ご無沙汰をしております。古今東西の心霊ホラーゲームを頼まれもしないのにお届けにあがる、ゲーム版恐怖新聞でございます」
ホント久しぶりだな。5年ぶり、いやもっとか。
「本家の恐怖新聞は読むたびに寿命が減りましたが、こちらはその代わりにXboxゴールドメンバーシップの残り日数が1日ずつ減っていく……」
いや、そのフリはもういいから。
「そうですか……。で、久々なんでここは背筋も凍るほどの怖いやつを持ってきました。リングです」
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リングってことは貞子だな。
「貞子です」
アレはビビるな!
「ビビるでしょ! その貞子が満を持してクロスカルチャーを果たしたのが、この2000年発売のドリームキャスト版『リング』です」
2000年って言えば映画が一番盛り上がってた頃だな。これは期待できそうだ。
「でしょ! ま、こちらの方は映画の1作目や2作目とちょっと趣を違えてまして、舞台はアメリカなんですが」
いきなりインターナショナルじゃねえか。
「まあハリウッド版リングなんてのもあるくらいですから。貞子はダルビッシュやマーくんよりもグローバルなんですよ」
比較の対象がちょっと違うと思うけど……。
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「ある防疫研究所の所員が怪死を遂げます。死の真相を探るために研究所に入所したその恋人は、彼の遺品であるパソコンにインストールされた"RING"という謎のプログラムにその手がかりを求めるんですね」
……そのプログラムにアクセスしたら、なんか突然『パーフェクトダーク』のジョアンナみたいな格好になって、変な場所に放り出されたんだが。
「十字キーの前で前進、後ろでバックステップ、左右で方向転換です」
おい、それって……。うわ、なんか変なクリーチャーが出てきたぞ!
「右トリガーで銃を構えてAボタンで撃ってください」
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おい、だからそれって……。
「おめでとうございます。無傷で倒せましたね!」
貞子の呪いってハンドガンの連射でどうにかなるもんだったのかよ!
「テクニックを極めれば、銃を使わずともナイフ一本でクリアできるかもしれませんよ。
だからそれってアレだろ! メニュー画面なんかもろにそれだろ! リングやれよリング! バイオなんとかじゃなくて!
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「『サイレントヒル』とか『零』とか、『バイオハザード』のシステムを応用して恐怖を極めたホラーゲームもあるので、その狙いは悪くないかと」
だけどそれを貞子に適用するのは明らかにムリがあるだろ! ああ、しかもバイオもどきとしてもめちゃくちゃ遊び辛い。ステージがほぼ真っ暗闇だから、視点がシネマティックに切り替わるたびに自分の居る位置がさっぱり把握できなくなるし……。
「この謎のプログラムの陰に蠢く民間防疫会社の陰謀と危険極まりないウィルスに、主人公は自然と近づいていくことになるんですね」
ますますバイオじゃねえか! ちゃんとリングやれよリングを! 同じこと何度も言わせんなよ!
「マジメに答えさせていただきますと、小説版リングの続編2作は、割とこんなノリなので……」
このゲームのタイトル、らせんでもループでもないよな。『リング』だよな。オレはぶっちゃけリングと、らせん&ループは、確かに貞子繋がりではあるけど基本的に別モンだと思ってるし。
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「話を進めていけば例のビデオも出てきますから! ちゃんと映画版リングからの流用映像ですから!」
なんかそれ、ゲームの流れからめちゃくちゃ浮いてんだけど……。
「そしてなんたって山村貞子。もちろんラスボスですよ、ラスボス!」
ごめん、貞子とラスボスって単語がどうしても結びつかないんだけど……。
「この貞子はラスボスだけあって、髪の毛を振り回して攻撃してくる恐ろしい敵です。頑張って倒してください!」
………………で、この貞子、どうやったら倒せるんだ?
「右トリガーでハンドガンを構えて連射連射連射!」
だからおい!

この記事に含まれるtag : ホラー シネマゲーム 

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2017/12/01 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |

【三國志Ⅳ】第一次過渡期三國志

   ↑  2017/12/04 (月)  カテゴリー: 3DO
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コーエー三國志。長きに渡る同社のドル箱で、ナンバリングタイトルは13を数える。
30年以上にも及ぶ歴史には、様々な変遷やユーザー層の入れ替わりもあった。
個人が思い入れを持つシリーズ作も、これまた様々だろうが、オレの場合は1994年に発売された『三國志Ⅳ』。
Ⅳが一番好きって言うと、たいていの場合「え、なんで?」と疑問が返ってくるのだが、しょうがねえだろ、3DOで出た三國志はこれ一本しかないんだから。
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コーエー三國志はその長い歴史の中で過渡期を幾度も迎えているが、この『三國志Ⅳ』は第一次過渡期とも言える作品。
その過渡はゲーム内容だけに留まらない。これが出た1994年はコーエーにとって最大のお得意様となっていたコンシューマ市場が、大きな変遷を迎えようとしていた時期でもあった。
ゲームハードの過渡の影響もあって、『三國志Ⅳ』は旧世代機であるスーパーファミコンから、新世代機のサターンとプレイステーション。そしてその中間に位置する3DOと32Xにまでまたがってリリースされたのであった。
もちろん32X版も3DO版と同様、これが同ハードで出た唯一の三國志である。
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その過渡におけるもう一つの産物が、恐らくROMカセット機との差異をつけようと思ったのか、実写ムービーの導入だ。
この要素は同時期に出た『信長の野望 覇王伝』や『ウイニングポスト』でも試みられていたが、『三國志Ⅳ』の場合はさすが中華大陸。スケールが違う。
オープニングムービーは長江に浮かぶ軍兵を満載した大船団。CGなんかではない。ガチ船にガチエキストラ。
それもそのはず。この映像の大元は中国の国営放送局が国家プロジェクトの扱いで制作した連続ドラマ「三国志演義」。
エキストラの数だけでも官渡における袁紹軍の動員を凌ぐ、世界の歴史ドラマ史上でも屈指の超大作。
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それがどんな縁があってコーエーゲームに流用されることになったのかは知らないが、とにかくOPムービーに留まらず、ゲーム中の主要歴史イベントや、さらには飢饉や反乱、謀略などの小イベント時の小窓ムービーにまで細切れで登場(そのドラマに準じたわけではないだろうが、ゲーム中で諸葛亮の能力がチート化しちゃってるのは、ちょっとアレだが…)。
しかしそんなせっかくのサービスが、ユーザーに好意を持って迎えられたかというと逆で、その挿入によるテンポの悪さがむしろ鬱陶しがられ、実写へのアプローチはこの時期の作品だけで打ち止めとなるのであった。
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もう一つ印象深かったのは副将システムの導入。
これによって武力に偏重した武将を知力系の武将で補うことが可能となり、筋肉バカに軍勢を任せるときのモヤッとした心持ちを、システム的にも気分的にも解消してくれることになった。
おい、沮授、沮授。文醜からぜったい目を離すなよ。あいつとにかくそそっかしいから。なんかあったときはむしろお前の方が頼りだからな。よし、曹操の首獲ってこい!

この記事に含まれるtag : ストラテジー 

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2017/12/04 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |

【The Crew】アメリカ合衆国ぼっちドライブ

   ↑  2017/12/06 (水)  カテゴリー: XBOX ONE
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アメリカ合衆国。それは広大な国だ。
その大地はどこまでもどこまでも遠い。なにせ西のロサンゼルスから東のニューヨークまで、オレのレベルアップを重ねたフォード・フォーカスでアクセルベタ踏みノンストップで突っ走っても1時間弱もかかる。
砂漠の中のベガスを突っ切り、ソルトレイクを横目で眺め、バイブルベルトを通り抜けて、D.C.からフィラデルフィア。
やっと摩天楼が見えてきた頃には、もう右トリガーを押しっぱなしの人差し指の付け根が痛い。とんでもない長旅である。
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Googleマップがとにかく重宝されるご時世だが、いくら便利な地図でもなかなか掴みづらいのが距離感だ。
むしろ縮尺自在の地図だからこそ、余計にその距離感が希薄になる。
シカゴからシアトルまでは実際どのくらいの遠さなのか。
地図を前に考え込んでいてもしょうがない。だったら実際に走ってみればいい。
雪深いミネソタを横断して、あそこがあのファーゴの街。ホント寒そうなとこだ。ロッキー山脈の間を縫って、ようやく見えてきた西海岸シアトル。
今日ゲームに割ける時間のほぼすべてを、アクセルベタ踏みドライブで終わらせてしまったが、でもオレは結構満足だ。明日はイエロストーン公園を観光しながらシカゴに戻ろう。
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アメリカ合衆国全土を絶妙な距離感で縮尺化。『ザ・クルー』というゲームのセールスポイントは、なんと言ったってこの部分だ。
そして奇跡の名作『Test Drive Unlimited』の理想をさらに一歩推し進めた、クルマMMOの具現化。
本作は他のドライブゲームの大きなウリである"クルマのショーケース"的な要素をばっさりと切り落としている。
登場する車種はごくわずか。そしてその乗り換えも決して自在ではない。
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ストリートやダート、サーキット仕様といった分類。これはファンタジーRPGにおける戦士や僧侶、魔法使いなんかのクラス分けに近い。
そしてそれぞれのクルマには、チューンナップとは別に細かいレベル設定が施されている。
同じクラス内でクルマを乗り換えると、また一からレベル上げを強いられるので、自然と一つのカテゴリでは一つの車種との長い付き合いとなるのだ。クルマ取っ替え引っ替え道楽派にとっては、なんとも納得しかねる仕様だろう。
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そしてファクションやプレイヤーサミット、RPGのパーティに相当するクルーの編成など、このゲームの基本コンセプトはMMORPGを下敷きにしてオンラインマルチプレイに大きく偏ったモノだ。
しかしオレはそんな開発側の理想も、見知らぬプレイヤーからのクルーへのお誘いにも背を向けて、今日も一人で気ままに愛車を転がす。
『Test Drive Unlimited』は他人と走ることがとにかく楽しいゲームだった。
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だがこの『The Crew』は明快に『TDU』の影響下にあるにもかかわらず、オレのアプローチは『TDU』とはまったく真逆なものだ。
この広大な距離の化け物と向き合うには、他人との繋がりは足枷でしかない。すまないけど一人にしてくれ。
どこまでもどこまでも続く道路にただアクセルを踏み込む。これと似た手触りのゲームが過去にもあった。そう『FUEL』だ。
違うのは『FUEL』の荒廃してなにもない大地に対して、こちらは遷ろうアメリカの風土。国境沿いの砂漠、南部の湿地帯、太平洋岸の陽光、北西部の工業地帯、そして大都会。
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『The Crew』はあの『Forza Horizon』シリーズ以上に写真映えするゲームだ。
その理由は様々なランドマークを含める実際のアメリカを模した風景。そして何よりも遠景との絶妙なコントラスト。
長いドライブを経てやっと辿り着いたニューヨークの手前。
その摩天楼の街並みを遠くに戴く絶景ポイントで、クルマを停めてカメラを持ち出す衝動に抗えるだろうか。
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そして『The Crew』はオレにとって密かなシネマゲームでもある。
「バニシングin60」はロサンゼルス、「ブルース・ブラザース」はイリノイからシカゴまで、「ブリット」はサンフランシスコ、「バニシングIN TURBO」はL.A.からベガス、ニューヨークからカリフォルニアまでは「激走!5000キロ」(「キャノンボール」でも構わないが……)、テキサス~ジョージア間は「トランザム7000」だ。
クルマ長距離かっ飛ばし映画をなぞるドライブ。今日のルートはデンバーからサンフランシスコ。「バニシング・ポイント」でコワルスキーが目指した道だ。
ドライブのお供はプライマル・スクリームの90年型コワルスキー。
でもオレは完走する。途中でバリケードに突っ込む気はさらさら無いぜ。

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2017/12/06 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |

【火激】アーケードのやさぐれヤンキー

   ↑  2017/12/10 (日)  カテゴリー: メガドライブ&メガCD
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格闘ゲーム前夜のゲームセンターに、それらの勝ち名乗りや必殺技ボイスとは明らかに一線を画した、荒んだ怒声を鳴り響かせていたアーケードゲーム『火激』。
同じヤンキー系ゲームでも、こちらは初代くにおくんに多少なりともあった愛嬌は影も形もなし。
そのシンプルというか、プリミティブ極まりないゲーム内容にも拘わらず、不思議な人気があったのは、そのカラッカラに乾いて荒みきったヤンキーテイストが、一部の人間たちの心を射止めたからであろうか。
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一等地の大きなゲーセンよりも、むしろ裏通りの雑居ビル2階にある、うら寂れたゲーセンで光り輝いていたゲームだ。
テーブル筐体の隅に置かれたステンレスの灰皿。そこにくすぶったまま放置されたラークの吸いさし。片付けるほど気の利く店員もおらず散乱するコーラやコーヒーの空き缶。
そんなやさぐれたロケーションも、このゲームを彩る絶好のアクセントになったりしていた。
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そんな『火激』が、「アーケードの迷作が帰ってきた」などという、実に失礼なキャッチフレーズを加えて家庭用機に移植されたのは、世間が格闘ゲームのブームに包まれんとする1991年のこと。
移植されたハードはメガドライブ。この手の正統から外れたアーケードゲームを移植するのに、メガドライブほどお似合いなハードは他にない。
黒に16BITの金文字というヤンキーテイスト溢れる外観も、『火激』を移植するに相応しいルックスと言えるだろう。
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このメガドライブ版『火激』は舞台が埠頭から雑居ビルに移り、それぞれの階に単身居座る中ボスたちを一人ずつ打ち破って最上階を目指す「死亡遊戯」システムへと変貌を遂げている。
雑居ビル版「死亡遊戯」もそれなりに味わいは深いが、やはりアーケード版の、強面の面々に囲まれてタイマンの連続を否応なしに強いられるのっぴきならなさに比べると、こちらのテンションもちょっぴりトーンダウン。
それにラスボスの総長を中心に火激軍団の面々がずらりと並んでタイマン場所を囲むアーケード版は、大前均太郎もどきや菊リンもどきなど中ボス連中のキャラを絶妙に立たせていたのに。
これではあの鉄球振り回しマンホールポイ捨て男のインパクトも薄れてしまいがちだ。
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そしてこのギャラリー不在なシチュエーションでは、「やるじゃん」というヤンキー女の無責任な野次や、こちらがアウトボクシングを始めるとすかさず飛んでくるブーイングなどのやさぐれボイスが、ことごとく整合性を欠いてしまう。
やはりこのゲームは、80年代前半のやさぐれた雰囲気を残すゲームセンターの中でこそ光る一品。
メガドラ版『火激』は、そんな事実をこちらにまざまざと知らしめてくれるイマイチな移植版なのだ。

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2017/12/10 | Comment (5) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |

【Fable Anniversary】善と悪の境界

   ↑  2017/12/12 (火)  カテゴリー: XBOX 360
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有名になるのはいいものだ。
今日も街雀たちがオレの英雄を取り囲んできゃあきゃあ囃し立てる。きっとジャスティン・ビーバーは毎日こんな感じなのだ。
もっともビーバーにだって崇拝者と同じくらいのアンチがいるだろうが、そんなもん彼には英雄にとっての山賊やワスプ程度の存在にしか見えていないのだろう。
「あれがあのチキンチェイサーよ!」「素敵!」
その称号も最初はどうかと思ったが、こうも浸透するとおいそれと変えられる雰囲気ではなくなってくる。
"おかわり君"だって本人の実力で、今では畏怖と敬意のこもった呼び名となっているのだ。急に"獅子砲"だのなんだのと呼ばれたって、きっと本人だって困るに違いない。
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酒場に入れば入ったであっという間にみんなの視線が英雄に向く。
なにせオレの英雄は、アルビオンのあちらこちらで人助けと善行を繰り返してきた高潔な男。
カルマのメーターは善の方にだだ傾き。いつもは居丈高な衛兵だって、英雄相手には態度を変える。
あれはガキの頃だっただろうか。オークベールの村で口止め料を懐に入れながら旦那の浮気を女房にチクったことを、衛兵に「物事の善悪をちゃんと見極めんといかんぞ!」と怒られて以来、オレの英雄はモラルのある行いを常に意識するようになった。
人目のつくようなところでひけらかすのがモラル。人の目の届かないところでこっそり行うののがアンモラル。
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なに、都合がいいことを言うな? ツイッターやSNSなんかで、てめえの感情の好悪を世間一般のモラルにすり替えて吐き出す奴らの方が、よっぽど自己本位だっつうの。オレの英雄なんかそれに比べれば可愛いもんだ。
ハートマークを頭上に光らせながらつきまとう独身女や人妻を振り切って(もちろんどれを後腐れのない現地妻にするか、心の中で物色していることは言うまでもない)、オレの英雄は町外れの民家に駆け込んだ。
主のいない家の中には本棚とタンス。そういえばバウアーストーンの学校が本の寄贈を求めていたっけな。
そう、これは善行善行。自分に言い聞かせながらオレの英雄は本棚をごそごそと勝手に漁る。
人の気配。振り返ると戸口から英雄の一部始終をじっと眺める衛兵の姿が。
英雄は衛兵に歩み寄りいくばくかのカネを握らす。「どうかこれで穏便に」
こうしてオレの英雄の善なる名声は守られたのだった。
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メガテンの傍流だの『テネレッツァ』だのとイレギュラーばかりが続いていた初代XboxのRPG事情。
『Fable』はそんな煮え切らない状況に活を入れるべく登場した、ハードホルダーによる大作RPG。
そしてこの頃はピーター・モリニューの名にまだまだ神通力があった時期。
「モラリティを含む圧倒的な自由度」
モリニューの発売前コメントに期待は高まるも、その一方で「あのおっさんの言うことは話半分に受けといた方がいいな」と、彼との付き合い方をみんながなんとなくわきまえてきた時期もであった。
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システムにより設けられたのは善悪二元論のカルマステータス。
善行を積み重ねれば評判はあがり民衆からは敬意をもって迎えられ、逆に悪行を重ねれば人々から忌み嫌われ恐れられる存在となる。
ゲーム中にそれなりのアクセントとはなるが、それ自体は非常に淡白な要素だ。
結局のところは高潔な英雄が邪悪の目覚めを食い止めた。あるいは悪しき英雄がさらなる悪を凌駕して封じ込めた、なんてどっちもどっちのありきたりな話に落ち着くのであろう。
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寓話は教訓的なことを伝えるのに都合の悪いエピソード、その時代その時代のモラルにそぐわなくなった話なんかを、はしょったり改変しながら後世に伝えられてきた。
だがオレは高潔な英雄が邪悪に打ち勝った話の、伝えられなかった細部の細部までも知っている。
英雄はカネに意地汚く不労所得の確立に精を出し、女と見れば見境なしに重婚に次ぐ重婚を繰り返してきた。そのうちの半分はほったらかしだ。
街道で商人を追い剥ぎから救ったりもしたが、その影で旅人をスコーム礼拝堂に生贄に捧げたりもしてきた。
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善も悪も結局はその場その人その時代の都合によって移ろい取り繕われる。
パッケージアートに映る善なる英雄と悪なる英雄。しかしほとんどのプレイヤーはそのどちらにもいない。そこには映らないポジションに身を置く。
モリニューがプレイヤーに与えてくれたのは、カルマやモラルの行間に皮肉屋ブラックユーモアを見出す小さな小さな自由。
その象徴とも言えるのが、マザー・テレサですらそのケツを蹴っ飛ばさずにはいられない、町中を無防備にウロウロするあのニワトリどもだ。
「彼がチキンチェイサーだ!」「素晴らしい!」「きゃあ!」
そう、オレの英雄は泣く子も黙るチキンチェイサー。実はあんまり良い奴じゃないが、とりあえずナイスガイってことで通しておいてくれ。(ぼかっ!)「くわっくわっけっこっこっこ!!!?」

<Xbox One互換対応タイトル>

この記事に含まれるtag : RPG 

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2017/12/12 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |