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- 【World War Z】ゾンビの人海戦術 [2020/07/21]
- 【Dead Rising 4】凋落の第4作目 [2020/07/18]
- 【Dead Island Retro Revenge】レトロに非ず [2020/07/15]
- 【Dead Island Definitive Collection】地獄のソーシャルディスタンス [2020/07/12]
- 【Dead Rising 2: Off The Record】再生産の再生産 [2020/04/10]
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ゾンビを凶暴化する感染症として描いた映画は割と昔からあったけど、それをパニック映画の体裁にまで持っていたのはダニー・ボイルの「28日後…」あたりだろうか。
以降全力疾走で襲いかかってくる尋常じゃない数の感染者たちは、ゾンビ映画の基本フォーマットとなっていった。ゲームと同様、映画のゾンビも物量で押す時代である。
そういった一連の"感染者物量"もので記憶に新しいのがマーク・フォースター監督作の「ワールド・ウォーZ」。
ぶっちゃけ主演のブラピにひたすら腹が立ってくるだけで、それほどパッとした映画ではないんだけど、それでも序盤フィラデルフィアの市街を暴れまわる感染者たちの疾走感など見どころはそれなりにある。

中でもインパクトがあったのは、瞬く間に人間タワーを作り上げて巨大な壁を感染者たちが乗り越えてしまうシーン。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」もかくやの光景がハードコアパンクのスピードで展開される様子には、スクリーンの前で思わず声を上げて笑ってしまった。あれでブラピさえ出てこなければ、それほど悪くない映画だったのかもしれない。
その「ワールド・ウォーZ」のライセンスを、なぜか映画公開から数年も遅れて取得したのはSaber Interactive。
個人的には『TimeShift』や『Inversion』などB級臭の強いシューターが印象にあるメーカーだ。「世界侵略: ロサンゼルス決戦」のゲーム化を手掛けたのもここだったっけな。

全力疾走大量ゾンビに蹂躙される世界を再現するために臆面もなく導入したのは『Left 4 Dead』のフォーマット。
ゾンビの群れを4人のパーティーが協力しながら捌きステージの突破を図る、マルチプレイに特化したあのシステムだ。
『Left 4 Dead』の4人のキャラは最後まで固定だったが、こちらは世界全体が感染症に飲み込まれるよりグローバルな設定に基づき、ニューヨーク、エルサレム、モスクワ、東京とステージチャプターが分かれ、それぞれに4人組が設定されている。

押し寄せるゾンビたちの量も原作に倣って同系統のゲームよりもマシマシだ。
それを際立たせるためにか、ある地点に留まってゾンビの波状攻撃を一定時間耐え凌ぐディフェンスモードが多めに設定されている。
高所など比較的優位な位置から始まるこのディフェンスモードだが、ゾンビたちの圧倒的な数の前にすぐそんな優位性など消し飛んでしまうであろう。
遥か向こうの方から尋常なじゃない数のゾンビが続々と姿を表し、一斉にこちらに向かって走り寄ってくるホードの始まり。
そしてそれを前にして「これもうダメかもしんない……」と、イベントの開幕ダッシュを迎えるバイト警備員のような軽い絶望を覚えるのは、このゲームの一番のハイライトだ。

壁や段差などゾンビにとっての高低差ハンデを埋めるのは、映画でもお馴染みの人間タワー。
下のゾンビに他が次々とよじ登り、たちまちのうちにピラミッド状のタワーを形成してしまう。
学校の組体操は昨今なにかと批判の的だが、こちらは誰も咎める者がいないから、もうやりたい放題だ。
これを前にしたらとにかく下段の連中に火力を集中して、タワーを下の方から崩してゆくのがセオリーだ。

ただゾンビたちの過剰な疾走感と、もはやコントの域に達しているゾンビピラミッドを別にすれば、あとはもう『Left 4 Dead』そのまんま。
ホードに重きを置いた比重とゾンビ物量過多により、本家のごとき絶妙なゲームバランスを欠いている雑然としたクローンの印象が強い。
しかし物量とピラミッドしかセールスポイントがないというのは、ある意味原作映画を忠実にトレースしていると言えなくもないわけで、そういった点ではシネマゲームとして正しかったりするのかもしれない。
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2020/07/21 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ゾンビが出てくるゲームが溢れかえっている昨今だが、そのゾンビゲーム史の中でターニングポイントとなったのは、やはり『デッドライジング』(Dead Rising)であろう。
もう発売された2006年を年表上のビフォアーアフターの区切りにしてもいいほどだ。
『デッドライジング』のなにがエポックだったかというと、いまのゾンビゲームになくてはならないファクターとなっている"ゾンビは物量"という概念を確立させたことだ。

無数のゾンビで溢れかえったショッピングモール。そこにぽつんと放り出された主人公。
ゾンビ映画を観て育ったあんぽんたんなら一度は夢見たシチュエーションを、当時の最新鋭機のパワーで余すことなく再現させた。
そして『デッドライジング』の偉大なところは、それまでのゾンビゲームが建前としていたホラーという体裁を、臆面もなくうっちゃったことだ。
自ら名乗ったジャンル名はゾンビパラダイス。後腐れなく遊び相手にできる幾千幾万のゾンビたちと、思うがまま振る舞えるショッピングモール。これ以上はない悦楽の二重奏だ。

この『デッドライジング』とマルチプレイTPSとして一斉を風靡した『ロストプラネット』。世界に通用するIPを一から創り上げたゼロ年代のカプコンはホントに凄かった。この時代の先頭を走るメーカーだった。
しかしカプコンはせっかくのオリジナルIPを瞬く間に使い潰してしまう。
『ロストプラネット』シリーズのあっという間の凋落には多くの雪賊たちが涙した。
そして『デッドライジング』シリーズも、ロスプラほどの急落ではないものの、やはり下降線の一途からは逃れられなかった。

第1作の発売から奇しくも10年目となった『Dead Rising 4』の舞台は初代と同じコロラド州の田舎町ウィラメッテ。
そして舞台と同様、正規なナンバリングタイトルの主人公として久方ぶりにカムバックしてきたのは、我らがフランク・ウエスト。
原点に帰ったと言えば聞こえがいいかもしれないが、しかしこれは2、3、そして外伝タイトルで重ねてきた手を変え品を変えての再生産のネタにいよいよ詰まってしまった証みたいなもの。
最初に放り出されるショッピングモールもスケール感に乏しくて(初代がイオンモールなら4のそれはせいぜいザ・ビッグ)、そこらをうろうろするだけで楽しかった初代デッドラのワクワク感には到底及んでいないことを、のっけから思い知らされる。

ストーリーを進めるうちに主人公の行動範囲はショッピングモールから、それを取り囲む街へと拡大してゆくのだが、この街ステージとて『Dead Rising 3』のあからさまな縮小再生産。
そしてデッドラシリーズではお馴染みの存在である"狂気の生存者"サイコたちの扱いも、おざなりって言葉の見本みたいな、その場限りの間に合わせっぷりだ。
だいたい主人公のフランク・ウエストからして、フランク・ウエストのパロディというか二次創作みたいな明らかに「これちょっと違う……」なキャラクターになっていたりするのだから、その他の登場人物の終始一貫していない破綻したキャラクター付けは言うに及ばずだろう。

いささか乱暴な例えになるけど、曲りなりにもロメロ~サム・ライミ~ポール・W・S・アンダーソンと繋いできた映画シリーズのバトンを、いきなりウーヴェ・ボルに渡してしまったような作品。
この凋落ぶりを目の当たりにしてしまうと、再生産の繰り返しと揶揄されながらも、常に一定レベルのゲームを提供し続けているUBIの各AAAタイトルは、あれはあれで大したことなのだと認識してしまう。
次世代機の登場を前にして、果たしてこのエポックなシリーズが復権する余地は残されているのだろうか。
救いとなるのは投げっぱなしってレベルを通り越して、なんの説明にもなっておらず、逆に今後どう解釈しても筋は立ちそうなエンディングくらいのものであろうか。
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2020/07/18 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
古手のゲームマニアは比較的新しい機種だと思いこんでそうなドリームキャストですら、いまや20年前のハード。
言葉そのものの意味で言えばドリキャスや、さらにはPS2のゲームですらもレトロゲームの範疇に入ってきそうだが、しかしこのレトロゲームって言葉、音楽のオールディーズと同じように、本来の語意を離れてある一時代のゲームを指す言葉として定着した節がある。
平たく言うとファミコンやスーパーファミコン、そしてそれらと同時代ハードのゲーム群だ。

レトロゲームの大きなファクターとなるのはブラウン管テレビ。
近年の現世代機向け復刻レゲーものには、擬似的なブラウン管テレビモードを実装しているものが多いが、逆に言えばブラウン管っぽいのビジュアルを纏えば、とりあえずはレトロゲーム的な雰囲気を装えちゃうわけで、この『Dead Island Retro Revenge』は、まさにそんな安易なレトロゲーム風作品。

むさ苦しい男が悪人たちに連れ去られた愛猫を救うべく、ゾンビハザードに侵された街の中をゾンビや兵士たちをなぎ倒しながら左から右へ。
いわゆるベルトスクロールアクション(Beat-em-ups)はスーパーファミコン時代に一世を風靡したジャンルで、ゾンビものでは「ナイトスラッシャーズ」なんてアーケードのカルト作を生み出したりもしている。
『Dead Island Retro Revenge』も、16bit風の装いやその見た目から、当然誰しもがベルトスクロールアクション系のゲームだと思いこむところだろう。

ところがゲームを始めるといきなり「話が違う!」と驚かされるのが、勝手に右方向に走り出すプレイヤーキャラ。
そう、この『Dead Island Retro Revenge』は、一見『ファイナルファイト』風のベルトスクロールアクション、その実態は近年のスマホ系の形態であるランゲームと、完全に看板に偽りありのなんちゃってレトロ風ゲームなのであった。

元々は『Dead Island Definitive Collection』のオマケとして付けられていた作品だから、その時点では「まぁ添え物だからな……」と不承不承納得もできたが、その後改めて単体でストアで販売されているとなると話は別だ。
ブラウン管を模した見た目以外は何一つレトロ要素のない自称レトロ。ついでに言うとゾンビが出てくること以外は『Dead Island』っぽさもカケラも無い、二重の意味で「話が違う」なゲームである。
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2020/07/15 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
いよいよやって来た夏!
しかし長いこと生きてきて、ここまで気分が晴れない夏というのも他にはない。
梅雨前線はいつまでもぐずぐずと停滞し、そして再び都内で感染拡大の予兆を見せているCOVID-19。
海も、フェスも、野球場も、花火も、お祭りも望めない夏が、ここまで気の乗らない季節であったとは。
せめてサマーリゾートをゲームの中だけでもと約10年ぶりに訪れたのは、南太平洋のリゾートアイランド、バノイ島。

ここではコロナの脅威とは無縁だ。ビーチに繰り出した人々は大いに浮かれ、夏の日差しに火照ったお姉ちゃんたちは、向こうから全力ダッシュで積極的に濃厚接触を求めてくる。
灼熱の太陽、青い海、白い砂浜、この世の楽園とはまさにこのことか。
もっともこのリゾートアイランド、コロナどころではない感染症が島中に蔓延しちゃっているのが玉に瑕なのだが……。

ゾンビとはゲームプレイヤーが何の憚りもなく嗜虐的な暴力行為を振るえる大義名分を持った便利な存在。
その特性を生かしゼロ年代末から10年代にかけて、それまでのホラーの体裁すら放棄したゾンビ大殺戮ゲームが続々と登場したが、そんな悪趣味極まりない一連のゲームの中でも『Dead Island』は飛び抜けてバッドテイスト度が高い作品だった。
メインウエポンとなるのは銃ではなく鈍器や刃物。
シューティングというお題目に収まる銃撃と違って、撲殺や斬殺はゲームの中とは言え、そしていかに相手がゾンビとは言え、それなりに嫌な手応えを残す行為だ。

そして『Dead Island』の斬撃は、『ソウルキャリバー』や『鬼武者』、さらに同じ悪趣味ゾンビ殺戮ゲーである『Dead Rising』にも辛うじてあったチャンバラ的スパスパ感とは無縁。
さらにタチの悪いことに四肢切断をゲームシステムに臆面もなく盛り込んでいる。
そこらに落ちている頻度が高い刃物はナタやマチェーテ、消化斧なんて類のもんばっかだ。それを振りかぶって間合いを取り、ゾンビの肩口めがけてずっばーんずぶずぶずぶ(決してすっぱーんなんて軽快な切れ味ではない)。

返す刀で今度は反対側の腕をずっばーんずぶずぶずぶ。両腕を失ってもこっちに迫ることをやめないゾンビ。ああ、じゃあ今度は脚だ脚!
例えバーチャルとは言えこんなことばかり繰り返していたら、人間として確実にダメになっていく。
そして人をダメにすることがソファーとリゾートの役目ならば、このバノイ島は極上のリゾートアイランドってことだ。

これ見よがしな残虐描写、救いのない展開、貧乏人蔑視、原住民差別など、これでもかと盛り込まれているバッドテイストは、映画に置き換えるとルチオ・フルチ作品などに共通するものがある。
そして南の島とゾンビの組み合わせときたら、暑さでたっぷりと腐乱しまくったゾンビが大挙登場の「サンゲリア」だ。
『Dead Island』に出てくるゾンビも南国だけに、他のゾンビゲーム以上に腐乱度が高そうなイメージだ。
ただでさえ薄着の上に灼熱の太陽で焦がされまくった動く腐肉。それがこの現世代機向けリマスターバージョン『Dead Island Definitive Collection』では、より鮮明になって勢いよく濃厚接触を図ってくる。
突き放すために繰り出すYボタンキックと共に思わず出てくるのは「ソーシャルディスターーーーンス!」の絶叫だ。

地獄と化したリゾートビーチ、貧民街、ジャングル、そしてラストの刑務所と、バッドテイスト系映画の舞台をつまみ食いしたかのような章立ても念が入っている。
発売された2011年当時ですら、その辟易するほどの品の悪さは際立っていたが、THQの倒産と共にそのまま過去のものになるかと思ったら、IPを買い上げられてこうしてしれっとカムバック。
気になるのは頓挫したかに思えた続編『Dead Island 2』だが、こちらもプロジェクト継続中の噂が一部であったりして、そのうちこれまたしれっと姿を表したりするかもしれない。
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2020/07/12 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
ウィラメッテショッピングモールでの乱痴気騒ぎから5年。
ゾンビの災禍はアメリカ全土にまで拡大(今どきに言うとオーバーシュート)し、そして世界は不安を抱えながらもなんとなくこの騒ぎと共存するフェーズに入っていた。
ゾンビもののシリーズとしては王道パターンだ。
ゲームに限らず、映画やドラマなどあらゆるエンタメジャンルは人気を博すとビジネスの事情から必然的に続編を要求される。
それらのシリーズは成功するものもあれば失敗するものもある。特にシリーズの3作目は鬼門だ。
これを乗り切ってナンバリングタイトルが4作目にまで至った『デッドライジング』などは、シリーズとしては優秀な方なのだろう。

どんなタイトルでもシリーズとしての礎を築くのは2作目。
舞台をコロラドのショッピングモールからネバダのカジノに移した『デッドライジング2』は、そういった意味では申し分のない続編なのかもしれない。
いびつだったゲームバランスに修正が施され、挙動や操作性も改良されて格段に遊びやすくなった。触れ込みの割には窮屈だったプレイヤーの自由裁量も大幅に広がり、合体武器など目を引く新要素もてんこ盛り。
そして何よりもゾンビのマシマシ大増量。続編としては充分すぎるくらいの進化を遂げている。

しかしどんなシリーズものも、その基本のコンセプトは1作目で完成完結してしまっている。システム的な部分を引き継がなければならないゲームの場合は特にそうだ。
初代の『デッドライジング』はゾンビを扱ったエンターテイメント作品として強烈すぎるくらい強烈だった。
無数のゾンビに囲まれたショッピングモール籠城、72時間のサバイブ、そしてゾンビより怖いのは人間のお約束。
ロメロの映画を観て育った身にとっては、これらをインタラクティブに体験できるだけでとてつもない幸せであった。

しかし2の舞台であるフォーチューンカジノを彷徨く無数のゾンビにあるのは、嬲り尽くせる大義とのろまさを兼ね備えた便利な人形としての側面ばかりだ。
プレイヤーが好き放題アンモラルに振る舞えるのは確かに『デッドライジング』のチャームポイントの一つだが、『デッドライジング2』以降の続編はその部分ばかりがひたすら拡大され再生産されていったような印象がある。
釘を打ち込んだバットでゾンビのなりをした入れ物をぽかぽか叩きまわる行為に、オレが真っ先に感じるのは惰性の二文字である。

これは2の主人公であるチャック・グリーンが、あまりにもキャラクター的にアクがなさすぎることにも起因するんじゃないかと思ったが、しかしフランク・ウエストが改めて主人公に起用された2の裏バージョンともいえるこの『デッドライジング2 オフ・ザ・レコード』でも、その印象は結局変わらずじまいだった。
それどころか2からほぼキャラだけを入れ替えただけの内容から受けるのは、再生産のさらなる再生産のイメージ。
4でより一層露わになる、フランク・ウエストのセルフパロディ化もこの『オフ・ザ・レコード』から顕在化しちゃっているのであった。
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