- 【ジェットセットラジオフューチャー】混沌の街を駆けろ [2014/11/02]
- 【ズンバ フィットネス ワールドパーティ】ラテンの血が滾る [2014/11/03]
- 【Pinball Arcade】The Phantom of the Opera [2014/11/05]
- 【Forza Horizon 2】マイ愛車遍歴サウンドトラック [2014/11/06]
- 【犬王 地球を救う】アイディアファクトリーの古代史 [2014/11/08]
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セガが「クール」という言葉を自ら持ち出すようになったのは、サターンのThis is coolキャンペーンの頃だったろうか。
しかしその根拠となったのは、海外ジェネシスで「マリオと比べればソニックのほうがクールだぜ」と言われていた程度の、実にあやふやなもの。
むしろ世間一般では小洒落たSCEに比べてゲーオタ御用達の泥臭いセガという認識が強く、クールとはむしろ間逆なイメージであった。
それが覆ってきたのが、「セガなんてダセえよなあ」なんて自虐広告を全面に出した初期ドリームキャストの頃であったのは、皮肉といえば皮肉な話だ。

白とオレンジに代表されるポップなトータルイメージの下、それまでのセガゲームの文脈からは考えられないようなカラーを持った『スペースチャンネル5』、『ROOMMANIA#203』、『ジェットセットラジオ』の三作が立て続けにリリースされた2000年前半は、This is cool時代は思い切り空回りしていたセガのクールイメージが、確かな形となって昇華した絶頂の瞬間であったかもしれない(その合間に『シェンムー』も出てたりしてるけど)。
ミレニアム前夜、ドリームキャストは間違いなく最強で最先端のゲームマシンだったのだ。

セガがハード事業から撤退し、その資産が他のハードに分配されていったとき、『ジェットセットラジオ』を引き継いだのは、"ドリームキャストの受け皿"的な側面がまだあった頃の初代Xboxだった。
Xboxの華々しい船出に際して贈られたのは、『ジェットセットラジオ』の事実上の完成形。
タイトルに冠せられたフューチャーの文字はダテではなく、そのスピード感と解放感がさらに研ぎ澄まされた手応えは、あれだけ興奮させてくれたドリームキャスト版の前作を、あっという間に前世代に追いやってしまうほどであった。

"ふさふさ"の負の衝撃に固まるこちらのテンションをアゲてくれたのは、メンバーがメインテーマに乗ってシブヤの街をひたすら駆け巡る、アーケードゲームのデモ画面的構成のオープニングタイトル。
野暮な状況説明もドラマ仕立てのムービーもない。ただシンプルに街を疾駆するだけのデモに、こちらのハートは早々と鷲掴みにされてしまう。
「この不吉な面構えをしたゲーム機を、重たい思いをして持ち帰ってホント良かった」と、スタートボタンを押す前から確信させてくれた、最高のオープニングデモだった。

時代性もこのゲームをたっぷりと後押ししてくれた。
セゾンの魔手から解き放たれ、猥雑かつエネルギッシュに街全体が煮えたぎっていた90年代の渋谷は、このゲームを彩るもっとも強力なマジックだ。
今、世界中を見渡してみても、この時代の渋谷に匹敵するような、混沌としてカラフルな色彩とエナジーに満ちた舞台は他にはないだろう。

まだ90年代の狂騒がそこかしこに残っていた2002年の渋谷。日本におけるXboxの歴史はこの街から始まった。
街中を埋め尽くした黒字に緑のXboxロゴ。渋谷TSUTAYAに姿を現したビル・ゲイツ。そしてその最強のロンチタイトルである『Jet Set Radio Future』の面々が駆け出した先も、やはりシブヤの街であったのだ。Understand, Understand, The Concept of Love!
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2014/11/02 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
元旦には鳥居をくぐり、節分にはイワシの頭を掲げ、桜が咲けば浮かれ、端午の節句には柏餅をむさぼり食う。
玄関では律儀に靴を脱ぎ、炊いた白米を食らい、盆には墓参りをする。
そんなこてこての日本人なオレだが、実は自分にはラテンの血が流れていることに気づいている。
オレの先祖は代々武州多摩の百姓なのだが、そんなのはオレの中にたぎるラテンのスピリットの前には些細な事実でしかない。
さもなくばどうしてズンバの調べに、こうもウキウキと体が動いてしまうのか説明がつかないではないか。

ブラジル、ハワイ、インドにプエルトリコ。ラテンの血とズンバのリズムと共にオレは世界を巡る。
ズンバを通して体験するこれらの国々は、なんとエキゾチックで綺羅びやかなことだろうか。
例えしまむらで買ったステテコ一丁で部屋の中にいようが、外から石焼きいも売りの野暮な声がいくら響いてこようが、オレの心は海を越えて遥か異国にある。
何を大袈裟なという人もいるかもしれないが、体を動かしているだけで幸せになれるようなZUMBAダンスと、『ズンバ フィットネス ワールドパーティ』の、まるでミュージカルのようにキラキラとして、とことん浮世離れした画面のコラボレーションを前にすれば、そりゃあこちらだって自然とハッピーを通り越した脳天気な気分になってこようというものだ。

それくらいZUMBAダンスの中毒度は高い。
『ダンスエボリューション』に『ダンスセントラル』など、世にダンスをテーマにしたゲームは数多いが、それらのゲームと比べて『ズンバ フィットネス ワールドパーティ』は、純粋なダンス自体の楽しさでは遥かに群を抜いている。
動きのパーツをゲームに合わせて組み立て上げた他のダンスゲームと違って、ズンバのそれは生のダンスルーチンとして徹底的に練り上げられたものだから、ダンスとしての質の高さが段違いなのは、そりゃあ当たり前といえば当たり前の話なのかもしれない。

その代わりダンス"ゲーム"としての造りにおいては、『ダンセン』や『ダンエボ』に比べて『ズンバ フィットネス ワールドパーティ』のそれは非常に大雑把だ。
個々のダンスムーブやルーチンの成否を、スコアや目標に換算するような要素がおよそ希薄だし、プレイ時の基準となるズンバストリークの判定もめちゃくちゃ甘い。
コツはインストラクターの動きをこじんまりとトレースしようとせず、細かいとこはアバウトでもいいからダイナミックに体を動かすことなのだが、おそらくそれを特に意識せずとも、5つ星判定をばしばしと取ることができるだろう。

だがそんなゲーム性の薄さなどは、重たい体よりも先に心がフライングして踊ってしまいそうなズンバの前には、一切気にならなくなる。
『ズンバ フィットネス ワールドパーティ』の、とことんアッパーで装飾過多気味な画面とズンバサウンドに身も心も委ねていると、そのうち自分がミュージカル映画の一員になったように錯覚してくるかもしれない。
日常感に満ちた自宅の中に降って湧いたエキゾチックなファンタジー空間。
気づけばいつの間にか汗が滴り落ち、息遣いも荒くなってくるが、それすらも心地よいと思わせてしまうのがズンバの魔力だ。
ストイックなフィットネスワークアウトとは対極にあるような、快楽のフィットネスがここにはあるのだ。
こてこての日本家屋の中で感じる、リオの喧騒にキングストンの熱狂にアカプルコの潮風。ズンバと巡るエスニック世界旅行。
さあ、『ズンバ フィットネス ワールドパーティ』で、今こそ自分の中に眠るラテンの血潮を呼び覚まそう。
(記事編集) https://bonkura360.blog.fc2.com/blog-entry-2192.html
2014/11/03 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ピンボールマニアではないそこらのゲーム好きにとって、ピンボール台との出会いは、行きつけのゲームセンターにどの機種が入荷するかによって左右されると思うが、この度『Pinball Arcade』のラインナップに新たに加わった『The Phantom of the Opera』(データイースト)は、オレ個人にとっては近所のゲーセンに長く居座っていた、とても思い出深い台だ。
ゲーセンの一番奥深く薄暗い場所に、漆黒のまるで棺桶みたいな筐体がどかっと鎮座している様は、とてもインパクト大だった。
強烈だったのは筐体だけじゃない。
ファントムの仮面が白く浮かび上がる、陰影の付け方がとても印象的な素晴らしいバックグラス部分に、さらにフィールドに目を移すと、そこにはゴシックホラー調の色彩とパルプマガジン風のイラストレーションを絶妙に絡み合わせて、それをきめ細かく敷き詰めた圧巻のビジュアルデザイン。
その見ているだけで一日中飽きないような、禍々しくも荘厳なルックスは、ちょっと淡白なゲーム性を補って余るほどだ。

アミューズメントパークの記憶は、視覚よりもむしろ聴覚のほうが焼きついて残るものだが、この『The Phantom of the Opera』も、そのデザイン以上にサウンド面の印象が強く残っている。
ゲーセンの中でビデオゲームに数でも人気でも劣勢を強いられるピンボールは、それに対するせめてもの抵抗のためか、音関係の自己主張がやたらと強かったりするが、『The Phantom of the Opera』も例外ではなく、他のビデオゲームを遊んでいる時でも、このピンボール台が時折奏でるパイプオルガンの演奏と、ファントムの高らかな笑い声には、思わず何ごとかと目をやってしまうほどであった。

さすがにWilliamsやBallyのめぼしい台は、いいかげんもう出尽くした感のあった『Pinball Arcade』だが、今まで手付かずだったデータイーストピンボール(デコピン)が、『The Phantom of the Opera』を皮切りに、いよいよラインナップに加わってきたようで、今後の期待も改めて高まってきた。
『Playboy』、『Monday Night Football』、『Apollo13』(世にもバカバカしい13個マルチボール!)、『Hook』に『The Simpsons』など、日本のアーケードに馴染み深い台を多く擁するデコピン(版権物がやたらと多いのは、『Pinball Arcade』化に際しては高いハードルとなりそうだが)。
中でもオレが強烈に待ち望むのは、初期の傑作『Time Machine』なのだ。大丈夫、『Pinball Arcade』ならば充分期待できそうさ。
この記事に含まれるtag : ピンボール
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2014/11/05 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ホライゾンラジオステーションは確かにステキな存在だが、しかし欠点が一つだけある。各局ごとの収録曲の少なさだ。
これは『Forza Horizon 2』に限らず、『GTA』シリーズなどゲーム内ラジオ局を有するすべてのゲームに当てはまることだが、一つの局をずっとかけていれば、曲がぐるんぐるんと同じローテーションでリピートされてしまう。
さすがにHorizon XL局のラインナップも耳にタコができてきた。イベントに関わらない通常のドライブ時には、そろそろラジオに代わってカーステレオの出番となってもいい頃合いだろう。
以前はゲーム中にスナップさせて使うことができなかったXbox Oneのメディアプレーヤーが、アップデートにより待望のスナップ機能対応となった。
クルマには各人それぞれに、その思い出にまつわる様々な音楽が付きものだ。
さぁ、メディアプレーヤーをスナップさせて、オレ専用の愛車遍歴サウンドトラックを再生させようじゃないか。

そのコマーシャルは、まだガキンチョだった頃のオレのハートをハードヒットした。
ホンダCR-X。シビックの流れを汲む小型スポーツカーで、ライトウエイトスポーツという言葉の走りとなったクルマだ。
80年代の自動車コマーシャルは、今では考えられないほど小洒落た内容が多かったが、当時新進気鋭のニューウェーブ系デュオだったサロンミュージックの曲をフィーチャーしたCR-XのCMは、その極めつけみたいなものだった。
このタイプの小型スポーツカーを、今の感覚でCM打つとすると、おそらくその走りの鋭さや軽快な疾走感を全面にアピールするのだろうが、初代CR-Xのそれはおよそ真逆の方向性だ。
今でも現役のサロンミュージックも、その頃は知る人ぞ知るような存在。
当時のパンクニューウェーブっ子御用達だった、TRAというカセットテープ付き雑誌で曲を知り、既にサロンミュージックのファンであったオレは、それが大胆にも起用されたCMに釘付けとなり、そしてライトウエイトスポーツ、別名「甲斐性のないオレたちでも買えそうなカッチョいいスポーツカー」という新たなクルマのカテゴリーに胸をときめかせた。
「将来免許を手にしたら、まずこのクルマを買ってモテよう! 友だちを恋人にクラスアップさせよう!」
レコード屋にすっ飛んで買ってきたこのCM曲、サロンミュージックの"Spending Silent Night"(同デュオの国内デビューシングルだったと記憶している)を、何度もリピートさせながら、オレは固く胸に誓ったのだった。

そんな誓いも虚しく、それからしばらく後、免許を取得したオレが初めて握ったのは、バイト先のポンコツなスズキ・マイティボーイのハンドルであった。
サロンミュージックの予定がなぜか東京JAPに。モテともライトウエイトスポーツとも、およそ対極にあるようなクルマである(このクルマをホライゾンに出せるものなら出してみやがれ!)。
まあガキの時点で、ポルシェやフェラーリではなくCR-X手に入れてやると妥協しているあたりが、既にオレという人間の限界を物語っていたのかもしれない。
その後、紆余曲折あって頑張ったオレが初めて手に入れた愛車。それがこの度配信された『Forza Horizon 2』のカーパック第2弾に収録されているスバル・レガシィRS(パックは有料だが、レガシィ単体は無料となっているので、みんなじゃんじゃんダウンロードしよう)。

マイ元リアル愛車が、ついにホライゾンの世界にお目見えである。
速攻でこれを落としたオレは、急の雨にも負けず(むしろホライゾンで雨はドライブに彩りを与えてくれる恵みの存在だ)、悪質ドライバターにもめげず、Xbox Liveの大型障害にもめげず、一晩中ずっと思い出のレガシィを乗り回していた。
座ったことのない高級スポーツカーのシートと違って、レガシィの運転席視点は、まるで懐かしの我が家のような暖かさがある。
インパネの灯りの何もかもが懐かしい。そしてそこから目を上げると、フロントガラス越しにあるのは南欧の街。
その夜景が、かつて実写レガシィ越しに見た東京の景色と重なってゆく。

昔つきあっていたある女の子を、オレはよくこのレガシィで頻繁に送り迎えしていた。
お呼びがかかるのはたいてい夜中で、そんな時に車内でかかるのは、彼女が大好きだった、かの香織(そういやかの香織の存在を知ったのも、カセットマガジンTRAだ)のCDと相場が決まっていた。
レガシィ、雨に濡れる街の夜景、かの香織の風邪っぴきみたいな歌声。これらは三位一体となってなんともせつない思い出となり、オレの心の片隅に、いつまでも未練がましく残り続けているのだが、ホライゾンの夜の街で、かの香織の曲をバックにレガシィを転がしていると、この記憶がぶわーっと胸の中に溢れかえり、「もしかしてオレは体の良いアッシーとして使われていただけなんじゃないか」と、何故か涙がこぼれそうになってくるのだった。
みんなも『Forza Horizon 2』で再現しよう。自分だけのクルマ遍歴とそのサウンドトラックを。そして苦い思い出を。
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20年といえば生まれたての赤ん坊が成人にまで達してしまう年月だ。
大手の老舗ですらも経営不振やら合併やらで名前の存続が厳しくなっている昨今のゲーム業界で、20年もの長きにわたって第一線でゲームソフト会社を継続していくのは、並大抵のことではあるまい。
そんな荒波にもめげず、このたびめでたく創立20週年を迎えたメーカーがある。
アイディアファクトリー、通称IF。
ニッチとはいかないまでも、需要の割に層が薄そうなジャンルに目ざとく根を下ろし、分をわきまえた適度な多機種展開(ここは初代Xbox時代から、さり気なくマイクロソフト系ハードにもソフトを供給している)や海外戦略など、実に手堅くしたたかな立ち回りが特徴的なメーカーだ。

しかし初代プレイステーションの初期に、『厄』や『厄痛』といった意味不明なゲームを立て続けに送り出していた頃のアイディアファクトリーを知る者にとっては、当時のIFと現在の堅実メーカーIFのギャップに、果たしてこれが同一の会社であるのかと半信半疑になるかもしれない。
だが、分裂症みたいなゲームばっか出していた創成期 → まみむめ☆もがちょ → 外野にはまったく区別の付かないシュミレーションRPG大量生産 → 乙女のお供と、隙間を狙いすぎたのが災いしてあまりに支離滅裂な歴史も、当のアイディアファクトリーにとってはきちんと一貫性のあるものであった。
同社の歴史がフォトCDゲームという、これまた隙間なジャンルから産声をあげたことは以前にちょと触れたことがある。
フォトCD規格の画像サーチ機能を利用して、スライドショーを無理矢理ゲームらしきものに仕立て上げた、IFでなければ思いつかないようなこのジャンル。
パソコンやフォトCDプレーヤー、3DOにPC-FX、一部のサターンなど、フォトCD再生機能を備えた機械ならいずれでもプレイ可能なのが、その最大のセールスポイントだ。

『名探偵スチールウッド』を皮切りに、『マルスブレイド』、『ダークチェイサー』、『炎の女麻雀士 京子』と、設立間もないIFはこのフォトCDゲームを数点リリースし、そしてそれらはものの見事に歴史の狭間に埋もれていったのだが、世間に忘れられても初心は忘れないIFは、このフォトCD時代のゲームタイトルを、その後の作品にたびたび引用してきた。
そしてIFフォトCDゲームの最後を飾るタイトルであり、『厄』や『CG昔話し じいさん2度びっくり!!』などの、PS時代の作風に繋がる重要な布石となったこの『犬王 地球を救う』も、後の『スペクトラルフォース』シリーズのキャラクターとして、その名がしっかりと再登場しているのであった。

その『犬王 地球を救う』の自己申告ジャンル名は"アホゲーム"。
アホの自称は坂田利夫を例外として、およそアテにならないものと相場が決まっているが、まあいわゆる脱力系ギャグの線を狙ったコミカルアドベンチャーゲームだ。
ADVといってもスライドショー機能頼りのフォトCDゲームは、必然的にデジタル紙芝居とならざるを得ず、そしてこれまたIFが厚かましくも"パズル"だと主張するバトルパートも、8つの数字の中から1つを選んで、当たりが出たら勝ち、ハズレが出たら負けとなるだけの、駄菓子屋くじレベルのシロモノ。
写真を閲覧するための規格をゲームに仕立て上げるのは、元々が無理のある作業であったが、それを騙し騙しなんとかやってきたIFフォトCDゲームシリーズも、最後の最後で上滑りする脱力系ギャグによって馬脚を現すのだった。
そんな原点にして鬼っ子のフォトCDゲームも立派なIF20年史の一つ。その存在をどうか片隅にでも留めてやって欲しい(例えIFが「忘れてくれ!」と懇願してこようとも)。
この記事に含まれるtag : アドベンチャーゲーム
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