- 【オールスター麻雀 ~華麗なる勝負師からの挑戦~】 [2014/06/02]
- 【スーパーリアル麻雀 同窓会】ビッチたちとの再会 [2014/06/03]
- 【メダル・オブ・オナー 史上最大の作戦】地獄のオマハ・ビーチ [2014/06/05]
- 【バイオニックコマンドー】ゴムで翔べ! [2014/06/07]
- 【ミントン警部の捜査ファイル 道化師殺人事件】 [2014/06/09]
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オールスター。華やかな言葉だが、しかし万人が認めるオールスターの定義というのも、なかなかハードルが高いものである。
現在ファン投票が始まっているプロ野球のオールスターにしたって、野球に興味のない人間からしてみれば、素性のしれないおっさんたちの集いでしかないだろうし、ましてや私が今、投票フォームにせっせと書き込んでいる古谷やカルロス・ロサ、江村にクルーズといった顔ぶれは、野球ファンからも「それのどこがオールスターだ!?」とツッコミが入りそうだ。
オールスター競輪やボートレースオールスターなどは、多少競輪や競艇をやる私にしたって、「この地味なオヤジたちがホントにオールスターなんですか?」なんて質問をされたら答えに窮するくらい、オールスターの言葉が板についてないことおびただしい。
とにかくオールスターは、中身を伴わせることが大変難しいフレーズであるのだ。

そしてここにやはりオールスターを名乗るプレイステーションソフトが一つ。
各界の著名人を一堂に介して一緒に麻雀を遊びましょうというコンセプトだけを聞くと、いかにもオールスターらしい華やかさが漂ってくるが、しかし実際に集った面々が、スターと呼ぶにはコクがありすぎるというか、ぶっちゃけ人生の旬を過ぎた人たちばかりとあっては、こちらのワクワク感もとたんに萎んでくるのであった。

阿川佐和子、安部譲二、飯島洋一、生島治郎、石田芳夫、大沢在昌、小田島雄志、北山竜、栗本慎一郎、黒鉄ヒロシ、小林千登勢、階G子、田村光昭、筑紫哲也、中井広恵、中原ひとみ、畑正憲、藤田敏八、そして柳家つば女師匠。
作家に映画監督、漫画家に棋士、学者に女優。幅広いジャンルから集った総勢19名のスターたち。

昭和期の竹書房麻雀最強戦。あるいは話の特集主催の内輪麻雀大会を彷彿とさせる面子に、こちらもつい「僕らが麻雀一緒に打ちたいスターって、こういう顔ぶれじゃないんですけど…」なんてボヤキが出てきそうである。
女優さんを交えて場を華やかにする配慮も、これではありがた迷惑の域。あの、小林千登勢さん。対局中に化粧直しばっかするのは、お願いだからやめてください。
結果としてこのゲームのマドンナ的ポジションに就くのは阿川佐和子さん。財界のオヤジじゃねえんだから、そんなの嬉しいわきゃねえだろ!

しかし女性ならまだましな方。安部譲二、生島治郎、畑正憲ら作家連中と卓を交えていると、麻雀を楽しんでいるというよりは、まるで誰もやりたがらない接待係を、断りきれずについ引き受けてしまったような気分だ。
しかもこのこってりと濃い面子が、本人ボイス付きの実写取り込みでこちらに相対してくるとあっては、もう画面を見ているだけで胸焼けを起こしそうである。
上がって満面の笑み、振り込んでどんより落ち込む。人生の酸いも甘いも噛み分けた大家たちに、対面でそんなリアクションを取り続けられたら、こっちはもう麻雀どころの騒ぎではない。

さらにストーリーモードでは、これらの面子を相手にフリー雀荘で1千万円を貯めるのが目的とあっては、なおのこと穏やかではない。
1千万円貯まるレートの麻雀というのも、相当のものだと思うが、もし最中に警察に踏み込まれでもしたら、私と一緒に筑紫さんや栗本センセイも揃って引っ張られるとでもいうのだろうか。
もしそうなったら、あの御仁と留置場の中でどんな会話をして暇をつぶせばいいのか、これまた困りものである。
そもそもどうしてこんな不思議な企画が持ち上がって、どんなコネやしがらみでこのメンバーが選ばれたのか、その辺の裏事情が気になってしょうがない麻雀ゲーム。
自分の両親みたいな世代のメンバーに囲まれて気の乗らない麻雀を打ちながら、私はここでもオールスターという言葉の実態のなさを噛みしめるのであった。
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2014/06/02 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
麻雀プロに著名人にドリームクラブのホストガール。
今までに様々な人たちと、ビデオゲームを通じて麻雀を一緒に打ってきたが、その長きに渡るデジタル麻雀生活の中で、ふと昔の懐かしい雀友を思い出すことがある。
まだ薄暗く胡散臭かった頃のゲームセンター。その片隅で目を血走らせながら、彼女たちと麻雀に明け暮れた日々を。
100円玉を放り込むなり、しれっと天和を上がられ、「勝っちゃったあ」と平然とうそぶくその態度に血管を浮き上がらせ、連中の性根の悪さを嫌というほど思い知らされながらも、性悪な女ほどなんとやらとばかりに、未練がましく追加の小銭を貢ぎ続けたあの過去を。
そんな悪女たちが、同窓会の名の下に一堂に会すると聞けば、そりゃあ懐かしさと恨み辛みが入り混じった複雑な気持ちで、つい顔を出したくなるではないか。

プレイヤーの立場は、リアル麻雀のことなどろくすっぽ知らないグラビアカメラマンという設定が、もう初っぱなから気が利かず、早々と不安を覚える。
やはりこういうもんは、「オレのこと覚えてる?」と怖ず怖ず照れながら顔を見せ、「あー、こいつ、昔さんざん貢がせてやったやつだ」「え? あたしにも貢いでたよ?」「全員に満遍なくカモられてたのか。おめでたい野郎だな」などと、再会早々いきなり言葉責めの速射砲でも食らいたいところではないか。

しかも彼女たち、オレの記憶にある顔と、そのタッチが明らかに違う。
なりすまし疑惑。整形疑惑。特殊メイクに近いくらい化粧をしていた疑惑。このビッチどものことだから、もうあらゆる疑念がすべてありえる話だが、うっかりそんなことを口に出すと、「よくある話だろ?」「大人の事情ってやつだよねー」「うちらはアーケードじゃなく、『スーパーリアル麻雀 for Mobile』から出張してきてんの!」「そういう仕打ちは、『リアル麻雀アドベンチャー 海へ』あたりで慣れておけよ!」などと、再びこっちの方がボロカスに言われそうである。

こんな性悪ビッチどもにも、一つだけ良いところはある。それは負けたら惜しみなくスパッと脱ぐことだ。
もっとも一部の女には、こっちが負けると脱いだ服をまたいちいち着直してしまうという悪習があったりするが、こちらはもうギャル女子校生に援助をしているかのように卑屈なメンタリティになっているので、もちろんその行為にクレームをつけるような度胸はない。
とにかく麻雀に勝ってしまえば文句は言わせない。いや、文句はいくら言ってもいいが、それはそれとして脱いでもらう。

そう意気込んでツモボタンを押す指先にも力が入る。基本面前、大物手を積極的に狙い、染められるときには一気呵成に染めてしまう。リアル麻雀シリーズのセオリー忠実に強気のリーチを一発でツモって、さあどうだ、さっさと脱げ!
「えー、脱げるわけないじゃん」「なに考えてんのぉ? これ、ゲームボーイアドバンスだよ?」「これまた大人の事情ってやつだよねー」「文句があるんならJAMMAか京都の方に言ってクダサーイ」

ご褒美はそんな捨て台詞が一緒についてきてるかのような、気の抜けたコスプレグラビア。
しかもご褒美シーンのグラフィックだけ唐突に昔のキャラクターデザインに逆戻りしてる、新規に描く手間が面倒臭くって過去のコンテンツから流用してきたのがあからさまな仕事っぷり。
あれから何年月日が経とうが、アーケードの日銭商売から足を洗おうが、セタの手を離れようが、同窓会とうそぶこうが、相も変わらずのビッチな性根に、結果的にまたもやぼったくられているのにも関わらず、「みんな外見は変わったけど中身はちっとも変わってないねー。安心したよ」と、呑気でお人好しな感想をつい漏らしてしまうのであった。
この記事に含まれるtag : 麻雀
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2014/06/03 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
明日6月6日はD-DAY。第二次世界大戦の大きな転機となったノルマンディー上陸作戦が決行された日。
その後の世界史を決定づけたこの日から、ちょうど70年目にあたる節目の年ということで、この作戦に実際に従事した元兵士たちへのインタビューを元にした英国BBC制作のドキュメンタリーが、つい先日NHK-BSでも放映されていました。
かく言う私も、あの作戦では最激戦区だったオマハビーチに投入され、PS2のコントローラーを手に、砲撃で空いた穴でドイツ軍の機関銃攻撃をひたすら耐え忍んでいたのですが、…なんてことを言ってると、涙を浮かべながら目の前で戦友が狙撃兵に頭を撃ち抜かれた様子を語っていたあの老人たちに、「いい加減にしろ、バカヤロウ」と怒られそうっすね。
実際にあった戦争をテーマにしたゲームは、当事者がまだ多く存命しているとなると、プレイしているこちらもいたたまれなさをつい感じてしまいますが、これを通じて兵士たちの献身的な行動や、その犠牲の上に成り立った戦後世界秩序を享受するありがたみなどに、思いを馳せるきっかけとなるかもしれないので、まあ大目に見てください。真珠湾を不意打ちしてホントすいませんでしたあ!

当時の実写フィルムを流用したオープニングもそこそこに、プレイヤーが身を置くのは海岸に近づく上陸用舟艇の中。
目の前に広がるのは身を隠す場所などまるでないビーチ。その奥にそびえるのは機銃砲座を山ほど設置したドイツ軍のトーチカ。
「ここ通るのムリっす! カーナビで抜け道探しましょ?」なんて提案が受け入れられるわけもなく、2年もの入念な時間を費やして練られた作戦も、いざ実行段階に入ってしまえば、頼りになるのは兵士たちの前に進む勇気だけ。
それにビーチに辿り着けた連中は、まだ運がいい方です。
件のドキュメンタリーでは、まだ足の着かない浅瀬で、多くの兵士が重たい装備に引きずり込まれるように溺れ死んでいったなんて生々しい証言もありました。
主人公の乗った上陸用舟艇も砂浜手前で撃破され、さっきまで肩を並べていた同僚たちがぶくぶくと海の底へ沈んでゆきます。
その中をなんとか泳ぎ切ってビーチに這い上がるプレイヤーキャラ。ガーランドライフルにトンプソン短機関銃、拳銃にさらには弾薬たっぷり抱えて、よく沈まなかったな、お前!? 「へへっ、主人公ですから」

ならばとその主人公に次々と押しつけられる無理難題の数々。
仲間探してこい。爆薬持ってこい。機銃砲座潰してこい。あの要塞ちょっと制圧してこい。
後のシリーズや後追い作で毎度お馴染みになるパターンですが、降り注ぐ機銃弾の雨嵐に頭を上げることもままならないオマハビーチでは、その理不尽さもひとしおです。
側面からの奇襲で機銃座を無力化。ゲームではひとりのヒロイックな行動に集約されていますが、実際の戦いでも、やはり側面に回り込んだレンジャーの攻撃によって、正面からの部隊はなんとか上陸を成し遂げることができたとか。

そのくらいに熾烈なドイツ軍の迎撃。
オマハビーチのフィールドは思ったより狭く、また味方兵士の数も10人前後とささやかですが、それは今の目で見ているから言えること。
詰め込めるだけ詰め込んだSEとエフェクトが醸し出す臨場感は、当時としてはかなりのインパクトで、生きてフランスの土は踏ませんと言わんばかりのドイツ軍防衛隊と、それを相手にした連合国軍兵たちののっぴきならない立場を、しっかりとこちらに伝えてくれました。
敵のドイツ兵も含めて、NPC兵士たちのいちいち人間臭い挙動も、このバーチャルな戦場に生々しさを与えています。特に戦争バックレて要塞の隅部屋に隠れてタバコ吸ってるドイツ兵。お前らは高校時代のオレか!

初代プレステで発売されていたシリーズ前作、前々作からPS2に舞台を移し、その表現力が格段に向上したことで、以降のシリーズ人気を決定づけた名作。
FPSからマウスとキーボードのくびきを外して、家庭用機に解放したその功績も多大なものですが、日本においては、やはりFPSというそれまで一部のマニアしか知らなかったジャンルを、いち早く世間に知らしめた最大の功労者ではないでしょうか。
この国に『HALO』や『Call of Duty』が根付く土壌を作ったのは、間違いなくこの『メダル・オブ・オナー 史上最大の作戦』。かつてない迫力でテレビ画面に映しだされた、自ら体験できる地獄のオマハ・ビーチであったのです。
この記事に含まれるtag : FPS
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2014/06/05 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ゴムは偉大だ。髪の毛も束ねられれば模型飛行機だって飛ばすことができる。
戦いの世界においてもゴムはとても有能だ。IWAジャパンプロレスのUMA軍団に所属するゴム人間は、伸縮自在の腕で一切の関節技を無力にするし、往年のコントユニットゆーとぴあは、ゴムの凄まじいまでの攻撃力を、我々に生身で伝えてくれた。よろしく~ねっ!
そしてここにゴムの力を駆使して騒乱の地を自在に飛び回る男が一人。その名はネイサン・スペンサー、人呼んでバイオニック兵士。
左手に装着したゴムで、荒れ果てたコンクリートジャングルをターザンのように渡り歩き、モノをを引き寄せて振り回したり人を遠くに放り捨てたりと、まさにゴムの力を体現した最強のゴム戦士だ。
こんなことばっか言ってると、本人から「ゴムじゃねえよ!」と近藤春菜ばりの強硬なクレームが入りそうだが、彼が何故その左手能力に対して頑なな態度をとるのかは、ゲームを最後まで進めてみれば自ずと分かってくるだろう。

21世紀に復活した『トップシークレット』は3Dにその装いを変えた。
平面世界から解き放たれた新時代の"ラッド"スペンサーは、バイオニック技術を駆使して作られたスーパーゴム(「だからゴムじゃねえっ!」)の力で、上下左右斜めと自在にスウィングアクションを披露する。
これぞ自らの肉体の犠牲と引き換えに手に入れた、あらゆるモノを蹂躙するバイオニックの力。
しかしその力を縦横無尽に駆使するためには、肉体の犠牲だけでは足りない。それには幾多のゲームオーバーとリトライ、そして指先の修練が必要となるであろう。
ゲームを初めて間もない頃には、それを前にして途方に暮れるだけだった空中機雷原の猿渡りも、操作習熟を経たオレにとっては、今や格好のアスレチックランドだ。
宙に浮かぶ機雷から機雷へ、びよーん、びよーん、びよーんと華麗に宙を舞う。ああ、ゴムの力のなんと偉大なことか!(「しつけえぞ!」)

その力は移動に使うだけではない。華麗なるスウィングアクションによる上下左右変幻自在な位置取りで、マヌケな敵兵どもを翻弄するのは序の口。
ムチの要領で振り回したり、地面に落ちている岩や残骸、死体を相手にぶつけたり、ゴムで引っかけた敵を凧を飛ばす要領で宙に舞い上げ嬲ったり、その戦い方も色とりどりだ。
もちろんアサルトライフルやショットガンだってあるが、ズームして狙い撃つなんて動作はもっともオススメできない。
相手が複数いれば蜂の巣になるのはこっちのようなゲームバランスだ。そんなバカみたいに立ち止まっているより、ゴムをどっかにひっかけて空中をスウィングしながら右から左へ弾をばら撒いてやろう。

そんなバイオニックパワーにも少々の不都合はある。
ゲーム中、頻繁に登場する地面が冠水したステージ。普通のゲームの感覚だったら、落ちてもなんの問題もないような穏やかな水面だ。深さだって足がつくかつかない過程だし。
しかしスペンサーの左手は特殊なバイオニックアーム。その重さは相当のものだ。その特殊アームを装着したまま水に落ちるのは、コンクリートブロックを抱きかかえて入水するような行為である。
ぶくぶくぶくぶく。無敵のバイオニック兵士、実はカナヅチでした。
この2Dアクションゲームの一発落下死に対する3Dゲームからの回答とも言える水没地帯。特に操作に慣れない序盤のうちは、敵兵以上に手強い難関ポイントとして立ちふさがってくるだろう。

スペンサー個人のウィークポイントが水に沈むことなら、ゲームとしての大きなウィークポイントは、最大の肝であるスペンサーの特殊能力アクションが、ステージごとに小出しに開放されてゆくところ。
バイオニック兵士としての力がアンリーシュドされるのは、ゲームも終盤に差し掛かってからというケチ臭さは、多彩な特殊能力を自由にやり繰りしてステージを駆け巡るこのゲームの醍醐味を、自ら思い切りスポイルしている。
おかげでクセのある操作にも慣れず、立ち回りのバリエーションも乏しい序盤は、プレイヤーにひたすら耐え忍ぶことばかりを要求する。
その壁さえ乗り越えれば、待っているのはゴムの力を駆使して気ままなアレンジメントがし放題のスウィングアクションパラダイス。
宙を舞うぜ。崖を登るぜ。引っ掛けるとこさえあれば、空だっていつまでも飛んでいられるぜ。ただし水辺と放射能汚染地帯だけはカンベンな。
自らの進化を忘れていつまでも2Dにしがみつく連中は『海腹川背』に置き去りにしてしまえ。オレはこの左腕のゴムと共に、3Dの空間を自在に飛び回るぜ!
この記事に含まれるtag : TPS
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2014/06/07 | Comment (3) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
後に観光地として栄えることになるイギリスの港町ブライトン。そこで起こったサーカステント内の殺人事件を捜査するためにやって来たのは、ロンドン警視庁の敏腕警部フランク・C・ミントン。
国産PCゲームの黎明期に、シックな装いのミステリADVで異彩を放ったメーカー、シンキングラビット。
『道化師殺人事件』は同社が1985年にリリースしたクラシックタイトルで、広大な(今の感覚から言ったらささやかな規模だが)マップに放り出されたプレイヤーが、誘導や手助けのほとんどないままに、これまた膨大な数に登る関係者や町の住人を相手に、コマンド自由入力方式という雲をつかむような手段で対処しなければならない、実に歯ごたえのある作品だった。

いにしえのアドベンチャーゲームの基本フォーマットであったコマンド自由入力は、もうそのシステム自体が一種のゲーム性を帯びていて、プレイヤーが自身の基本行動を頭ひねって考えだし、それを簡潔な言葉に置き換えなければいけないその過程は、ミステリADVとの相性が抜群にいい。
自分で推測や予見を立てて、それと自分が生み出したコマンドを組み合わせて、固く複雑に結び合わされた事件の真相を少しづつ解きほぐしてゆく。

『道化師殺人事件』だけにとどまらず、この時代のアドベンチャーゲームは、ストーリーを追うことよりも、そうしたロジックパズル的な要素こそが一番の醍醐味であった。
そのミステリADVに一大改革をもたらしたのが、堀井雄二の『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』に始まる一連の作品で、これによってもたらされたコマンド選択システムは、アドベンチャーゲームをカジュアル化させて一般に広く普及させると同時に、その本質をも大きく変えてしまったのだ。

プレイヤーをある程度誘導できるコマンド選択システムは、ドラスティックなストーリー展開を構築しやすいメリットを持ち、以降のアドベンチャーゲームのフォーマットとなっていたが、その基本性は本来コマンド入力式とは微妙に違えるもの。
オリジナル『道化師殺人事件』のリメイク作品である、この『ミントン警部の捜査ファイル 道化師殺人事件』がのっけから苦しい立場にあるのは、コマンド入力方式からコマンド選択方式への時代に合わせたお色直しが、本来本質の違うものへの方向転換という無理難題を孕んでいるからなのであった。

かつてなんの導線もないままに街をさまよい歩き、自分でコマンドを考えてやりくりしていたその捜査過程と事件展開も、コマンド選択式というラインの上に載せられると非常に平坦で味気なく感じてしまう。
そしてこのリメイク版は、ビジュアルの刷新と音声の追加は別にして、ゲームの基本部分はすべてオリジナルに忠実。
80年代の技術制約下にあったアドベンチャーゲームは、どうしてもストーリーやスケールにおいて必然的に見劣りが出てしまう。

シンキングラビットの顔とも言える米田朗氏のイラストレーションが鮮やかに色づくビジュアル(彼のイラストを本来の形でゲーム上に再現することは、シンキングラビットの悲願であったことだろう)や、新劇系声優たちによる重厚なボイスアクトは、この90年代に再ドロップされた『道化師殺人事件』に、ほのかなリッチさを与えてくれるが、コマンド選択というシステム下ではどうしても物足りなく感じてしまうゲーム展開を完全に補うまでには至らない。

同社の次作である『カサブランカに愛を ~殺人者が時空を超えて~』が、『時を超えた手紙』と改題されて90年代も通用してしまったのとは対照的に、そのゲームの適した時代性というものを強く考えさせられるリメイク作。
この記事に含まれるtag : ミステリ アドベンチャーゲーム
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2014/06/09 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |