- 【Ingress】スキャナを手にしたその日、世界は一変する [2015/10/02]
- 【Tomb Raider: Definitive Edition】艶獄の女考古学者 [2015/10/05]
- 【Tomb Raider: Definitive Edition】真実の邪馬台国 [2015/10/07]
- 【Diabolical Pitch】地獄のピッチングマウンド [2015/10/09]
- 【プリンセス・プリンセス 姫たちのアブナい放課後】 [2015/10/11]
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カネがなくぴいぴいしているのに遊びたい盛りだった学生時代は、とにかく常に歩いていた。
盛り場から盛り場へ、駅数個分の距離の往復。訪れた先で待っている刺激的な享楽のことを思えば、その道のりはちっとも苦ではなかった。
それから年月は流れ、身体がなまったことやら、それなりの甲斐性を手に入れたことなど、様々な要因が重なり、いつしかオレは二本の脚で歩くことを忘れた横着な大人になっていた。
そんな状況を一変させ、オレに大地を踏みしめてがしがし進むことを思い出させてくれたのは、ある世界的な組織への誘いであった。
レジスタンス。この世界に溢れているXMという物質を、統制し正しく管理しようとするグループ。このXMを無秩序に活用しようとする派閥エンライテンドとの間で、日夜激しい戦いが世界中で繰り広げられている。

レジスタンスの活動をちょっとだけ覗いてみようと、軽い好奇心でスキャナを手にしたオレの前に広がったのは、昨日と変わらない見慣れたはずの街並みが一変する光景だった。
それはちょうど映画「ゼイリブ」で、例のサングラスをかけて街を眺めてみたときの衝撃にそっくりなのだろう。
看板、駅のホーム、鳥居、公園、ありふれたどうでもいい景色が、それぞれとんでもなく重要な意味を持っていたことに気付く。
普通の人には見えないかもしれないが、そこにはポータルと呼ばれるXMが溢れだすエネルギーポイントとなっているのだ。

最初は職場と自宅の周り、狭い狭い世界だった。それでもレベルの低いうちは、ちゃちなコントロールフィールドがとてつもなくデカく見えるくらい広い世界だ。
ポータルから次のポータルを求めて歩くうちに、世界は徐々に広がりを見せる。やがては自分の住んでいる何の変哲もない地元が、世界のあらゆる場所と繋がっていることに気付く。
そして歩いて歩いて歩きまわるうちに、最初はスマホの向こうに蠢く得体の知れない不気味な集団だったエンライテンドの、個々の人格やパーソナリティが見えてくる。
インテルマップのログから伺えるエンライテンドエージェントのそれぞれの行動から、いつしかその喜怒哀楽の感情すら伝わってくるだろう。

常に激突しあう敵エージェントには、憎悪を通り越していつの間にかシンパシーすら抱いてしまうこともあるだろう。
しかし戦いの手を緩めるわけにはいかない。このポータルはオレのポータル、このコントロールフィールドはオレのフィールド、この縄張りはオレの縄張りなのだから。
土着エージェントがその境界線を削りあう郊外のingressバトルは、まるで戦国時代の豪族たちの小競り合いをシミュレートしているように見えるかもしれない。

5メートル置きにポータルがあるような都心繁華街や、ポータルから次のポータルまで数キロもあるような田舎と違って、バランスよくそれらが点在している郊外のingressは、程よく歩くにはとことん適したシチュエーションだ。
目の前のポータルを経てさらに先のポータルへ、一日二万歩は当たり前になった。それでもオレは歩みを止めない。学生時代のように、その二本の脚を頼りにひたすら歩く。
ただしあの頃と違うのは、オレの手にはスマートフォンがあること、そして今のオレにはレジスタンスの理念の下に、この地球上を青く染め上げる大義があることだ。
街が、道が、山が、この地球上に存在するありとあらゆる場所がオレのプレイフィールドに姿を変えた。
ingress、それは既存のゲームの概念を覆す、21世紀以降に現れたゲームの中で、飛び抜けて革命的な作品だ。
この終わりなき戦いに飛び込むなら今のうちだ。レジスタンス(エンライテンドでも構わないが)は、いつでも門戸を開いて待っている。
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2015/10/02 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
『Rise of the Tomb Raider』の発売を前に、前作『Tomb Raider』を上位機種版のDefinitive Editionで再プレイ。
スクリーンショットやビデオクリップ機能を有したハードで遊んでみて改めて感じたのは、思わずスクリーンショットを撮りたくなってしまう見せ場の連続で構成されたゲームということだ。
エクストリームなアクションシーンムービーに留まらず、幕間の静かな一瞬やアクティブなゲームプレイパートにまで、一枚絵に切り出すとゾクッとくるほど魅惑的な瞬間がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

その"とにかく絵になる"一番の要因は、やはりリニューアルされ艶かしさを増したララさんの存在だ。
ガチムチのおっさんやフードを被った暗殺者やアイパッチの傭兵が画面の中心だったら、なんの感慨もなく見送ってしまいそうなワンシーンも、新生ララさんが被写体だと、とたんにピリッと締まった絵になる。
これは野郎よりもララさんの方が見栄えいいというだけではなく、この『Tomb Raider』が他のゲーム以上に、ムービーやプレイシーンの見せ方見え方にきめ細かい丁寧な仕事を施しているからだろう。
もちろん新生ララさんのセクシュアルな魅力によるところも大きい。狭い場所やトンネルをララさんが潜り抜ける時、ぐっと寄ったカメラに彼女の体温や汗の匂いを感じて、思わずドキッとしてしまった不届き者は、きっとオレだけではあるまい。

一難去ってまた一難。その一難一難がどれも揃いも揃って、これ以上運の悪い酷い目はないシチュエーションのオンパレード。
ジョン・マクレーンの映画五本分と、モルモットおじさんのワンクール全放映分を合わせても足りないくらい、これでもかと悲惨な状況に陥れられるララさん。
それを目の当たりにしながら、つい団鬼六や館淳一の小説を読んでいる時と同じような感慨を抱いてしまうのは、男の悲しいサガだ。
ララさんの受難記に「艶獄の女考古学者 嗜虐の孤島」なんてサブタイトルを授けたくなってしまうが、そんなこちらの嗜虐心をつつきまくるポイントと、敵の脳天に矢を突き立てては容赦なく火だるまにする、ララさんの即席キリングマシーンっぷりとの乖離は、このゲームを遊んでいて一番気になった部分だが、これは『Rise of the Tomb Raider』ではどう処理されるのだろうか。あるいはお約束としてそのままなのだろうか。
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2015/10/05 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
よく初対面の相手には野球と政治の話題は避けろなどと言うが、こと野球に関しては、それは疑問符のつくアドバイスだ。
オレは小さい頃からバリバリのロッテファンだが、たとえ初めて遭った相手がソフトバンクや巨人のファンだと判明しても、その後は普通に野球の話題で盛り上がることだろう。どこそこのファンや信者という以前に、我々はまず揃ってプロ野球のファンであるからだ。
しかし政治の話だけは、やはり避けたほうが賢明だ。この話題に限っては、最近とみに寛容性がなくなり、憎しみと悪意と作為をつくだ煮にした蠱毒のような世界になっているからだ。

だがその政治以上に避けるべき話題がある。
邪馬台国はどこにあったかは、謎めく歴史のロマンだが、しかし畿内説や九州説を強固に信奉する人たちにとっては、それは歴史ロマンなんて生温い言葉で流されるような話ではない。
もし目の前の相手がガチガチの畿内説派や九州説派であったら、あなたが軽い気持ちで振った邪馬台国の話は、たちまち長くてくどい講義となって戻り、それぞれの説にちょっとした疑念を呈したが最後、人格まで含めてぼろくそに罵倒されることになるだろう。それくらい両者の対立は根が深い。

そんな学説のみならず感情までもが入り混じって泥沼の如き様相を見せている邪馬台国論争に終止符を打つべくしゃしゃり出てきたのは、我らがララ・クロフト姐さんであった。
ちょっと前に"邪馬台国四国説"という新たな学説が登場して、あんまり相手にされていなかったが、ララさんの新説はそれよりさらに意外なところを指し示す。
日本列島のさらに南方の孤島。魏志倭人伝に記された水行十日はともかく、陸行一月の方はまるで当てはまらないような気もするが、ララさんにとっては理屈の合う話なのだろう。
「私はロープ付き弓矢とかでショートカットして進めたけど、それがない古代人は、あの入り組んだ島を巡るだけで、ゆうに一月はかかるわ」

そしてララさんはついに見つけた。邪馬台国の遺跡を。それを彩る仏教や浮世絵が混在した数多の祝祭品と、そして決定的証拠である女王卑弥呼の棺と、ついでにその末裔も。
悪者に追われた挙句に迷い込んだところが邪馬台国とあっては、今まで頑張ってに仮説を積み重ねてきた両学派の人間にとっては、まるっきり立つ瀬のない話だが、とにかく発見してしまったものは仕方がない。
例のゲーム史に残る名セリフ、「ここが邪馬台国ね!」が発せられるワンシーンは、日本人プレイヤーだけが特権として味わえる、『tomb Raider』の隠れたクライマックスだろう。
あの瞬間にオレの頭に鳴り響いたのは、70年代ディスコヒット一発屋パッショナータの、"Himiko"という迷曲であった。
やれラスプーチンだのやれジンギスカンだのと、歴史上を有名人を引っ張りだしてムリヤリ曲にする当時の流行りに便乗して、フィリピンのナイトクラブあたりにいたお姉ちゃんたちに日本語ちゃんぽんで歌わせた、企画臭プンプンの一曲だ。
しかしそんな胡散臭い曲も、ララ姐さんが発見した邪馬台国と卑弥呼を目の当たりにすると、途端に真実の卑弥呼像を描いた真っ当な曲に聴こえてくるから不思議なもんである。

日本の古代史を書き換える世紀の大発見を果たした我らがララ姐さん。とにかくこれで長きに渡る邪馬台国論争に、ついに決着がついたのだ。ララ・クロフトが見つけ出した様々な物証の前には、どんな反論も無効だろう。
惜しむらくは。姐さんはいっつも自分が発見した遺跡を自らの手でメチャクチャにして立ち去るのが常で、その辺がララ・クロフトの考古学者としての資質を大いに疑うところだが、今度来る『Rise of the Tomb Raider』では、果たしてどんな大発見の後に、それを自分で台無しにするのであろうか。
できればララ姐さんにはあのまま日本に残り続けてもらって。「これが徳川の埋蔵金ね!」だの、「こんなところにピラミッドとキリストの墓が!」だのと、大いにこの国ではっちゃけ続けて欲しくもあったが。
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2015/10/07 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
長かったペナントレースも一段落し、これからクライマックスシリーズに向けて再び盛り上がる2015年プロ野球。
そしてこの時期は多くの選手が、その進退を明らかにする季節でもある。
山本昌、西口、斎藤隆、今年はまたレジェンド級投手の現役引退が目立つシーズンとなってしまった。
しかし燃えつきるまで投げることのできた彼らはまだ幸せだ。
身体にとんでもない負荷のかかる動作を一日に何度も繰り返す投手は、常に故障と隣合わせの運命。
今までどれだけの投手が、一瞬の輝きの後に肩や肘の故障で無念を抱いてマウンドを去ってきたことだろうか。

ここにも燃えつきることができず、志半ばにしてグラブを置いた元投手がいる。
メジャーリーグの一線級投手として活躍していたマカリスター。彼が肩の故障を発症したのは、よりによってプロ野球最高の檜舞台であるワールドシリーズの真っ最中であった。
それだけに彼の無念はアルプススタンドの最深部よりも深い。
無念を通り越してもはや怨念となった彼のマウンドへの想いは、世界一業の深いゲームメーカー、グラスホッパー・マニファクチュアが運営する怪しげな廃遊園地へと引き寄せられるのであった。
そこでマカリスターは新たな左腕を手にする。現役時代のそれを凌駕する豪腕を。もし現役時代にマスターしていたら、完全試合を100回くらい達成していそうな数々の魔球を。
そして彼に代わって肩と肘を酷使するのは、Kinectというこれまた因業なデバイスをうっかり手にしてしまったプレイヤーであるのだ。

オーバースロー、スリークォーター、アンダースロー、マサカリ投法にトルネード投法、なんだったら背面投げだって、マカリスターに成り代わるピッチングフォームは、あなたの思いのままだ(まあアンダースローや背面投げは、投球動作としてKinectに認識されない可能性が高いが)。
しかしこの新たなマウンドでは、並み居る強打者ではなく、次々と押し寄せる悪魔のドールたちを、文字通りその豪速球で砕く仕事が待っている。
調子に乗ってトルネード投法を始めた者たちは、ドールの襲来にフォームが追いつかず背筋を痛めて、慌ててKinectでポーズをかける方法を探すのがオチだろう。
100球制限、中6日のインターバル、投げ込み練習の緩和。選手生命を伸ばすために最近ではピッチャーの環境が見直されてきている。
だがここはメジャーリーグではなく、熱投を見守る生者の姿がない魔界の廃遊園地。そんな甘っちょろい保護は期待するだけムダだ。

後を託す中継ぎ陣も、程よいところでマウンドから降ろしてくれる投手コーチも存在しない。
わらわらと押し寄せる化け物どもを相手に、肘も肩も壊れよとただひたすら球を投じ続け、もう100球なんて基準はとっくに超えた。
それでもこの怨念のマウンドは立つ者を許してはくれない。
カーニバルの的当て気分で、面白がってボールを投げていたのも最初のうちだけ。やがてはこの地獄の反復運動に、まず先に自分の心のが泣きだすだろう。肩や肘が悲鳴を上げるのはその直後だ。
それでもゲームは、ドールの襲来は淡々と続く。その遥か向こうから響いてくるのは、グラスホッパー・マニファクチュアの悪魔のささやきだ。
「マウンドで死ねれば本望なんだろう?」と。
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2015/10/09 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
「あのときこうしておけばよかった……」の連続なオレの人生において、数少ない正しかった判断が、高校進学時に共学校を選択したことだ。
青春真っ盛りの時期に、身近に異性がいる場合と、それがまったくいない学校生活は、その後の人格形成に大きな影響を与えるような気がする。
男子校。なんと怖ろしい響きを持つ言葉なのだろう。そこは同世代の野郎ばっかりしか存在しない砂漠のような空間だ。
そこには異性との会話も鞘当てもない。ただ性欲だけは旺盛な男たちが、異性の視線をまったく意識することなしに蠢き続けているのだ。ダンテの地獄編もかくやの光景である。

名門の呼び名も高い私立藤森学園も、その一方で男子校という救いがたい業を持った高校であった。
いくら偏差値が高かろうが、スポーツが強かろうが、そこに異性がいない限り、それらはすべて虚しい作業と化す。
全国大会に出たところで、そこに女子の黄色い声援がなかったら、いったいどうやってモチベーションを保てと言うのだろうか。
そしてエリートの考えることは、どこかぶっ飛んでいる。それを解消するために生み出されたのが、"姫制度"だ。
一年生の中から容姿端麗な生徒を選抜して女装をさせ、アイドルとして乾いた学園内に潤いをもたらそうという、常人には理解不能のシステムだ。

オレがクソ真面目に部活をしているときに、女装した同級生が「頑張ってくださいねー」などと裏声でほざきながらこちらに近寄ってきたら、ただちに「突きー!!」と、その喉元に竹刀の先端を打ち込んでやるところだが、しかしそれは共学校で青春を過ごした人間だから言えること。
男子校という煉獄のような世界で、もし大島薫レベルの同級生から励ましの声を送られたら、それなりに舞い上がってしまうものかもしれない。
この姫制度で話題になり、アニメ化や海外進出まで果たしてしまった、つだみきよのヒットコミック「プリンセス・プリンセス」。
女っ気がほとんど無く、しかも女装男子が主人公と言うことで、なんとなくBLものの範疇(原作者のつだみきよは、元々蔵王大志のペンネームでBL漫画を数多く上梓してきた人だ)に括られそうな本作だが、基本的に彼らは嫌々(?)女装しているだけのノンケ。同性同士の恋愛沙汰の要素は一切無い学園コメディだ。

勢いを駆ってプレイステーション2でゲーム化されたのが、この『プリンセス・プリンセス 姫たちのアブナい放課後』。
主人公である青髪の姫、河野亨の立場となって、怪談チックなオリジナルエピソードも交えた原作準拠のストーリーを追っていく、ごくごくオーソドックスな原作ものアドベンチャーゲームである。
キャラクターやシチュエーションに関する説明らしい説明がほとんど無い、原作ファン以外はほぼお断りの造りで、原作未読の人間には姫制度や、立ち絵が頻繁に入れ替わるやたらと多いキャラクターの相関を把握することすらできず、置いてきぼりになるのがオチかもしれない。

ファンにとっても、原作キャラとは似ても似つかないイベント絵が散在するビジュアルは、ちょっとばかり困りもの。
しかし、学園ものADV数あれど、女装状態のまま送る青春友情アドベンチャーなんてシチュエーションは、なかなか他にはない(そりゃそうだろう)珍味であろう。
原作も入手しやすいと思うので、手を出してみるなら是非とも原作を読んでからのプレイをオススメする。野郎ばっかの地獄の中でちやほやされる紅一点(正確には三点だが)気分、満喫していただきたい。
(記事編集) https://bonkura360.blog.fc2.com/blog-entry-2388.html
2015/10/11 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |