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- 【Foes of Ali】スポーツ史上もっとも偉大な男 [2016/06/05]
- 【Spell Down】交えるのは拳と心 [2015/08/22]
- 【あしたのジョー まっ白に燃え尽きろ!】 [2015/08/20]
- 【Ready 2 Rumble Boxing Round 2】リングを彩るダブルマイケル [2015/03/08]
- 【フェイスブレイカー】顔面崩壊セレブリティマッチ [2015/03/07]
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ヘンリー・クーパーはオーデコロンの匂いをプンプンさせた、気取ったイギリス人だった。
こいつと最初に闘ったのは、まだオレが奴隷の名前だった時だ。そういやこいつは後に貴族かなんかになったんだっけ?
ソニー・リストンは危険極まりない男。でもあの頃はオレも何もかもが絶頂だった。
ファイトスタイルから弁舌まで、モハメド・アリのスタイルは奴との一連の闘いで磨き上げられたといってもいい。
そしてオレの伝説も。ボックスを飾る野蛮なまでに官能的なスナップ、これはリストンとの試合で撮られたものだ。
ここまで芸術的なスナップを残せる被写体なんて、古今東西のスポーツ界を探してみてもオレ様しかいやしない。

トニー・シュバロ? ああ、あのマフィアの使いっ走りみたいな顔をしたカナダ人か。
恐ろしいまでにタフな野郎だったな。洗濯女なんて呼んで悪かった。
スモーキン・ジョー・フレージャー。認めるよ。オレのボクシング人生における最大のライバルだ。
あいつとの試合は毎回とんでもなくしんどい思いをさせられた。それは向こうも同じだろうけどな。
ジミー・エリスは同郷で気のいい男だ。オレのスパーリングパートナーでもあった。でもリングの上で相対するとしたら話は別だ。
ボブ・フォスター、こいつもテリブルだったな。でもやはりライトヘビーの選手だ。

ケン・ノートンはやっかい極まりない野郎だった。奴には手こずらされたが、でもオレという太陽と向かい合えたことは、奴のキャリアに輝きをもたらしたはずだ。
チャック・ウェップナーはその典型だな。オレはきらめく光だ。影にいる奴を照らしだす。おめでとうチャック、人生の一発逆転だ。お前は試合には負けたが、その名を歴史に刻み込めたんだ。
そしてレオン・スピンクスか。消耗しきったキャリア最終盤だ。並の奴なら晩節を汚して終わるとこだが、あいにくオレ様はザ・グレーテストだ。二度目にはきっちりと借りを返した。返り咲いたのさ。
フォアマンがここにいないのは何故だ? ああ、そうか。ジョージはこの頃カムバックを果たしていて、現役の最前線でバリバリやってる真っ最中だったっけな。

オレは常に革命をもたらしてきた。ボクシングだけじゃない、リングの外のことまでだ。
プロスポーツマンとしての立ち居振る舞いに始まり、ポリティカルなことからカルチャーに至るまで。ヒップホップはオレの孫みたいなものだ。
ゲームでもそうだ。ボクシングゲームに2Dから3Dへの革新をもたらした先駆けの一つが、オレ様の偉大なキャリアを追体験できる、この『Foes of Ali』だ。
3Dポリゴンで構成され、いつでもアングル切り替え可能なそのスタイルは、後に多くの奴らが追従した。
でもみんなオレのコピーだ。同じEAの『ノックアウトキング』や『ファイトナイト』シリーズも、要はオレに対するラリー・ホームズみたいなものさ。

もっともゲームの技術進化は、ボクシングのそれよりもはるかに速くて激しい。
この『Foes of Ali』も、当時の技術的限界で、いたらない部分も細々とある(蝶のように舞い蜂のように刺すってのは、なるべく脳内で補ってくれ)。
でもここまでオレを徹底的にフィーチャーしたゲームも他にはない。美しいボックスアートを皮切りに、すべてがオレ尽くしだ。これを遊べばどんなボンクラ野郎でも、このようにアリになったような気分になれる。
この手の個人名版権ボクシングゲームは、たいていが当の本人以外はみんな架空キャラでお茶を濁すのが相場だが、『Foes of Ali』はそうじゃない。
オレと闘うことで歴史に名を残せた奴らがズラリ9人実名で登場。連中もモハメド・アリの対戦相手となれたことの重みを承知している証しなのさ。
<日本国内版未発売>
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2016/06/05 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ボクシングとは、泪橋を逆に渡るためのもの。そんな時代も今や遠い昔の話。
今のボクシングは、男同士が深すぎる友情を築くためのるもの。少なくともこの『Spell Down』に於いてはそうだ。
リングの上で半裸で拳を交わし合い、取っ組み合い、最後は抱き合って互いの健闘を称える格闘技に、業の深い乙女たちが精神的ホモセクシュアルの臭いを嗅ぎ取ってしまうのも、まぁ無理からぬ話かもしれない。
そしてそれは当たらずといえど遠からずだ。時にはリングの上で如実にそれが形として表れたりする。

かつて新日本プロレスにやって来たピンピネーラ&フラワーズというメキシコのタッグチームは、リング上で対戦相手に無差別でディープキッスを仕掛けておのれの愛の形を具現化していた。
彼らの愛の表現相手は対戦相手のみに留まらず、時として観客にまで及んだ。
新日の屈強なレスラーたちを、揃って及び腰にさせたこの二人組だが、唯一ドン荒川だけは、この二人に全く動ぜず、得意のカンチョー攻撃を連発して彼らを悦ばせていたりした。さすがだ。
もっともこのピンピネーラ&フラワーズは、近くで見れば単なる化粧をしただけの汚いおっさんなので、『Spell Down』が掲げる「熱き男たちのファイティング・ボーイズラブ」というテーマとは多少のズレがあるかもしれないが……。

かつては世界チャンピオンを期待されるほど、将来を有望視されていたが、対戦相手を死に至らしめてしまったショックでグローブを置き、今ではボクシングジムの雑用係に身をやつす男。
そんな主人公のカンバック(©ガッツ石松)ストーリーが本作の主軸なのだが、最初のプレイでは何故だか裏の陵辱ルートに迷い込んでしまい、衆人環視の中、リング上でガチムチマッチョの外国人たちに寄ってたかって辱められる事態に陥ってしまった。
主人公がボクシングに再び目覚めるきっかけとなる、ジムの若手有望株ボクサーのポジションが、「あしたのジョー」で言うと青山君とウルフ金串をミックスさせたような(彼もウルフ同様、再起不能になってしまう)、ストーリーのかませ犬的な不憫さ。
それでも明るさを失わない彼の姿を見るにつけ、ファーストプレイでは何としてでも主人公と彼をくっつけなければ報われないだろうと意識していたのに、この始末だ。
本作は極端に選択肢が少ない半デジタルノベル風の内容なのに、何処をどう間違ってこうなってしまったのだろう。

メインルートは、この若手ボクサー、主人公の親友、そして現役世界チャンピオン(彼は主人公がかつて殺めた選手の弟でもある)の三つに分岐していく筈なのだが、それらしい選択肢が全く出てこないままクライマックスの主人公カンバック戦に至ってしまった。
これはどうしたことだと内心ちょっぴり焦っていたら、試合も佳境に入ったところで、ここでようやく分岐の選択肢。
病室の若手ボクサーに思いをはせるか、すぐ間近でセコンドにつく親友の温もりを感じるか、対戦相手の世界チャンピオンに熱い眼差しを送るか、お好みでどうぞ。
目の前でどつきあいをしている相手に劣情を催すというのも、傍から見ている我々の理解の範疇を超えているが、これも裸で拳を交える者同士にしか分からない特殊な感情なのかもしれない。
さあ、試合が終わったらベッドの上で延長ラウンドのゴングだ!
<アダルト作品>
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2015/08/22 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
「ジョー、いよいよウルフ戦だ。わしが教えたクロスカウンターのタイミングを、決して忘れるんじゃねえぞぉ」
「おっと、おっつぁん。生憎とオレにはそんな肉を斬らせて骨を断つみてえな、一か八かの戦法は必要ねえぜ」
「なんだとぉ? 舐めた事をぬかしてるんじゃねえ! ウルフ金串はそんなに甘い相手じゃねえぞ」
「だいたいよぉ、ウルフがオレのクロスカウンター躱してダブルクロスを打ってくることが分かってるのに、なんでみすみすクロスを打たなくちゃなんねえんだよ」
「お、おめえってヤツはぁ……」

「そんな大博打よりもっと確実な戦法があるぜ。ジャブの牽制でガードを上げさせてすかさずボディ。ジャブ、ジャブ、ボディをぺちぺち、ジャブ、ジャブ、ボディをぺちぺち。なぁに見栄えは多少悪いが、この堅実なボクシングをこつこつ繰り返せば倒せない相手はいないって。ほうれ、ウルフの旦那も堪らず膝から崩れ落ちなすった。へへっ、どうしたんだい、おっつぁんよぉ。教え子の勝利だぜ。ちったぁ嬉しそうな顔したらどうなんだい」
「おめえみてえなジョーに、ウルフと闘う資格なんざ断じてねえぇぇ!」
「そんな事言ったって、闘って勝っちまったもんは仕方ねえだろ」
「ウルフは顎が砕けて再起不能になっちまったって言うのに、おめえって奴はぁぁ!」
「おいおい、そいつは冤罪だぜ。俺はウルフの腹だけしか殴ってねえ」

ボクシングとは、泪橋を逆に渡るためのもの。
PS2コントローラを手に追体験するのは、矢吹丈がまっ白に燃えつきるまでの、言わずと知れたあの一連の物語。
公園での鬼姫会との喧嘩に始まって、鑑別所での西との対決から、ハリマオ戦を前にしてのゴロマキ権藤とのスパーリングなど、ボクシング以外の対決もフォローした試合パート。
鑑別所、後楽園ホール、丹下ジム、蔵前国技館、後楽園球場、いずれも丁寧に作り込まれた試合会場の数々。
原作に忠実に、試合によって変わるセコンドの顔ぶれ(西の代わりに紀ちゃんが加わっていたり、後半は河野が勤めていたり、ホセ戦ではホームレスバージョンのカーロスの姿もちゃんとある)。

そしてジョー役の声優は、あおい輝彦ご本人。
なにせ「あしたのジョー」の声優さんは、今では物故者や引退者が多かったり、或いは気軽に起用できない大御所さんになっていたりと、オリジナルのメンバーを揃えるのが実質不可能になっている。
こちらとしても、オリジナル声優に近いメンバーを揃えてくれ、なんて無理難題は言いはしないが、だけどジョー=あおい輝彦だけは、そうそう譲れるものではない。
現在のあおい輝彦の声が、完全にミドルエイジ男性のそれになっていて、このゲーム中のジョーの声が、まるで"ジョーの物真似をする助さん"になっていたとしても、そんなことは些細な問題だ。

そしてこのゲームのメインは、「あしたのジョー」のストーリーを追っていくモードなのだが、必然的にこれはダイジェスト進行を余儀なくされる。
だけど本来「あしたのジョー」に疎かにできるキャラクター、はしょれるエピソードなどは、一つとして存在していない。
これをダイジェストに収めるためには、それこそ力石の減量なみの身を削ぐ思いをしなければならないのだが、このPS2版あしたのジョーは、押さえるべきエピソードをきちんと収めてくれている。
マンモス西のうどん隠れ食いに、ウルフと権堂のエピソード、草拳闘ドサにカーロスの狼藉、一見飛ばしても問題なさそうな「愛弟子の滝川ををハリマオにぶっ壊された横倉会長の白木葉子への恨み節」なども漏らさず入っている(これは白木葉子のドン・キングを凌駕する悪魔のプロモーターぶりが浮き彫りになる重要なエピソードだとオレは思う)。

嗚呼しかし、ゲームプレイヤーにとってはまっ白に燃えつきるよりも大切なことがある。それはゲームオーバーの回避だ。
そんなジョーと正反対の生き様を歩む者たちにとって、牽制のジャブとHP削りのボディだけでホセ・メンドーサをも倒せてしまうゲームバランスは、まるでマンモス西の前に差し出された熱々のうどんみたいなものなのであった。
ウルフを、力石を、タイガー尾崎を、ウスマン・ソムキットを、カーロスを、金竜飛を、ビナン・サラワクを、そしてホセを相手に、すべてジャブ、ジャブ、密着してボディ、ジャブ、ジャブ、密着してボディの、けれんのまったくないボクシングで闘い抜くジョー。
石橋を叩いて渡るジョー、小さな事からこつこつがモットーのジョー。そんなの断じてジョーじゃねえ!

梶原先生が聞いたらホステスをリフトアップしてブチ切れそうな情けないジョーっぷりにも関わらず、ウルフは再起不能になるわ、力石は死ぬわ、カーロスはあんなになっちゃうわと、ストーリーは例の調子で通常進行するもんだから、コントローラを握るこちらも自然と気まずくなってくる。
だから力石よぉ、腹しか殴ってないのに死ぬこたぁねえだろう。
だが分かっている。悪いのはこのゲームではなく、そんな戦法、そんな生き方を自らの意志で選択しているオレだ。
梶原先生、ちば先生、ごめんなさい。力石、カーロス、本当にすまねえ。そしてジョー、ごめんよ。

クライマックスのホセ・メンドーサ戦。鬼姫会のちんぴらが、草拳闘の稲葉が、ゴロマキ権藤とその子分たちが、客席から熱い視線をオレのジョーに送っている。
「おまえのクロスカウンターを見せてくれ!」
声を枯らして叫ぶウルフの姿もある。ウルフよ、すまねえ。ゲームクリアを目の前にして、そんな危険を冒すわけにはいかねえんだ。
ジャブ、ジャブ、ボディをぺちぺち、ジャブ、ジャブ、ボディをぺちぺち。引退したら白木葉子に養ってもらって左うちわで暮らすんだ。
ああ、オレのジョーは、まっ白な灰どころかマッチの燃えさしにすら成れなかったみたいだぜ。
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2015/08/20 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
実在ボクサーのライセンスをとらなくともボクシングゲームはできるを証明したのは、今はなきMidway。
タイソンやらホリフィールドやらと、名前を借りてくるだけでたんまりおカネがかかりそうなボクサーの代わりに引っ張り出してきたのは、一介のリングアナウンサー。
とは言っても日本でイメージするようなリングアナとは、ちょっとワケが違う。ボクシングファンのみならず世界的にその名を轟かせているスターリングアナ、マイケル・バッファー。下手すりゃそこらのボクサーよりも契約金がかかるに違いない。

その必殺のフレーズは「 Let's get ready to rumble!」。麗々たる張りのある声でこれが奏でられると、試合直前の会場は期待が膨れ上がりいっきにヒートアップする。
この決め文句をタイトルに掲げ、さらに実写のマイケル・バッファー本人がオープニングムービーにも登場し、ゲーム内ではモーションキャプチャーされたCGのマイケル・バッファーが、ボクサー以上に目立ちまくって八面六臂に活躍するゲームが成功をおさめるのは、もう必然のことだったのだろう。

しかし日本ではさすがに"マイケル・バッファーのゲーム"というくくりは通用しないので、『レディ・トゥ・ランブル・ボクシング~打ち込め笑いのメガトンパンチ!!』の邦題で、コミカルなオリジナルボクサーたちによるコミカルな殴り合いを強調して売り込まれる運びとなった。
もっともこのゲーム、そのふざけた外観とは裏腹に、ボクシングゲームとして実にしっかりと作りこまれた秀作。
国内ドリームキャストに、気の利いたボクシングゲームのライバルが存在しなかったこともあって、マイケル・バッファーの威光が通用しない日本でも、まずまずの評価を獲得した。

そして調子に乗って登場したパート2ならぬラウンド2は、続編のお約束でキャラクターを増量。格闘ゲーム界の流行りに乗って、巨乳をゆっさゆっさ揺らすビジュアル系ボクサーが新登場だ。もっとも御年55歳のサモア系巨女だが……。
さらにマイケル・バッファーだけではマイケルが足りないとばかりに担ぎ出された新たなマイケルは、なんとマイケル・ジャクソン。ことゲームに限っては、ほいほいと気軽に顔を出すナイスガイ。
だが『レディ トゥ ランブル』は、パンチで青タン作ったり顔が腫れ上がる表現がウリの一つ。その場に挑むにはあまりにもデリケートな顔の持ち主のような気もするが、しかしさすがマイケル抜かりはない。
手間とカネをかけた大切な顔はコンクリートのようにガッチガチに固めてあるから、彼に限っては顔面崩壊の心配は無用だ。
マイケル・バッファーが「King of pops!」とマイケル・ジャクソンをコールするくだりは、このゲーム中もっともファンタジックな瞬間かもしれない。

マイケル・ジャクソンと並んで登場するもう一人のセレブは、こちらもゲームにはほいほい顔を出すシャキール・オニール。
伝説のシャックフーの秘技をボクシングのリング上で炸裂させんと、こちらもやる気まんまん。
さらにライセンスの許諾もなしに引っ張りだされてきたセレブが、時の大統領と大統領夫人(にして次期大統領候補)。
残念なことにこのゲーム、キャラクタークリエイト機能がないので、モニカ・ルインスキーを投入することができないのが悔やまれる。

セレブリティキャラたちの参戦によって、原始セレブリティデスマッチゲームのような性格も帯びた『レディ トゥ ランブル ボクシング ラウンド2』。
これの日本国内販売を手がけたのは、当時Midwayと提携していたコーエー系列のコーエーネット。
水と油みたいにカラーの違う両社が手を結んでいたのも、今から考えると不思議な話だが、しかし本作や『スパイハンター』、『ガントレット ダークレガシー』といったMidway産の秀作が日本でもお目見えしたのは、その不良とオタクの交友みたいに奇妙な提携の一応の功績だろう。
Midwayなき後のこのブランドはATARIに移り、2009年には同社から最新作『Ready 2 Rumble: Revolution』がWiiで発売されたが、こちらは日本には未登場で終わってしまった。
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2015/03/08 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ゲームを著名人キャラを使ったセレブリティデスマッチのツールと割り切ってしまう遊び方で思い出すのが、EAスポーツの新ブランドFreestyleの第一弾として登場したボクシングゲーム『フェイスブレイカー』(2008年作)。
カートゥンライクなオリジナルキャラクターたちがリングの上で、パンチはおろか蹴りや投げも辞さずにド突きあう、ボクシングというよりはむしろ格闘ゲームに近いテイストの作品だった。
このゲームの大きなウリであったのが、最近プロレス界でにわかに脚光を浴びた顔面崩壊。
実際のボクシングでパンチがヒットした瞬間を捉えた写真を見てみると、たった一発のパンチで人間の顔が瞬間的にここまで歪むものなのかと驚かされるが、『フェイスブレイカー』の顔面崩壊表現は、それをさらにコメディタッチにデフォルメしたもの。

パンチがクリーンヒットすれば、殴られた方の顔はまるでクッションみたいにぐにゃっとド派手に崩れ、目玉は飛び出し口は呆けたように開くハメになる。
野郎のキャラのみならず、これは女性のキャラも同様。パンチの一撃で、その端正な顔はだらしなく歪み青タンで腫れ上がる。
その昔、「顔はやめな、ボディ、ボディ」と口走った現国会議員がいたが、ここではそんな姑息なアドバイスに耳を貸すことはない。
『フェイスブレイカー』では相手の顔面をぶっ壊すことが強さの証。『Diablo』では切り取った耳が戦利品となったが、ここでその代わりを務めるのはボコボコになった相手の顔写真だ。

ところがそんなはっちゃけたメインテーマに弓をひくかのように、このゲームの肝心の試合部分は、相手のコンボの隙を突いてこちらもちまちまと細かいコンボを繋げていく、コンセプトと相反するかのようなせせこましいもの。
顔面を豪快に殴りあうどころか、むしろ「ボディ、ボディ」奨励とも言えるコンボ偏重のシステムは、せっっかくの顔面崩壊要素をスポイルしまくり。
逆に崩壊しているのは、CPUキャラが反則級に強すぎるゲームバランスの方で、これが特に祟りゲームの評価はもう散々なものとなった。

その中で唯一の救いとなったのが、後のEAボクシングゲームで本格的に導入されることとなる、Xbox LiveビジョンやEAのアップロードサイトを経由して取り込んだ顔写真を使ったエディットボクサー作成システム。
エディットで作ったキャラクターも、もちろん容赦なく顔面が崩壊しまくるとあっては、これはもうセレブリティデスマッチのツールに使ってくれと言ってるようなもので、もうオレは喜び勇んでセレブたちを模したキャラクターを作りまくっては、リングの上でド突きあわせた。
久々にこのゲームを起動して、自分のボクサーファクトリーを覗いてみると、そこにいる面々は春風亭小朝と泰葉に、ターザン山本と夢香、畠山鈴香に"おい、小池!"など、いかにもその当時のトレンディな話題を偲ばせるものばかり。

これで峯岸みなみ(坊主)に秋元康の顔面を叩き壊させて喜んでいたりしたんだから、歪んでいるのはボクサーの顔じゃなくてキサマの遊び方だなどとツッコまれそうな気もするが(返す言葉もない)、自分でもよく分からないのは、そんな一昔前の話題の人に混じって、ジミー鈴木やイーデス・ハンソンといった、そもそもなんでそんなもんを作ろうと思ったのか、さっぱり思い出せないようなキャラクターも混じっていたことだ。
オレはこの人たちをリングに上げて、いったい何をさせたかったんだろう?
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2015/03/07 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |