- 【小倉優子の片思いグラフティ】ゆうこりんの一里塚 [2015/09/02]
- 【爆笑!! オール吉本 クイズ王決定戦】吉本のゲーム事業参入 [2015/09/04]
- 【よしもと麻雀倶楽部Deluxe】吉本芸人と暗黒ポリゴン [2015/09/06]
- 【決戦Ⅱ】市川染五郎孔明見参 [2015/09/08]
- 【State of Decay: Year-One Survival Edition】倦怠な日常 [2015/09/10]
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一つの惑星の滅亡と再興。
なにやら壮大な宇宙叙事詩めいているが、ここ数年のうちに小倉優子界隈で起こったことである。
「こりん星、無かったと思ってますよね?」
本人自らそうのたまうスマホゲーム『ポケコロ』のCMを前に、多くの人が「無かったと言い出したのは、そもそもお前だろ!」とツッコみを入れただろうが、しかしこりん星ギミックに絡んだ彼女に対する風当たりを思えば、彼女がここで開き直ってギミックをリセールしだすのも理解できる話である。

例えばの話だが、もし人食い人種キャラで売っていたプロレスラーのジャイアント・キマラが、「実はオレ、アフリカの未開人じゃなくてミシシッピー生まれのアメリカ人。英語通じます」とカミングアウトしたとして、「嘘をついていたな、コノヤロウ!」と怒る大の大人が果たしているだろうか。
それを考えると、「こりん星やめました」宣言の後に小倉優子を襲った度を越したツッコミが、いかに不条理なものであったかが理解できるだろう。
そんな彼女も今や人の母。ミルク代補填のために、ちゃっかりこりん星を再興しようが、いちいち目くじらを立てることもないだろう。たとえその新こりん星が、アコギなスクラッチガチャの星であったとしてもだ。

こりん星で売り出し始めていた頃の小倉優子は、なぜかゲームやアニメなどオタク系のコンテンツと親和性が高いように誤解されていて、その手の雑誌表紙やCMなどに起用されることも多かった。
しかしその後のゴルフ、焼き肉、FX、ママドルと続く彼女の遍歴を見れば、彼女がオタ的な資質とはおよそかけ離れていた、むしろ正反対なパーソナリティであったことは明白だ。
この一時的な方便としてのオタ方面への擦り寄りが、後にネット界隈で彼女が忌避される要因の一つとなったのではないだろうか。

そんなオタ系擦り寄り期の真っ只中にリリースされた彼女のイメージビデオは、ゲーム系メディアに露出しまくっていた時期を反映してか、DVDプレイヤーズゲームの体裁をとっているのであった。
通学路が重なる他校の美少女。もちろん小倉優子だが、その彼女に思い切ってアプローチをかけようとすると、出てくるのは二つの選択肢。手紙を渡すか、さり気なく挨拶するか。
とりあえず手紙というオタクらしいアプローチを選ぶと、気味悪がった彼女は通学路を変えてしまいゲームオーバー。リアル小倉優子がオタク的な態度とはおよそ相性が悪い事実を露呈して終わってしまう。

正解はさり気なく挨拶。
それも実際は後ろからいきなり肩をぽんぽん叩いて「よう」と声をかける、オタクならずとも「それをさりげない挨拶とは言わんわ!」と文句を言いたくなるような挨拶だが、リアル小倉優子はこの手のリア充ナンパ野郎的なアプローチに弱いようだ。あっさりオチました。
この後続く、不正解の方を選べば一発ゲームオーバー(DVDプレイヤーズゲームの常で、即タイトル画面に戻される)の二択をなんとか切り抜けていけば、水着のサービスシーンを経て、やがて彼女の家で手料理にありつけるだろう。
多彩な遍歴を経て、今や料理ネタをメインにする地位に辿り着いたゆうこりんの手料理に、主人公も思わず「将来、優子ちゃんの旦那さんになる人は幸せだよね」の感想を漏らすが、それもやはり今となっては「当の本人に聞いてみればどうですか?」の話になってしまうけど。
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2015/09/02 | Comment (1) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
吉本興業というとすぐに思い浮かぶのは、お笑い芸人の一大プロダクションというイメージだが、その他にここは異分野の事業に積極的に乗り出すアグレッシヴな総合企業の印象も強い。
不動産から旅行業者まで、本業とそれなりにリンクしたものから、まったく予想もつかないジャンルと、吉本が手をつけた事業はそれこそ多岐に渡るが、その中でも個人的にインパクトが強かったのが、90年代中期の
プロレスとゲームへの進出だ。
桂三枝(現・文枝)を謎の覆面コミッショナーに据え、鳴り物入りで旗揚げしたのは吉本女子プロレスJ'd。
その出だしこそ華やかだったが、エースが地味で華のないジャガー横田。
さらには業界四方に気を配りまくるインベーダーらしからぬ腰の低さで、たちまちのうちに女子プロレス界で存在感を失ってしまい、
いつの間にか吉本も手を引いて自然消滅してしまった。

一方、ゲームの方はどうだったかというと、既存のゲームメーカーとタイアップした『さんまの名探偵』やPCエンジンの『爆笑吉本新喜劇』をそのきっかけとして、次世代CD-ROM機の登場を契機に、いよいよ本格的に乗り出したこちらの事業の方も、かけ声に反してその結果はイマイチ冴えないものであった。
ゲームのマルチメディア化に乗って登場したメイド・イン・吉本ゲームの尖兵となったのが、この『爆笑!! オール吉本 クイズ王決定戦』。
テレビのクイズ番組を模してはいるが、出場するタレントはすべて吉本芸人、そしてインターバルに挿入されるコマーシャルも、すべて吉本の各種事業の宣伝。
吉本の吉本による吉本のためのゲームとは、まさにこのことだ。

出演する面々は、司会の島田紳助とアシスタントの大阪パフォーマンスドール武内由紀子。プレイヤーの代理となる回答者には、池乃めだか、坂田利夫、ジミー大西、今田耕司に東野幸治、ナインティナイン、女性陣に島田珠代、末成由美(ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃ)、小高紀子(ムチムチムッチン)。
豪華は豪華だが、いざプレイする立場になってみると、自分の分身としてキャラクターセレクトするには、どうにも抵抗感の残るメンバーである。

この面々による通常のクイズに加え、島木譲二の頭を灰皿で連打したり、ウォーリーならぬチャーリー浜を客席から探し出すなど、やはり吉本タレント出ずっぱりの各種ミニゲーム。
ちなみにチャーリーを捜せでは、隠れキャラのMr.オクレを見つけ出すとボーナスポイント。オレはついぞ発見することができなかった。
このメンバーの例のノリを、ゲーム特有のぎくしゃくした間の悪いテンポが足を引っ張りながら進行する内容で、最初の一回は物珍しさでなんとか楽しめるかもしれないが、二回、三回とプレイするともなると、なんともモチベーションの維持に困ることだろう。

3DOを自社のコンシューマゲーム事業参入への踏み台とした吉本は、以後プラットフォームをセガサターンに移し、ナイナイ主演のシュミレーションRPG『ファンキーファンタジー』と、やはりナイナイをメインに据えたコミカルボクシングゲーム『ファンキーヘッドボクサーズ』を立て続けにリリースするが、上げ潮のナイナイと吉本の威光を持ってしてもこれらは振るわず。
自社リリースを諦めて、『さんまの名探偵』以来再びナムコと組んだ『ナイナイの迷探偵』(またもやナイナイ!)は、ミステリAVGとしても完成度の高かった『さんまの名探偵』の名を汚す迷作に堕してしまい、女子プロレス同様、こちらの事業も先細りのままで終わってしまうのであった。
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2015/09/04 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
技術の発達により、役者や著名人がCGに姿を変えて画面中に登場するゲームも、すっかり違和感がないものとなった。
これがわずか10数年前、次世代CD-ROM機揃い踏みの頃は、もう何かと大変だったわけで、特に初代プレイステーション周りには、著名人がとんでもないCGに姿を変えて登場したゲームが群れをなしていたりする。
イケメンの役者ですらそうなのだから、もっと大変なのはファンキーな顔立ちを売りにしているお笑い芸人さんたちで、そんな面々が大挙して登場するゲームを3DCGで作ろうというのは、これはもう端っから無茶を押し通すような話だ。

芸能人麻雀対局番組というのは、なぜか昔から細々と途絶えずに続いている妙なジャンルだが、「よしもと麻雀倶楽部」は、関西ローカルで放映されていたその手の一本。
その名の通り吉本の芸人たちが麻雀を打つ様子を垂れ流す、誰に向けたんだか分からないような番組だ。
その番組が、これまた誰に向けたんだか分からないゲーム化。
そしてそれは次世代CD-ROM機に嫌というほど溢れている他の麻雀ゲームや、過去の吉本芸人フィーチャー麻雀ゲームと差別化を図るように、敢然と暗黒期の3Dポリゴンで勝負をかけてきたのだった。

「いらっしゃーい!」
卓で待ち構えるのは、微妙に等身の歪んだ上方落語界の大師匠たち。
その暗黒期リアル系3DCGが醸し出す不気味なオーラに、こちらは早くも「用事を思い出したんで帰ります」の声を押しとどめるのが精一杯だ。
桂三枝(現・文枝)、桂きん枝、月亭八方、チャーリー浜、桑原和夫、島木譲二、間寛平、中田ボタン、池乃めだか等々、麻雀を題材としているだけあって、登場するメンバーの年齢層がかなり高めであることが、この不気味なポリゴン人形の暗黒オーラを一層強める一因となっている。
登場芸人の中で比較的若手のメンバーが、トミーズの二人や村上ショージという事実が、ことの深刻さを物語っているだろう。

ならば女性陣はというと、こちらも今いくよ・くるよにハイヒールの二人に宮川花子に島田珠代。
ケチを付けるのも怖い面々だが、しかしもうちょっと華と言える存在がいてもいいではないだろうか(「ここにちゃんとおるでー」山田花子)。
芸人たちのCGモデルは、基本的に「できる範囲でなんとか頑張った」、「もうちょっとどうにかしようと思ったんだけど、どうにもならなかった」、「なんとかしようと頑張ったんだけど、途中でワケが分からなくなった」の三種に大別できる。
特にハイヒールモモコ姉さんなどは、もはや人権侵害の域に達してそうな具合で、必要以上にリアルな実年齢を醸し出しすぎた相方と同じ卓に並べると、実に味わい深い。

「各芸人の打ち筋に加え、お約束ギャグや口癖までも完全再現!」というサービス要素も、もはやありがた迷惑でしかない。
吉本流だか知らないが、チーポンチーポンとやたらせわしない麻雀にツモ順をがんがん飛ばされた挙句、その都度「すぽぽぽポーン!(村上ショージ)、「チーやで、グーやないで!(中田ボタン)」と、いちいち要らんギャグを挟まれると、理不尽な接待麻雀の場に臨んでいるような気分になってくること必至だ。

そんな吉本芸人たちの間だけで勝手に進行する麻雀を勝ち抜いたプレイヤーに対するご褒美は、山田花子の実写シークレット映像(パンチラ含む)。それはもうサービスを通り越して嫌がらせの領域だ。
後にサクセスの廉価版シリーズに組み入れられたため、比較的入手しやすいゲームではあるが、前田五郎師匠がメインでフィーチャーされていることもあって、何らかの形で再販されることは、ほぼありえないかもしれない。
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2015/09/06 | Comment (3) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
当時の家庭用ゲーム機としては驚異的なスペックをもったPS2の登場により、もっとも恩恵を受けたジャンル、それはタレントゲームであろう。
当の本人に顔を合わせられないようなCGモデルが横行していたPS1時代から一転、PS2の美麗なCGと、それに伴い向上した技術は、今まで暗黒CG化を避けていた綺麗どころたちをも、ゲームの世界に呼びこむとなった。
『決戦』は『真・三國無双』と並ぶPS2期のコーエーを代表するエポックメイクタイトル。
軍団規模でダイレクトに展開する戦場風景が新鮮だったリアルタイムストラテジーで、それまでのコーエーシミュレーションの殻を大きく打ち破った意欲作であった。

アグレッシブであったこの頃のコーエーは、その続編に於いてもさらに攻めの姿勢を崩さなかった。
関ヶ原の戦いを描いた前作から、今度はコーエーのドル箱三國志がテーマに。
さらに一部にキャラクターに実在俳優やタレントをモデルに起用して、話題性を得ることもしっかりと怠らない。
しかし『七つの秘館』に代表されるように、コーエーの著名人起用には昔からちょっとばかりクセがある。
そしてその妙な偏りは、本作では市川染五郎孔明という、このゲームの購買層のどこにヒットするんだか分からないキャラクターとなって結実するのであった。

その染五郎孔明と並ぶ関羽と張飛は、後々の無双シリーズですっかりお馴染みになる、あのモデリング(ただし無双キャラクターが定まる前なので、声優は別人)。
いつもの調子の関羽張飛のその脇で、市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)が軍扇を片手に諸葛亮孔明然として振る舞う光景は、クロスオーバーという言葉ではとても収まりがつかず、軽くめまいがしてくる。
この染五郎孔明に留まらず、『鬼武者』シリーズの金城武や松田優作もそうだが、俳優がその役柄を演じているというポジションが機能せずに、その人自身がダイレクトにゲームの中に登場しているような印象を与えてしまうのが、役者にゲームキャラクターを演じさせる試みの最大の問題点だろう。

貂蝉=中山エミリ、孫権の妹=野村恵里、ヒミコ=佐伯日菜子、孟獲=宮川大助、祝融=宮川花子。染五郎以外にも三國志ワールドへの闖入者はまだまだいる。
微妙にトレンドを外した、そして統一感のさっぱりない顔ぶれが、これまたコーエーの著名人起用らしいところだが、しかし『よしもと麻雀倶楽部Deluxe』では、「この人、いったい誰ですか?」としか言い様がない酷いCGモデリングを施されていた宮川花子姉さんなどは、実際よりも若干美形に描いてもらった上に、スタイル抜群のボディを与えられた今回のモデルは、本人にとっては満足のいくものではないだろうか。
もっともプレイヤーは、この人と旦那が祝融孟獲と称して繰り広げるいつもの漫才を前に、ただ無表情になるしかないのだが。

このピンポイント著名人起用に加え、荀彧や許褚は女、于禁はオネエキャラ(配下は于禁ガールズ)、劉備の幼なじみとかでやけに出しゃばってくるオリジナルキャラに、張飛の三人の娘は声がみんな前田愛(Aim)。
そして肝心の劉備と曹操は、延々と中山エミリを獲りあっている(天下はそのついで)と、「三國志なんて単なるモチーフだぜ」と言わんばかりに繰り広げられる突き抜けたやりたい放題は、あの無双シリーズがおそろしくクソ真面目で、けれんのないゲームに見えてくるほどだ。
しかしこの度を越しすぎた三國志異聞っぷりが祟ったのか、『決戦』シリーズの三國志編はこれ一本で打ち止め。
そして以後、コーエーの主軸が無双シリーズに収束されてゆくにあたって、微妙に被るところの多い『決戦』シリーズは、残念ながらそのまま棚上げされてしまうのであった。
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2015/09/08 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
どんなおぞましいゾンビハザードも、いつまでも非日常の世界であり続けることはない。
幾日も当て所なくそんな毎日が続けば、それはたちまち惰性の日常と化す。
増殖するゾンビたちに埋め尽くされた田舎町。生き残った人々は身体を寄せ合って建物に篭もり、襲い来るゾンビの群れから我が身を守ろうとする。
その家は急ごしらえの要塞だ。ゾンビを阻む高い塀に見張り台、救護施設やクルマを修理するガレージ。

そして人が集まって日々を過ごすには、そこには当然調理施設やダイニング、寝る場所といった生活の施設が必要となってくる。
かくして"ホーム"の一丁出来上がり。
終末世界のルームシェアといえば聞こえいいが、その実態はちょっとスケールの大きい貧乏学生たちの下宿生活みたいなもの。
自然とそこは、いしいひさいちが描く東淀川大学生アパートのような、怠惰な空気が流れる生活空間と化すのであった。

生活するには飯が要る。資材や医薬品、そして弾薬だって必要だ。
これらは空から降ってくるわけではないから、当然誰かが調達しに行かなけりゃならない。
「おい、食い物もう無いんだけど、誰かそこらの民家漁って獲ってこいよ」
「えー、やだよ、めんどくせえよ、お前行ってくれよ」
「オレは疲労がたまって走れなくなってるし、あいつはケガしてるし、お前しかいないんだよ。文句言わずに行ってこいよ!」
「あー、もうしょうがねえなあ……」
気力の感じられないキャラクターの端々からは、まるでそんな会話が漏れ聞こえてきそうな雰囲気がある。
終末世界のサバイバルといえば聞こえいいが、その実態はやはりアパートの一室で何をするわけでもなく数日ゴロゴロしているダメ学生たちの、飯の買い出しみたいな風景になってくるのだった。

「リュック忘れんなよ。持ち帰れそうなモノは目一杯持って買えるんだぞ」
「あー、いちいちうるせえなあ。分かってるよ、心配すんなよ」
「おい! ショットガンの弾、そんな持ってくなよ! 残り少ねえんだからよ!」
「いいじゃねえかよ、これくらい。外に行くのはオレなんだからよ。ゾンビの大群とかち合ったらどうすんだよ」
「棒切れかなんかでどうにかしろよ」
「お前じゃあるまいし、やだよそんなの! とにかく持ってくぞ、これ」
「おい待て! オレが出かけるとき困るだろうが、おい!」
弾薬という非日常的なアイテムも、この『State of Decay』の世界では、下宿に一本しかないボロ傘みたいな扱いだ。

給料袋を抱えた亭主を女房が心の底から歓待するのも新婚のうちだけ。無人の建物を回って食料や物資を拾い集めてきたって、ヒーロー扱いされるのも最初だけだ。
ゾンビの気配に怯え、心臓をバクバクさせながら物音を立てないようにタンスを漁っていたのは過去の話。
物資を調達してホームに戻るサバイバルも、数日も経てば相も変わらないルーチンワークになる。
そして気づけば近隣の建物は、もう全部漁り尽くした。どうすっか? じゃあ引っ越すべ。
お引越しは怠惰が続く日々の中では、目先の変わる唯一の心躍るイベントだ。それに大抵の場合は、引越し先は今いる家よりグレードが上がる。

「おー、ここが新しい家かー」
新居を訪れた一同も、みんな久々に表情が明るい。
しかし新居が"新"でいられるのも、やはり数日の間だけ。しばらく経てばせっかくの新居も、またいつもの怠惰なムードに包まれるのだった。
サバイバルシミュレーションなんて触れ込みとは裏腹の、ゾンビに囲まれた倦怠の日常。
そんな終わりのない生活に倦む日々が、真夏のぬるま湯のように感じられてきたら、それはもう『State of Decay』の他にはない奇妙な魅力に囚われたということだ。
ゾンビの腐った顔はもう見飽きた。でも一緒に暮らす連中の辛気臭い顔はもっと見飽きた。
でも連中のツラを拝む生活は、まだまだずるずると続く。ああ、この終わりのない素晴らしき倦怠な毎日よ!
<無印版の有料DLC二編をバンドル / 国内ストア未発売>
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2015/09/10 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |