このページの記事目次 (カテゴリー: XBOX ONE)
- 【Goat Simulator】ゴートシミュレーター [2022/10/29]
- 【Hidden Through Time】ヒドゥンスルータイム [2022/08/06]
- 【Plants vs. Zombies: Battle for Neighborville】Plants vs. Zombies ネイバービルの戦い [2022/04/23]
- 【Fallout 4】復興の大地 [2022/02/19]
- 【Trials of the Blood Dragon】トライアルズ オブ ザ ブラッドドラゴン [2022/02/15]
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シミュレーターの語義を歪ませた最大の戦犯、それはヤギ。
いや、ヤギに罪はない。ヤギ自体は草を食いすぎるってことを別にすれば、極めて穏やかな生き物だ。
そんなヤギのイメージすらも毀損するゲーム、元より真っ当な出自ではない。
本来は習作として作られたものが、スタッフや周囲の人間や無責任なユーザーたちが悪ノリに悪ノリを重ねた末に商業ソフトとして世に放たれた。

名乗ったタイトルは『Goat Simulator』。ご丁寧なことに当時Astragon社のシミュレーターソフトによく使われていたタイトルフォントを擁してだ。
人類との関わりも古いヤギの生態を事細かに再現したシミュレーター。……もちろんそんなわきゃない。
ヤギの為りをした物体をアバウトに操作して箱庭の中を物理演算でアバウトに遊びそして飽きる。
21世紀のゲーム業界でもっとも「名乗ったもん勝ち」のソフトである。

この手の悪ノリってのはちょっとでも逡巡したらダメで、そうした部分でもその後の展開も堂に入ったものであった。
ゾンビ、スペースオペラ、中世RPG、クライムゲームのパロディコンテンツの登場。そして2をかっ飛ばしていきなり3を名乗る新作。
単なる習作を土台にここまで徹底して遊び散らかしてくれれば上等だ。

しかし功罪相半ばするという言葉もあるが、こと『Goat Simulator』に関しては罪の部分が大きいような気もする。
それは「お、こんなもんでいいんすね!」なんて軽薄なフィーリングで追随する連中を大量に生み出してしまったことだ。
クローン作品によるジャンル形成の繰り返しはゲーム界隈を活性づけてきた歴史でもあるが、『Goat Simulator』以降に雨後の筍のごとく登場してきた志の低い「なんちゃってシミュレーター」群を見ると、歴史にも正負というものがあるとつくづく思い知らされる。
この記事に含まれるtag : シミュレーター
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2022/10/29 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ゲームは怠惰な人間が無気力にだらだらと続ける遊びみたいな偏見がいまでもあったりするが、いやいやどうしてそれなりに結構エネルギーを使うものだ。
そして歳を重ねるごとにそのエネルギーを貯めるタンクはどんどん容量が減ってゆく。
新しいゲームを始める時は、システムやルールをまっさらな状態から飲み込んだりと、消費するエネルギーの量もさらに多くなってくる。
それが嵩じると新しいゲームを一からスタートさせる気力すらおぼつかななかったりするのだ。

年季の入ったゲーマーが特定のジャンルやレトロゲームに拘泥してゆくのは、なにも柔軟性を失っているだけではない。エネルギーの枯渇という止むに止まれぬ事情もあったりするのだ。
オレのように元が怠惰で無気力な人間ならなおさらである。
ましてやこうも常軌を逸した猛暑の中だと、ゲームをやる気力もさらに失われてくる。だらっと横になってただビールを飲む誘惑に誰が抗えるだろうか!?

そんな状況で重宝するのは気力の燃費がいいゲームだ。
するべきことが分かりきっていて、なんとなく続けられて、それなりに達成感のあるジャンル。ビール飲みながらやれたらさらに言うことなし。
そう、アイテム探しゲーム(ヒドゥンディティクティブ)!

定番となっているこのジャンルだが、オレの考えでは大きく二つの流れに分けられる。
一つはArtifex Mundiの諸作品に代表されるようなモバイルの狭い画面にアジャストした情報密度の濃いタイプ。
そしてもう一つは「ウォーリーをさがせ!」の流れを汲む、大画面に無数のオブジェクトが執拗に敷き詰められたタイプだ。
『Hidden Through Time』は後者。PCモニターや大画面テレビでも遊びやすい、むしろ大画面に皿のようにした眼を近づけてなんぼのゲームである。

同系統に『Hidden Folks』という評価の高い作品があるが、画面が白黒なゆえに5分も遊ぶと眼がしょぼしょぼしてきた『Hidden Folks』と違って、こちらは淡い色が主体のカラーだから、プレイアビリティの点では『Hidden Through Time』に軍配が上がるだろう。

そして本作の特徴はマップエディタ機能。
とはいえ自分でマップを作成するのは、これまたなかなかエネルギーを必要とされる作業だが、それ以上にアップロードされた無数のマップを、あれこれつまみながらのプレイが思いの外楽しい。
同じオブジェクトパックを使っての配置でも人によって個性が出るし、ヒントワードの付け方にもそれぞれに特徴が出ていたりする。

扇風機の風の下、ビール片手に目を凝らしながら、似たようなオブジェクトを選り分けて小さなカエルや人や果物やなんだか分からないものを探して探して探しまくる。
ほどほどのエネルギー消費にもかかわらず見つけ出したときの達成感はかなりものだ。
夏の夜は「ゲームをやるぞ」エネルギーの燃費が格段に優れたアイテム探しゲーム。
他人作成のオンラインマップも豊富にあるからコストパフォーマンスもなかなかだぞ。
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2022/08/06 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ご無沙汰しております。
随分と更新の間隔が開いちゃいましたが、これは別に身体を壊したとか生活が破綻したとかゲームをやるモチベが消え失せたとかではなく、ただ単に『Plants vs. Zombies ネイバービルの戦い』ばかりを猿のように遊び込んで他のゲームをまったくやってないからネタが無いだけです。

とりま近況報告ということで。史上最高。
この記事に含まれるtag : TPS
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2022/04/23 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
オミクロン株の猛威で人がバタバタ休んで、ただでさえ忙しいところに負担がさらにきつくなり、休むに休めないという究極デスマーチ状態だったんですけど、皆さんお元気でしょうか? 私は全然元気じゃありません。
こうも身体が変調きたすくらいヘトヘトだと、未知のゲームをまっさらの状態から始める余力すら失われてきて(「そこはゲームやらずに休めよ」というツッコミもそりゃあるでしょうが)、ついつい新しい理(ことわり)を覚えずに済む勝手知ったるものに惰性で手を出しがちになっちゃいますね。

そんなわけで荒れ果てたコンコードの街で久方ぶりに出会った、プレストンや」スタージェス以下すっとこどっこい連中。
まだ遊んでないゲームを積みに積んでいるときに再びプレイするには、ずいぶんと時間食いでヘビーすぎるゲームのような気もしますが、なんか居住地ビルドを改めてだらだらやりたくなったんだよ!

すでにオンラインプレイに軸足を移した後継作の『Fallout 76』があって、そちらの方が諸々のビルド要素が充実しているのかもしれないけど、それは私には物足りないものでした。
なぜなら『Fallout 76』には"復興"の二文字がない。
『Fallout 76』は、いくら立派な建物を建てたところで、あれは要するに河原で各々が好き勝手に棲み家をこしらえてるようなもんです。

しかし『Fallout 4』の居住地は違う。
自分がしつらえた寝床と水道と電気にたとえNPCと言えど人が集い、荒れ果てた大地の中で文化的な暮らしを成り立たせ、やがて集落として機能する。
B.O.Sやインスティチュートやレイルロードの、それぞれの立場の自分勝手しかない各ルートをよそに、終末的な世界を変革する者としての手応えを与えてくれる、実質的なメインストーリーと呼んでいいものだったじゃないですか、居住地関連の諸々って。

バカみたいに時間を食うゲームであることは確かなんだけど、いったん軌道に乗ってしまえば、居住地をちょこっと弄ったり、住民の身なりを整えたりの小一時間程度のプレイを毎日少しずつ積み重ねられるのも『Fallout 4』の良いとこっすよね。
それに何かが復興していく様を目にするのは、身体が弱ってるときなんかは精神的に非常にいいもんです。

ってなわけでサンクチュアリに始まり、スターライトドライブインには1階店舗2階病院と床屋、3階以上は居住区の鉄筋コンクリートビルを建てて繁華街化を図り、オーバーランド駅やアバナシーファームには駐在所を建ててミニッツメンを常駐させ、レッドロケット・トラックストップにはコズワースとストロングだけを住まわせてコズワースをひたすら困惑させる、そんな新しい居住地設計をまた一からちまちまちまちま始めているような昨今です。
この記事に含まれるtag : FallOut
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2022/02/19 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
外伝ものの主人公ってのは基本的にぞんざいに扱われがちだけど、こと『Far Cry 3 Blood Dragon』のレックス・コルト軍曹に限っては、作品ごとに使い捨てな本編シリーズの主人公たちより多少は恵まれているのかもしれない。
一発ネタに思われた『Far Cry 3 Blood Dragon』にまさかの後継作が登場。
その主人公はレックスとヒロインの間にできた二人の子供。
そして今回『Far Cry』に代わってバリバリエフェクト芸の素材にされるUBIゲームは、熱心なファンも多いバイクトライアルゲーム『Trial』シリーズだ。

とは言え本作『Trials of the Blood Dragon』は、なんだかんだでファークライの枠を外さなかった親からさらに針を振り切っている。
『Trials』はざっくり説明するならば、モトクロスバイクでただひたすらゴールまで突っ走るだけのゲーム。
そのちょっと変わった見た目版のつもりでこれに手を出してみたプレイヤーは、バイクのみならず、RCカーや火星地上車、さらには『Shadow Complex』ばりのプラットフォームシューティングが継ぎ接ぎされたキメラのような風体に戸惑うことだろう。

ダシにされた『Trials』は気の毒だし、そのファンがこのゲームをまったく評価しないのもよく分かるが、しかし顰蹙もある意味『Trials of the Blood Dragon』の真骨頂。
1990年代の初頭にPop Will Eat Itself(PWEI)というニューウェーヴバンドが一斉を風靡したが、彼らのサウンドは既存曲の断片をあらゆる方面から引っ張ってきて再構築する、良く言えばサンプリング、悪く言えば剽窃の極みみたいなものであった。

そしてオレは『Trials of the Blood Dragon』からも、PWEIのような痛快な山賊作法をびんびんに感じたりするのだ。
様々なゲームの要素が雑然と継ぎ接ぎされているのだけれど、そこに『Trials Fusion』や『Shadow Complex』の本来の醍醐味はまったくない。
だけど雑多なコンテンツが渾然一体となり、それらを『Far Cry 3 Blood Dragon』でもお馴染みの過剰なネオンエフェクトであんかけみたいに絡めた様は、一種のデジタルサイケデリック作品として完成されていると言ったら持ち上げすぎだろうか。

継ぎ接ぎされているのはゲーム的な諸要素だけではない。
幕間と呼ぶにはボリュームがあるカートゥーン風アニメを始めとして、『Trials of the Blood Dragon』にコラージュされているのは、『Far Cry 3 Blood Dragon』からちょっと時代の進んだ90年代初頭の様々なカルチャー。
シニカルを気取るのがキッズの最良のアティチュードとされていた時代の諸々が、コラージュにコラージュを重ねたムービーからインターフェイス画面にまで、毒々しいカラフルさをたっぷりと加えてまぶされている。

『Far Cry』シリーズの各本編もデジタルドラッグトリップ的な描写にトライしていたが、イマイチ消化不良に終わっていた本編のそれに対して、あらゆる要素がぐっちゃぐちゃにかき混ぜられた『Trials of the Blood Dragon』は、かなり成功している。
そしてその徹底した雑食サンプリングに何か意味やテーマを見出そうとしても、「ハハ、そんなもんあるわけないっしょ!」と無責任に放り投げているところにも、オレはまたPWEI的なやりたい放題のアナーキーさを垣間見たりするのだ。
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2022/02/15 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |