このページの記事目次 (カテゴリー: Switch)
- 【PLANET ALPHA】美しくも残酷な世界 [2022/12/25]
- 【Speaking Simulator】スピーキングシミュレーター [2022/11/04]
- 【Animals Transport Simulator - Car Driving & Parking Games Real Zoo Park】 [2022/10/27]
- 【プロレス】オレと猪木と試遊機のゲームとの思い出 [2022/10/02]
- 【Isolomus】イソーローマズ [2021/12/09]
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とりあえず右に進む。
枝から離れたリンゴが重力に引かれて地面に落ちるように、右側に進むのは2Dプラットフォーマーの自然の摂理だ。
ゲームが始まったらとにかく右に向かって動く。マリオもソニックもそうやって話を進めていたし、ひねくれて左に進めばどんな目に遭うのかはカラテカが教訓を与えてくれた。

再びマリオとソニックを例えに出すが、それぞれのハードを代表したこの両雄の存在もあって、アクションゲームの基本フォーマットとなった感もある2Dプラットフォーマー。
それにアドベンチャーゲーム的なストーリー性を加味した名作が、1991年の『アウターワールド』(或いは『Another World』、もしくは『Out of This World』。今ではアウターワールドと言ったらObsidianのSFRPGを指す方が一般的であろう。色々とややこしい話である)。

『アウターワールド』の素晴らしさは、テキストや説明じみたイベントなど一切なしに、2Dプラットフォーマーの様式による行動とオーパーツのようなバックグラウンドデザインのほぼすべてで物語を寡黙に描ききったところだ。
2010年に登場した『LIMBO』やその続編的存在の『INSIDE』はやはり名作だが、『アウターワールド』からの影響を大きく感じさせる。
そしてこの『Planet Alpha』も、やはり『アウターワールド』系と呼ぶべき一作だ。

荒涼とした大地で途方に暮れて佇む異星人と思しきキャラクター。
しかしじっとしていても事態は変わらない。とりあえず右に進む。レクター博士も『LIMBO』の少年もみんなまずはそうして話を進めてきた。
もっともそうして右に向かった彼らを待っていたのは、冷徹な世界と何度も何度も迎える死だったりしたのだが。
そしてそれは『Planet Alpha』の痩せぎすな主人公も例外ではないのであった。

とりあえず右に進んだ主人公の前に広がるのは、遠景のそのまた遠景まで執拗に描きこまれた異星の大自然。
カラフルで奇妙な動植物たちが蠢くこのビジュアルは、『Planet Alpha』の最大のハイライトでもある。
しかし美しい世界が我々を優しく慈しんでくれると思うのは人間側の勝手な誤解だ。
美しかろうが禍々しかろうが、どっちにしたって自然は人間の心情なんて忖度しやしない。
未知の世界で主人公を待ち受けるのは、ほとんどトラップに近い一発死の連続連続。
ここら辺も『アウターワールド』的だが、リトライの仕様がさくさくと軽快なのはこの残酷な惑星の数少ない優しさである。

そして加わってくるのは主人公の姿を見れば容赦なく襲いかかってくる組織化された謎の機械生命体たち。
ジャンプアクションに加えてステルスやパズルなどを交えてこれらの障害を切り抜け、とにかく右へ右へ右へ。主人公にとっての希望はそっちの方向以外にはあり得なさそうだから。
ボリュームも冗長気味でゲームの難度曲線がとにかく粗く、プレイヤーに必要以上に理不尽さを感じさせるなど欠点もかなり多く、完成度では『LIMBO』や『INSIDE』にかなり劣る印象も否めないけれど、ビジュアルデザインの素晴らしさだけは傑出している。
そこに一点突破で魅力を感じるかどうかで評価が大きく分かれるゲームではないだろうか。
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2022/12/25 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
面接なんて自ら進んで受けたいものではないし、結婚式や葬儀でのスピーチなんてご遠慮申し上げたい。
ましてや全国民が注視する議会での演説などなおさらである。
ところが世の中にはこういうスピーチをやりたくてたまらない奇特な連中もいたりする。朝礼なんかで長話をおっ始めてみんなをうんざりさせるのは大抵この手合いだ。

そんなできる限り回避したいスピーチの場に挑むこの身はなんと機械仕掛け。
しかも人間社会に浸透してやがては人間の支配を目論む御大層な使命を持ったロボットだ。
母国語ってのは知らないうちに喋り方を覚えてるもんだけど、外国語を学んでるときなんかはたまに発声の機能としくみを改めて意識させらることがある。
舌を上顎にべたっと付けて「る~~~」とかがそうだ。

ましてやいまのオレはロボット。一言口に出すだけでも口角や口腔内の動きを意識して操作しなければならない。
口角の動きは右スティック。口腔内の舌は左スティック。
右スティックの方はシンプルな上下左右で比較的扱いやすいが、面倒なのは舌の動きをダイレクトに操作して顎の上下のスイッチを押さなければならない左スティックだ。
焦れば焦るほど舌があらぬ方向にぬめぬめと動いてく。ああ、普通に喋るのがこんなにもどかしいことだったなんて!

この不自由な発生機能で、ただでさえテンパってワケが分からなくなる面接や結婚式のスピーチに挑めと!?
一応ゲームらしく獲得したポイントでアップグレードできるシステムが備わってはいるが焼け石に水。それに眼や眉毛の操作が加わって余計に煩雑になってさらにテンパるだけだし!

Switchで日本語版が発売されている本作、シミュレーターを名乗ってはいるが、基本的に『マニュアル・サミュエル ~死神との約束~』や『オクトダッド ~タコと呼ばないで~』なんかに代表される人体ファジー操作系のコメディチックなゲーム。
ただ、やることを喋る行為ただひとつに絞り込んでしまったために、ステージが変われど同じことを繰り返させられてる単調さは否めないし、それが故に『マニュアル・サミュエル』なんかにあった馬鹿馬鹿しさは目減りしちゃっている。

「ブレードランナー」のレプリカントなんかは改めてスゲえ技術でできているんだなと、変なとこを再認識させられる。
この設計したやつを呼び出して始末書を100枚くらい書かせたくなる操作システムを乗り切って、ロボットによる人類支配の野望を達成できるかは貴方の根気次第だ。
この記事に含まれるtag : シミュレーター
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2022/11/04 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
精密機械や美術品など細心の注意を要する特殊輸送は色々あるが、動物の輸送などはその最たるものだろう。
なにせ生き物が荷物である。
夜行バスに詰め込まれる人間どもと違って、こちらは運ばれる状況に対する理解が必ずしもあるとは限らない。

それにライオンなどの猛獣は、万が一事故があったときなどに「荷物が外に飛び出ちゃいましたぁ~」だけでは、とてもじゃないが済みそうにもない。
当然それを専門に扱う人たちは、技量を極めたプロフェッショナル集団になる。
Switch版がリリースされているこの『Animals Transport Simulator - Car Driving & Parking Games Real Zoo Park』は、そんなプロフェッショナルたちの匠の仕事ぶりを体感させてくれるシミュレーターである。……って、そんなわきゃない!

この十年のゲーム界隈でその語義がもっとも歪められてしまった言葉。それは間違いなくシミュレーターだ。
ゲームにおいてのそれは本来フライトシムなどのように実在する機械の操作や作業などを限りなく精緻に再現して体感させるものあったはず。
ただいつしか必然的に生じるゲーム性の欠如に甘えた、ただ漫然と業務をトレースしただけの作品が幅を利かすようになってきた。

しかしそれらもまだシミュレーターの範疇に収まる許容範囲内。
そのうち登場したのが一発芸みたいな内容にシミュレーターの名を冠したパロディ的な作品群。
それはそれで面白い作品も多かったんだけど、こいつらがシミュレーターの語義を思い切り歪めたことは間違いない。
そこに付け込んできたのが、ゲームとして完成に至ってすらいないローファイなシロモノが免罪符的にシュミレーターを名乗るパターンである。

ケージもなんもなし。豚でも飛び越えられそうな申し訳程度の囲いに覆われたしょぼいトラック。
もうこの時点でプロフェッショナルさのかけらもないが、とにもかくにもあなたは動物運送ドライバーだ。このトラックを無事目的地まで運転させよう。
荷台の動物がすぐ逃げ出しそうな気もするが、大丈夫、ここの動物たちは行儀よく躾けられているから微動だにしない。ってか生きてんのか、これ!?

事故を起こしたら大変な事態になる動物運送だが安心してほしい。ここでは何かにぶつかってもただ引っかかるだけ。
アクセルをアバウトにふかして角を4、5回曲がってスポットされた地点にトラックを停めれば任務完了。
1ステージわずか10数秒。これが全10ステージ。まるでグラインド・コアのアルバムみたいだ。……って、グラインド・コアのバンドだってアルバムに少なくとも50曲はぶち込むわ! なめとんのか!

それ以上に釈然としないのは出てくる動物が牛や羊やラクダなど家畜系ばっか。
バナーに写ってるゾウは!? クマは!? シマウマは!? 商品説明文にあるクロコダイルは!?
どうせ剥製のように身動き一つしないんだから何だって一緒だろって? いや、そりゃそうだけどな!
レベルセレクト画面を見ると、さぞバラエティ豊かなステージがたくさん用意されているように見えるかもしれないが、これすらもちろん見せかけ。
全部同じ場所! 曲がるところがちょこっと違うくらい。

トラックの種類もわずか3つ。デフォルト車の他に2台を購入すれば、もうステージクリアご褒美のコインの使い道はなくなってしまう。
にも関わらず何故か付いているボーナスコインを獲得できるデイリールーレット。これを一日一回回す意味は果たして何!?
最近はシミュレーターと名の付くゲームを買う際に常に地雷を覚悟するようになったが、その覚悟さえも甘っちょろいものに思えてくるぞ。
この記事に含まれるtag : シミュレーター
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2022/10/27 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
本来は『Telling Lies』の流れで『Immortality』についてなんか書くつもりだったんだけど、もたもたしている間にアントニオ猪木逝去のニュースが飛び込んできた。
アントンは人生に大きな影響を与えてくれた人物であるのは間違いないのだが、実はオレがリアルタイムで体験してきたプロレスラーとしてのアントニオ猪木は、その力が衰えてきた現役終盤からのことだった。
前田日明らUWF勢も長州力率いるジャパンプロレス勢も離脱してしまい、WWFとも手切れになって外国人レスラーの質もいっきにトーンダウンした新日本プロレスにとってかなり崖っぷちの時期である。

タイガーマスクや国際軍団に維新軍、ハルク・ホーガンで一大プロレスブームを築き上げ、この世の春を謳歌していた頃からわずか数年後にこの事態。
多くの人が諸行無常を感じたであろうが、それでもプロレスを囲む堀から飛び越えたその先では、アントニオ猪木の神通力はまだまだ健在であった。
任天堂が鳴り物入りで放ったファミリーコンピュータディスクシステム。
その任天堂販売タイトルの一角となったプロレスゲームの顔も、やはりアントニオ猪木(もどき)なのであった。

まだスポーツゲームに選手や団体のオフィシャルなんて概念が薄かった時代だ。
この延髄斬りをフィニッシュホールドとするどっからどう見ても猪木なキャラクターにも"ファイター・ハヤブサ"なんて仮初めの名が与えられていたが、もちろんこっちは猪木のつもりである。
同じ頃、新日本プロレスに"スーパー・マリオマン"なんてとんでもない名前のレスラーが登場してみんなをハラハラさせていたが、なんのことはないお互い様だったのだ。

現在はニンテンドーオンラインでプレイすることのできる、この『プロレス』というシンプルなタイトルが冠せられたこのディスクシステムソフト、とにかく革命的に面白かった。
それまでの力任せな連打ばかりを要求されていた数多のプロレスゲームとの大きな違いは「自分で試合をデザインして組み立てられる」。
プロレス好きにとっては譲れないコンセプトを、『プロレス』はサラッと実現していたのだ。

そのコンセプトやタイミングで技の成否を図るシステムなどに『ファイヤープロレスリング』シリーズとの共通性を感じられるが、それもそのはず。本作を手掛けたのは後にヒューマンでファイプロの生みの親となる増田雅人氏。
つまるところこの『プロレス』はファイプロのプロトタイプとでも言うべき作品なのだ。

ファミコンの限界からかダウン技や寝技はフィーチャーされず、基本技も全キャラ共通の極めて限定的な数であったが、だからこそオレはその制限の中で、いかに毎試合毎試合メリハリをつけながら実際のプロレスのような展開を再現するかに燃えた。
ファミコンが家にない可哀想なガキだったので、チャリでなんとかたどり着ける家電量販店ゲーム売り場の試遊機で、店員のお姉さんの冷たい眼を撥ねつけながらひたすら遊びこんだ。

猪木もどき以外の登場レスラーは、キン・コン・カーンなんてお笑い芸人みたいな名前のやつとか、半魚人の全身タイツでザ・アマゾンを名乗るやつとか(唯一フレアーみたいな見てくれのがいるが、得意技はなぜかシュミット式バックブリーカー)胡散臭い架空キャラのオンパレードだが、当時の新日だって前述のマリオマンやら、マッド・マックス1号2号だの、バスを引っ張るだけのカナダの木こり(なんとかグスダブ)だの、モンスター・ファクトリーから来たただデカいだけのやつだのと、メジャー団体とは思えない胡散臭い連中が堂々とゴールデンタイムのテレビ中継に登場していたから、これまたお互い様である。

そんな怪しい面々を相手にファイター・ハヤブサことオレのヴァーチャル猪木は、適度に見せ場を作って最後は延髄斬り一閃。
ケリー・ブラウンやロジャー・スミスやジェリー・モローといったB級レスラーを相手にしていたテレビ画面の猪木のように。
後の「政治家」でも、セミリタイア化してたまに試合するレジェンドでも、ダァーとビンタで営業する人でも、格闘家を引き連れて古巣に迷惑かける人でもない、ちょっぴり薄ら寒い崖っぷちの新日本プロレスで奮闘する現役プロレスラーだった猪木がオレの一番好きなアントニオ猪木だ。
そしてその頃の猪木の姿は、オレの中で試遊機にがっついて熱中していたこのゲームとなんとなくセットになったりしてるのだ。
この記事に含まれるtag : プロレス
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表立った部分には任天堂の各タイトルや国内メーカーの馴染みのあるソフトが並ぶニンテンドーストア。
おそらくSwitchユーザーの8割はその部分にしか用はないのだろうが、そこからちょっと掘り返してみると海外タイトルやインディーゲーム、乙女ゲーにBLゲー、さらにはスマホアプリからコンバートされてきた有象無象などがごっちゃになって蠢いていて、それは任天堂ハードが作り上げた中でも、歴史上もっとも混沌の度合いが高いソフトマーケットとなっている。

ニンテンドウ64時代の少数精鋭を目論んだソフト市場を知る者には隔世の感があるが、消費者にとっては変に厳選されたストアよりも、玉石混交でディグり甲斐のあるストアの方がありがたい存在であることは確かだ。
『イソーローマズ(Isolomus)』もかつての任天堂ハードでは考えられなかったような作品。
作者のMichael Rfdshir氏はアバンギャルドなクレイアニメーションを主に手掛けるアーティスト。
この『イソーローマズ』も、ゲームと言うよりはインタラクションできるデジタルアートのようなソフトだ。

氏の前作『Wurroom』と同様にポイント&クリック的な要素を加味した一種のインタラクティブムービー。
世が世ならマルチメディアの名の下に分類されていたような作品である。こうした試みは90年代から存在しそれ自体は決して目新しいものではないが、彼の徹底したクレイアニメーションへのこだわりは、やはり特異で目を引かれる。

『Wurroom』は奇怪ではあるけれど、カラフルでサイケデリックなビジュアルに貫かれ、ちょっと尖った子供向け番組なんかに混じっていても不思議ではないような作品であったが、この『イソーローマズ』ではかなりダークで病的な雰囲気へと作風が変化している。
特に粘土オブジェクトをぶちゅっと潰すアクションが異常に増えている(というかほぼそればっか)のは、作者になんかあったんじゃないかと心配したくもなってくるが、『Wurroom』ではあまり表に出てこなかった彼の別の一面が、こちらでは全開になっているのだろう。

Switchユーザーの間では案の定奇ゲーバカゲークソゲーみたいな評価が主を占めているようだが、そういったある意味健全な反応も含めて、こうした前衛アートのようなソフトが入り混じったカオスは賑わいの証明みたいなもの。
これからもクオリティコントロールなんて言葉には背を向けた振り幅の広いストアを維持して貰いたいものである。
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2021/12/09 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |