- 【GADGET: Past as Future】インタラクティブムービーの時代 [2010/08/01]
- 【電脳漂流 MULTIMEDIA CRUISING】 [2010/08/02]
- 【Sealife Safari】納涼深海散歩 [2010/08/03]
- 映画【トラック野郎 故郷特急便】 [2010/08/04]
- 【Flying Nightmares】3DOの本格フライトシム [2010/08/07]
total 4 pages 次のページ →

インタラクティブムービーというジャンルが確かな意味を持っていた時間。それは大変短いものだった。
デジタルメディアの急成長と、ゲームというジャンルとの中途半端なシンクロ(その中の数少ない成功例の一つが、ワープのDの食卓だ)のせいで、それはたちまち手垢にまみれたジャンルになってしまったのだが、しかしそれはある一時期、確かな意味合いを持って存在していたのだ。
その時期は、マルチメディアと言う言葉が未知の輝きを放っていた頃から、たちまちそれが陳腐化してしまうまでの間とちょうど重なっていたりする。
そのインタラクティブムービーの最後の輝きとも言える作品が、庄野晴彦が製作したこの『GADGET: Past as Future』。

このインタラクティブムービーの中に登場する電磁波照射装置に名付けられたセンソラマという名称。
その元は、1960年代に登場した早すぎたバーチャルリアリティマシンの名だ。
今のゲームセンターの大型筐体に似たマシンからは、映像、音、振動、空気、臭いといった、人間の持つあらゆる感覚をシンクロさせた、これまでに無い体験を得ることができる。
'60年代の初頭に、既にバーチャルリアリティという言葉が実現化されていた事実だけでも驚異だ。そしてこのセンサラマで試みられたアプローチは、やがてコンピュータとの二人三脚によって、新たな地平に進んでいくこととなる。

'90年代の初期に一瞬だけ隆盛を極めたインタラクティブムービーは、このセンソラマの試みが形を変えたものの一つ。
漠然とした目的。反復する重金属音が印象的な、インダストリアルなアンビエントミュージック。まるで意味を為さない、断片的な科学者たちとの会話。そして庄野晴彦自らのデザインによる、あまりにも魅惑的なフォルムを持つガジェットの数々。
ゲームに対するようなポジティブなアプローチではなく、水の中に身を委ねるような感覚で、この'90年代のセンソラマの現実とも妄想ともつかぬ世界に身を投じると、心地よい夢と悪夢が混在しているかのような、奇妙な体験を得ることができるだろう。

'94年に発売されたオリジナルに続いて、完全版と銘打たれたガジェットが登場したのは、もはやインタラクティブムービーやマルチメディアという言葉が陳腐化していた'97年のこと。
その余勢をかって(シナジー幾何学の最後の力を振り絞って?)、場違いとも言える家庭用ゲーム機にも、このガジェットは登場する運びとなった。
このプレステ版ガジェット。PC版の劣化という意地の悪い言い方もできるが、意外にも解像度の劣る画面や、もっさりとした画面の切り替えが、逆にこの夢とも妄想ともつかぬ世界を際立たせている。一種の怪我の功名と言ってもいいだろう。

インタラクティブムービーという表現手段はその後、映画やゲームと言ったジャンルに呑み込まれ、換骨奪胎され、たちまちのうちに、意味を持たない色褪せたものにされてしまった。
インタラクティブムービーが普遍的なメディアにならず、一過性のものになったのは、結局は宿命だったのかもしれない。
それはまだCGが手探りで進んでいた時代。デジタルメディアがまだ海のものとも山のものともつかなかった時代だからこそ成立した表現手段だったのだろう。

そんな混沌とした時代の、インタラクティブムービーの一瞬の輝きを知る者としては、インタラクティブムービー=ゲーム性の乏しいアドベンチャーという、ゲーム側からの一方的な視点による定義は、断固として否定したい。
このガジェットの鉄路をただ往復する奇妙な旅路に、時には心地よく、時には不快を覚えながら身を委ねた者にとっては、それはおよそ納得しかねる定義なのだ。
(記事編集) https://bonkura360.blog.fc2.com/blog-entry-341.html
2010/08/01 | Comment (1) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
サイバーパンクの嚆矢とも呼ばれるウィリアム・ギブスンのSF小説"ニューロマンサー"。
これを最初に読んだとき、作中に出てくる「サイバースペースにジャックイン」するという情景が、どうしても頭の中で具体化されず、おのれの想像力の貧困さを嘆いたものです。
ところがその後、雨後の筍の如く登場した同作影響下の作品を見てみると、その情景が、コンピューターチップなどが浮かんだ空間の中を、シェードグラスをかけたSFっぽい恰好をした奴がびゅーんと飛んでいるなんてビジュアルで描写されているじゃありませんか。
思わず「そんなんでよかったのかよ!?」なんて叫んじゃいましたよ。べたべたじゃねえか! そのまんまじゃねえか! 俺はもっとひねりにひねった絵面を思い浮かべようとして、そして断念してたんだけど、そんなべたべたでよかったのかよ!?

そしてこの3DOソフト、電脳漂流に登場する"マルチメディアクルージング"のコンセプトもまさにそれ。
コンピューターチップが散乱するサイバースペースの中を、うにょーっと泳ぎ、サブプールと呼ばれる、ジャンル分けされたワールドにアクセスしていくのです。
サブプールは、CD-ROM、ネット、マガジン、ミュージック、デジタルハリウッド、アート、ファッションなどといったジャンルに区分されており、それぞれのプールには、プレートと呼ばれる板状の物体が宙にうにょうにょと浮かんでいます。
Aボタンで前身、Bボタンで後退、十字キーで左右への平行移動。そんなクルージングっぽい操作法で移動し、これらのプレートに接触すると、ムービーが流れたり、テキストを読めたり、音声が再生されたりなど、様々な生きたマルチメディアの情報にアクセスすることができるいう触れ込みの、当時の言葉で言えば”マルチメディアデジタルマガジン”。

当時のデジタルメディア界隈は、まだ海のものとも山のものともつかぬ状態で、そのどさくさに紛れて、ヒッピーカルチャーの残党みたいな人たちがデジタルヒッピームーブメントを起こそうと目論んだり(彼らにとっては、デジタル=反マテリアルの象徴みたいに思えたのでしょう。何のことはない、デジタルも資本主義マテリアルの一部分だったというオチがつきましたけど)、無数のデジタル山師たちが様々なことを企んだりと、魑魅魍魎たちが闊歩する実にエキサイティングな時代でした。
日本でもGadgetの庄野晴彦をはじめ、松本弦人、伊藤穣一、松浦雅也、高城剛なんて人々が暗躍し(中にはずいぶん胡散臭いのも混じってますが)、この頃に勃興したデジタルポップカルチャーの流れを、巧みに消化して取り込んだのが、後のプレイステーションカルチャーだったりしますが、まぁそのことは、今はひとまず置いておきましょう。

プレイステーション=SCEのように、この流れの美味しいとこだけを持って行かず、思い切り真に受けてしまったのが我らが3DO。
この電脳漂流は、そんなマルチメディアデジタルムーブメントに3DOがころっと騙されてしまった末の産物みたいなものですが、MAC界隈のCD-ROMデジタルマガジンとこの電脳漂流の違いは、家庭用ゲーム機ならではの、中途半端なゲーム寄りのスタンス。
プレートからアクセスできる情報は、そのどれもがまるでスタジオボイスのような(と言うか、スタジオボイス読んだ方が早えよ!)当時の最先端カルチャーばかりなのですが、そのプレートへのアクセスを手助けする、マックス・ヘッドルーム的なポジションのガイドお姉さんの声を担当するのが向井真理子。
「いつもよりもモンロー度多めにしておりまぁす。聚楽よーん」と言わんばかりの、べったべったに甘いモンロー声と、この電脳空間のもの凄いギャップ!

そしてセーブやマップなどのシステム周りを担当するのが、情報の五賢者と称する五人の爺たち。
この爺さんたちの声を担当するのが永井一郎。いつも以上に錯乱坊度が高い声で、
「わしはセーブの賢者じゃ。情報を記録したいのかのう?」
などと、まるでRPG世界から抜け出してきたかのような台詞を聞かされると、エッジでおされでスタジオボイシーな気分も、あっという間にどっかに吹っ飛びます。
おそらくお二人には、ソフトのコンセプトなんか全く教えず、漠然と「ゲームの収録ですよ」なんて説明しただけだったのではないでしょうか。
そうでなければ、このあまりにも場違いな、「ゲームゲームした声」の説明がつきません。

今の目で見れば、痛々しいところも結構多いのですが、それでも当時のデジタルカルチャー(MACカルチャー)界隈の流れを、ざっと理解するには丁度いいソフトかもしれません。
もっとも何度も言いますが、当時のスタジオボイス読んだ方がよっぽど手っ取り早いんですけど。
発売元は博報堂マルチメディア事業部。ブランド名はハムレット。
3DOの劇場運営シム、娯楽の殿堂(このゲームも今思えば、もの凄くMAC臭い!)でゲーム事業に参入し、3DOでは他にピーター・フランクルのパズルの塔。
後にサターンに舞台を移して、料理の鉄人・キッチンスタジアムツアーや風水先生といった、非常に味わい深いソフトばかりを連発してくれたブランドです。
この記事に含まれるtag : マルチメディア
(記事編集) https://bonkura360.blog.fc2.com/blog-entry-340.html
2010/08/02 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
記録的な猛暑だそうですよ。
暑って字だけでも充分うんざりするのに、その上に猛ときたもんだ。猛毒とか猛女とか、およそ猛が付くのに碌なものはないですよ、
猛で許せるのって、せいぜい猛打賞(ただしロッテ選手に限る)くらいのもんだ。
もはや南洋の美しい海を見ても、涼しげなイメージなどちっとも湧かないくらい。なまじその程度の海だと、もう太陽の容赦ない照りつけで、40度くらいに水温が上がっているような気がしてきませんか?
もう海の中でも涼を求めようとしたら、陽の光のほとんど届かない深い深いとこじゃないと、ちっともそんな気分にはなれませんよ。

そんな折りに目にとまったのが、Wiiウェアの『ブルーオアシス~未知なる深海~』というソフト。
アクアリウムソフトはやたら数が多いジャンルですけど、そんな中で深海魚という特性で一点突破を狙ってきた作品です。
カブトクラゲとかリュウグウノツカイとか、そしてあの半透明魚デメニギスなんかも、自室のテレビモニターの中で飼えちゃうソフト。
もっとも飼い主から餌を恵んでもらう深海魚ってのも、いまいちロマンに欠けるものがありますが、こんな暑さだし、もう普通のゲームを遊ぶような気分じゃない。
涼しげな深海魚たちの様子を見ながらボーッとするのもいいじゃないか。このソフトのためだけにWiiを買っちゃおうか!
そんな迷いも生まれましたが、何とか踏み止まりました。だって360にも深海魚のソフトがあったじゃないか!

私ですらその存在を忘れていたくらいですから、恐らく皆さんは、こんなソフトのことなんかさっぱり覚えていないと思われます。
2年ほど前にLIVEアーケードで配信された『Sealife Safari』という海中お散歩ソフト。
涼しげな海の中をレールライドシステムで進み、魚の姿を写真に納める"だけ"という、限りなく環境ソフトに近い癒し系ゲームです。
ゲーム性などおよそ皆無に等しいんですけど、俺はこれを年に数度のうだるような熱帯夜に起動して、ボーッと海中を漂うリラクゼーションソフトだと割り切っているので、そんなゲームとしての不足な部分などは全く問題ありません。

熱帯の珊瑚礁、コーラルリーフ。木造船の残骸が群れをなし、海底に眠る海賊のお宝の脇でウツボやカニが戯れるシップ・グレイブヤード。海底に沈む遺跡にジンベエザメやシャチなどの巨大魚、そして全ステージ中、唯一の女っ気があるディープシー。今も活動中の海底火山にシーラカンスのボルケーノ。
本作に収録された5つのステージの中で、何と言っても一番涼しげなのは、光も届かぬ深海のアビス。
もはや名前すら分からない、きんもい深海魚たちが群れをなす光景は、涼しさを通り越して鳥肌がたってくるようだ。
例え万が一こいつらが美味かったとしても、こいつらを寿司ネタに加えるのだけは、ちょっと勘弁願いたい。

発売された当初は、海中を自由に移動できなかったり、全体的なギミック不足などを少し不満に感じたりもしたけれど、思考能力や性欲すら減退するほどのこの暑さの中では、その何も考えなくていいテーマパークアトラクション的なレールライドシステムや、ギミックを血眼になって探さなくて済むおおらかさが、むしろありがたいって!
この記事に含まれるtag : XBLA
(記事編集) https://bonkura360.blog.fc2.com/blog-entry-339.html
2010/08/03 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ムック本、"映画『トラック野郎』大全集"を買ってきた。なんか秘宝系の本を買うのも、随分と久しぶりのような気がする。
鈴木則文監督と哥麿会の宮崎靖男氏の鼎談を軸に、スタッフへのインタビュー、チラシやノベルティグッズのカラーグラビアなどを、これでもかと言わんばかりに詰め込んだ、家宝認定のこってりと濃い一冊。

この本の中でも語られているけど、トラック野郎というのは別に完結したシリーズではない。
みんなが漠然と「次回もあるだろうなぁ」と思っていながら、会社の都合でなし崩し的に続編が作られなくなったまま今日に至っているだけの話だ。
だからこの結果的にシリーズ最終作となってしまった故郷特急便にも、シリーズの終わりを示唆するような描写というのは、本来一切無い筈なのだが、それでも何となく作品全体に黄昏た雰囲気を感じてしまうのは、これが最後のトラック野郎だという後付けの先入観によるものなのだろうか。

本作とその前の熱風5000キロ。トラック野郎のラスト2作は、全盛時に比べるとどうもパワーダウンしているという印象があったんだけど、それでもやはり見所は多い。
シリーズ初となる森下愛子と石川さゆりによるダブルヒロインの試み。
弾けるガム、ガムパッチ(弾けるキャンディー、ドンパッチの派生商品)との謎のタイアップ。

「かあちゃんの奴、トルコで働くって言ってんだよう!」「安心しろう。俺がまいんち通って指名してやっから!」ジョナサンと桃次郎の名やり取り。
ちょい役かと思ったら、実はストーリーの鍵を握っていた大月ウルフ。
ライバル車の名は龍馬号。今だったら随分と旬な名前だ。ライバルを演じるのは原田大二郎。過去の脂ぎったライバルたちとは一線を画した、異色の若々しいライバルを好演している。

そして個人的に思い入れのある見所を挙げると、石川さゆり、石川さゆり、石川さゆり、石川さゆり、石川さゆりだ。それくらい本作の石川さゆりは素晴らしい。マジで惚れる。
そんないつも通りのトラック野郎。そして黄昏感の漂うトラック野郎。
これを観るのも10度目くらいになるのだが、冒頭のテロップを観て今回初めて気づいたことが一つ。出演者クレジットの中に榊原良子の名がある!?

これはあの声優の榊原良子と同一人物なのだろうか?
慌てて調べてみたら、Wikiの榊原良子の出演作項目には、確かに本作の名がある。
この故郷特急便は1979年の制作。彼女が声優デビューする2年ほど前の作品だ。役柄はドライブインのウェイトレス。
ドライブインのシーンで、もう目を皿のようにして彼女の姿を確認しようとしたのだが、後ろの方にかすかにちらちら映るだけの、背景同然の出演だったので、あの榊原良子本人であるかの確認は、とてもじゃないけどできませんでした。
(記事編集) https://bonkura360.blog.fc2.com/blog-entry-338.html
2010/08/04 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
いくら深い溝があるとはいえ、そこは同じ入力デバイスを使ってモニター上で何かを動かすメディア同士です。
フライトシム側からゲーム側へのアプローチは、過去に何度か試みられてきました。
最近では旧XBOXに日本のフライトシムメーカー、アクアシステムが参入し、フライトアカデミーとプチコプターをリリース。
中でもフライトアカデミーは、離島の飛行教習所を舞台にした本格的フライトシムでしたが、あいにくとこのゲームには、教官役の玄田哲章さんに怒られまくった苦い記憶しか残っていません。
もう一つのプチコプターは、ラジコンヘリのシミュレーター。これはとにかく地味な地味なゲームだったのですが、繊細さを要求するラジコンヘリ操縦の難しさをうまく再現していて、俺はとてもお気に入りでしたよ。

さらにそれ以前。ゲームとフライトシムの間にまだ乖離がそれほど無かった頃になると、家庭用ゲーム機へのフライトシムの進出は、けっこう活発でした。
特にコモドール64やアミーガの存在で、PCゲームとコンソールゲームが地続きだった欧州では、この傾向が顕著だったのです。
Domark Software と言えば、'80年代後半から'90年代半ばにかけて隆盛を極めた欧州の名門ゲームメーカーでしたが、ここはフライトシムの分野でもぶいぶい言わせた会社。
そのDomark が3DOに唯一残したソフトが、この垂直離着陸戦闘機ハリアーが主役のFlying Nightmares です。

「いくらフライトシムとはいえ、あくまで家庭用ゲーム機に落とし込まれているんだ。マニュアルなんか読まなくとも、とりあえずどれかボタンを押せば、なんとか動くだろう」
そんな甘い考えでもしこのゲームに挑んだとすれば、あなたのハリアーはエンジンすらかかることもなく、空母の甲板から身動き一つできないでしょう。
普通にボタンをただ押すだけではびくとも動かないその理由は、3DOパッドのボタン数の少なさ。
スタートとセレクトを別にすれば、ABCLR合わせて五つしかボタンの無い3DOパッドに、PC版ではキーボードを駆使しまくるフライトシムの操作体系を押し込むのは、根本的に無理があります。

ホイールブレーキのオンオフは、RボタンとBボタンの同時押し。エアブレーキはRボタンとAボタン。出力のアップダウンはLボタンと十字キーの上下。トグルギアの調整はRボタンとCボタン。
ほんの些細な微調整すら、全て同時押しの入力を要求される始末。しかし皆さんご存じのように、パッドのボタン同時押しというのは、ちょっとしたタイミングのずれで案外失敗しやすいものです。
そんな同時押し入力を、繊細さが要求されるジェット戦闘機の操作に多用されたら堪ったもんじゃありません。
しかもハリアーは垂直離着陸機。ジェットノズルの角度調整という操作がこれに加わるのです。ノズルの角度ってどのボタンだっけ? マニュアルどこだ!? ああ、あったあった。ノズルの角度はLボタンに十字キーの左右。……いちいち覚えられるか、そんなもん!

これに多彩な各種武器の操作が加わるのですから、戦闘ミッションともなると、フライトシムと言うよりは、まるでパッドを使ったパズルゲームをやっているような気分になってきます。
そんなわけですから、このゲームのマニュアルは、あの時代のものとは思えないほど分厚い。
そしてその分厚さをさらに水増ししているのが、厚紙でできた3DO専用フライトスティックのチラシ。
「これを使えばパッドで四苦八苦することもなくなるよ」ってか? いくら3DOマニアの俺でも、一万円以上もする周辺機器に手を出す蛮勇なんかねえって言ってんだろう!
しかもそのフライトスティックが対応しているのって、ブレードフォースとかスクランブルコブラとか微妙なゲームばっかだし!

前述したように、Domarkの3DOへの参入はこれ一作で終わりました。
3DO末期の作品。そしてその頃のDomarkが日本への窓口を持たなかったこともあってか、このFlying Nightmares は日本では未発売。
そして本作から程なくして、コモドール64やアミーガと共に歩み、欧州ゲームシーンを牽引したこの名門は、Eidos Interactive に吸収合併されてしまいます。
<海外版 / 日本の3DO本体で動作します>
この記事に含まれるtag : フライトシム
(記事編集) https://bonkura360.blog.fc2.com/blog-entry-335.html
2010/08/07 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |