このページの記事目次 (tag: オープンワールド の検索結果)
- 【Ghostwire: Tokyo】魔都渋谷散歩 [2023/05/02]
- 【Assassin's Creed Odyssey】アサシンクリード オデッセイ [2022/10/25]
- 【Far Cry 3 Blood Dragon Classic Edition】ファークライ3 ブラッドドラゴン [2022/02/09]
- 【The Good Life】ザ・グッド・ライフ [2021/12/16]
- 【Maneater】マンイーター [2021/07/05]
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渋谷の街が人で溢れかえっているのは今に始まったことではないが、しかしここ数年の密度はちょっと尋常ではない。
混雑した街ってのは何も渋谷だけではないけれど、同じ人混みでも渋谷のそれは他の街と比べて揉まれているときの消耗度がハンパじゃない気がする。
2018年に起こった例のハロウィン騒動のとき、オレは喧騒からほんの少し離れた桜ヶ丘あたりにいたのだが、渋谷駅のさらに向こうの方からは禍々しい気が立ち上っているのをマジで感じたほどだ。

だから『Ghostwire: Tokyo』の渋谷が魔に包まれたなんて舞台設定も、「まあ元からそんな街っすもんね~」とあんまり切迫感を覚えなかったりする。別に放っておいても支障ないっしょ?
そんなワケでオレの前に広がる魑魅魍魎に蹂躙された渋谷の街は、まるでハロウィン翌朝の光景のよう。
魑魅魍魎に蹂躙って字面だけでは実際の渋谷もこのゲームも別に大した違いはないが、特筆すべきはあれだけうじゃうじゃいた人の姿も一切合切消え去っていることだ。なんて素晴らしい!

しかしゲームというのはプレイヤーがお節介を始めなければ転がらない。
この街の荒んだ魂を吸い上げて何かを成就させようとする魔の側を心配したくもなるが、とにもかくにも吸い上げられた魂を救済するために無人の渋谷の街を右往左往するハメになるのであった。
渋谷を舞台に魔物たちとバトルを繰り広げる。そんなプレイ前の印象とは裏腹に、その実態は移動サポートが充実した『アサシンクリード』な印象だったりする。
ビルのてっぺんからてっぺんを滑空して渡り、目についた浮かばれない魂を片っ端から回収。その合間にサイドミッションや他のコレクタブルアイテムをこなしたり、そしてたまに戦闘したりしなかったり。

戦闘システムのチュートリアルを担う最序盤の病院パートの手応えがパッとしなかったこともあって最初はハズレかと思ったが、フリーロームができるようになるとその印象は俄然と変わる。
そう、これは普段は人だらけで身動きもままならない渋谷をフリーダムに動き回れるゲーム。
センター街もすーいすいすいっ。いつもは行くのに迷うMAGNETの屋上も天狗さんの助けを借りていっきにぴょ~ん。駅前のビラ配りアイドルたちが壊滅しているのはちょっと寂しいけど、その魂はいずれ回収するから安心してほしい。ついでにワンマンのチケットくださ~い。

雑踏の楔から解き放たれた渋谷行脚の味付けとなるのは闇鍋のようなオカルトテイスト。
伝承や民話、フォークロアなど、もう思いつく限りの心霊超科学ネタを極めて雑に放り込んだ無節操さは時々鼻白むこともあるのだが、しかしその味噌もクソも一緒くたにつまみ食いしたような無責任な盛り込みっぷりは痛快だったりもする。

そして駅の周辺はかなり再現度が高い渋谷の街も、宇田川町のあたりまで来るとあっという間にアバウトになって、そこに広がるのはまるで時代を30年も遡ったような景色。
これはこれで妙にノスタルジーがあるし、いかにも日本土着のオカルトを写実的な駅前以上に感じさせる部分もある。

膨大な収集物と程よい数のサイドミッションのバランスも、このふらふらしているだけも楽しい街を隅から隅までくまなく巡らせるにはちょうど良い導線だ。
魔都渋谷をアバウトに駆け巡る雑食オカルトフレーバーのふらふらお散歩ゲーム、その合間に箸休め的な戦闘パート付き。

人がいない渋谷。そこはホントに心地よい。この事態を招いた般若面のラスボスに「グッドジョブ!」の一言もかけたくなる。
だからそんな恩人へトドメをさすのを先延ばしするためにも、ストーリーラインなんか放ったらかして現実の渋谷と照らし合わせながらくまなくお散歩を満喫しようじゃないか。
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2023/05/02 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
前作『アサシンクリード オリジンズ』は紀元前50年頃を舞台とした、アサシン教団の始まりを描いた作品。
そして『アサシンクリード オデッセイ』の舞台となるのは、そこからさらに歴史を遡った紀元前430年。
当然アサシン教団なんて影も形もない頃だが、この星と"かつて来たりし者"たちの関わりは、ここから遥か古代にまで遡るのだ。
今後のシリーズがここからさらに時代を逆行しても何らおかしくはない。そのうち「アサシンクリード ストーンエイジ」とかマジで出そうである。アサクリ、洞窟とかふらふらさせるのが好きだし。

メジャーカンパニーのAAA級タイトルすら淘汰され厳選されてゆく昨今において、アサシンクリードはもっともメジャーの資本とマンパワーの凄みを教えてくれるシリーズだ。
そのボリュームや作り込みはシリーズを重ねるごとに、どんどん大きくなるばかり。
『オリジンズ』はその膨れ上がる一方な各要素を収めるために、オープンワールドのアクションアドベンチャーからオープンワールドのアクションRPGへと、システム的に大きな転換を図った分岐点的作品であった。

だけどプレイヤーってのは保守的なもんで、オレなんかはその転換によって生じたシリーズ過去作とのゲームテンポの違いに、慣れ親しんだ形との齟齬から戸惑いを大きく感じてしまっていた。
だが一作を経ればさすがにその変革も咀嚼できる。
そして『オデッセイ』は『オリジンズ』で試みられた新たなスタイルを、より一層研ぎ澄ませた。
シリーズ最高峰と言っても過言ではないその完成度の高さに、オレはベースとなった『オリジンズ』も掌返しで再評価している。

シリーズ最古の背景となるのはスパルタとアテナイが争うペロポネソス戦争真っ只中のギリシア。
ソクラテス、ヒポクラテス、ペリクレス、ヘロドトス、クレオン、ブラシダスと名の通った歴史著名人には事欠かない。
個人的には『オリジンズ』の古代エジプトよりも遥かにとっつきが良い時代だ。
そしてシリーズも10年以上重ねれば、これら歴史著名人のストーリーへの絡ませ方もより洗練されてくる。
特にアスパシアやアルキビアデス(アテナイきっての厄ネタ男)のそれは、なかなか大胆で印象的であった。

そんな混迷の時代に立ち向かう我らが主人公ときたら、シチュエーションもわきまえず女だろうが男だろうが見境なく手を出しまくるとことんフリーダムなやつ。
まあこれは主人公を制御するオレにも問題があるのだが、後々の時代のエツィオやアルノの大先輩、プレイボーイ系アサシンの系譜の祖と考えれば納得もいくかもしれない。

その主人公が駆けるのは北はマケドニアから南はクレタ島まで、温暖で実り豊かなギリシアの大地と美しいエーゲ海の島々。
メインストーリーを普通に追っているだけでは半分の地が未踏破になってしまうボリュームは前作譲り。
そしてそんな広大な地を巡る歴史観光は、とことんストレスフル。
アサクリの歴史はプレイアビリティ向上の歴史と言ってもいい。

大地を二本の脚で(あるいは馬で)駆け抜けるその道程は、過去作と比較してアクションからマップの造りまでストレスがこれでもかと軽減され、ついにはアサクリを象徴するムーブであるイーグルダイブでさえも形骸化させてしまった。
さらに地味なところではオリーブの木や鉄鉱石など、フィールドでの収集アイテムの視認性の高さも驚かされる。

ボリュームに作り込み、そしてトータルな完成度と、膨大なリソースとマンパワーを惜しみなく注ぎ込んだ大メジャーによる超AAA級の娯楽大作。
アサシン教団のまだいない遥か古代のインタラクティブ史劇は、アサシンの看板に恥じないシリーズの中でも屈指の傑作となったのだった。
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2022/10/25 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
オープンワールドゲームやRPG、大作FPSなんかで、追加のミッションやシナリオをダウンロードコンテンツとして改めて売りさばく商法が普及して、もう長いことになる。
ゲームのダウンロード販売そのものがまだ目新しかった頃には新鮮に思えたこの手口だが、しかしこれが常態化するに連れて、こちらが向ける目もだんだんシビアになってゆく。

この手の追加シナリオって、基本的に本編のキャラクターやマップ、環境などのリソースを、そのまま流用しているだけだから、いくら新キャラクターを加えたり本編と別視線のストーリーを用意したところで、どうしても本編でさんざんやったことや目にしたことを、改めてまたさせられている気持ちが強くなってしまう。しかも追加でカネを投じてだ。

そうした事情の中で本編とは違う価値を与えるには、シナリオを研ぎ澄ますくらいしか方策がなかったのだが、そこにエフェクトをめちゃくちゃかけて、本編とはかなり違う見た目にしてしまう新たな手法を打ち出したのは、UBIのドル箱オープンワールドシリーズ『Far Cry 3』だ。
南国の島で突如キリングマシーンと化した若者が、島を支配するアウトローどもを獲物に人間狩りを繰り広げる。
最新作『Far Cry 6』まで続くフォーマットを確立させた一作である。

その『Far Cry 3』から派生した外伝が本作『Far Cry 3: Blood Dragon』。
舞台となるのは南の島。やることは人間狩りの繰り返し。ロケーションからシステムから本編とは一切違いがない内容であるにも関わらず、独立作品としてのしっかりとした存在感を放っているその肝は、バリバリの80年代風エフェクトがかかったビジュアル。
毒々しいネオンサイケデリアに彩られたその見てくれからは、灼熱の陽の光とコバルトブルーの海に囲まれた本編の面影は微塵もない。

そして変わったのは見てくれだけではない。
そのキャラクターやストーリーも、本編『Far Cry 3』とは世界線も時間軸もまったく異なる設定。
頻発する「サイバー」の単語。そして「ターミネーター」風ルックスの主人公を始めとして、「地獄の黙示録」やら「ランボー」やら、とにかく80年代ハリウッド映画を闇鍋にぶち込んだかが如く処理したテイスト。
ヒロインはブリジット・ニールセン風80'sクールビューティー。ラスボス戦に赴く主人公の特訓は「ロッキー」。さらにご丁寧なことに、それらを描写した幕間はムービーやイベントスクリプトではなく8bit機さながらの一枚絵進行。

80年代風の諸々をごちゃまぜに炒めて中華丼のようにぶっかけた過剰な味付けに、プレイする側もやってることは『Far Cry 3』のそのまんま繰り返しなんて事実をうっかり忘れてしまうほどだ。
そのトゥーマッチなけばけばしさで、スピンアウトなんて出自を置き去りにしてもはや独立作品としての風格すらある『Far Cry 3: Blood Dragon』。
これに味をしめたUBIは、さらにデジタルサイケデリアの出し殻をこってり系ラーメン屋のスープみたいにぶち込んだ関連作を続けて世に放つのだが、それについてはまた次回。
*関連記事
【Far Cry 3 Classic Edition】南の島の傍若無人
【Far Cry Primal】ファークライ プライマル
【Far Cry 4】王国の委譲
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2022/02/09 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
イングランド在方の町、レイニーウッズ。はっきり言ってド田舎だ。
町の中心部には食堂にパブと、イギリス人が生活に必要とする施設が最低限あるだけ。
あとはなんにもない。石垣とだだっ広い平原。そこで呑気に草をはむ羊の群れ。
何より恐ろしいのは、ここは住民全員が知り合い同士。人間関係がぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅっと極限まで凝縮された社会。ぞっとしないことおびただしい。

ひと昔前に田舎暮らしのすすめみたいなメソッドが幅を利かせたことがあったが、そんなもん田舎に住んでる人間にとっては、何を好き好んで煮詰まりすぎた人間関係の中に身を投じようとするのか理解を超えている。
たとえゲームの中であっても田舎暮らしは明るいもんじゃない。『牧場物語』にその数多の派生作品を見ても、待っているのは自発的ブラック労働の日々。いったいどこがスローライフだ!?

そんなクサレ地獄(ガッデムヘルホール)が諸手を挙げて待ち構えているような田舎暮らしに、グッドライフを見出してくださいなんてのは妄言以外の何ものでもないはずだが、それを言い出しているのがあのSWERY氏となると話は違ってくる。
カルト中のカルト『レッドシーズプロファイル』を始め、『D4』や『The MISSING -J.J.マクフィールドと追憶島-』など、受け手を常に困惑させるような怪作を連発しているクリエイターだ。

ニューヨーカーの写真ジャーナリスト、ナオミ・ヘイワードとしてこの田舎町、もとい、ド田舎町を訪れるプレイヤーが程なく直面する問題。
♪犬派で~すか~? 猫派で~すか~ あなたはどっちで~すか~? は、地下アイドル界隈の定番曲の一節だが、それを急に問われることになる。
なんでですか?と聞かれても、ゲームクリアした後でもさっぱり分からねえ!

そんな唐突にな派閥表明。そしてこれまた唐突に発生する殺人事件。斜め上な展開もSWERYゲームでは不承不承ながらも慣れっこだ。
それを適当に受け流しながら、あてがわれた家で目覚め、食堂で朝飯を食い、家庭菜園を手入れして、町や周辺を適当に巡って飯の種になる写真を撮り、夜はパブで一杯。
『レッドシーズプロファイル』でもそうだったが、いつの間にかその架空の土地での暮らしを始めてしまっている。

そう、生活、暮らし。
基本的に日常から逸脱することを旨とするビデオゲームでは、なかなか成立させづらい命題だが、SWERYゲームはいつもそれを斜め上な展開のどさくさに紛れる形でさらりと成り立たせている。
『レッドシーズプロファイル』のグリーンベイルから、さらに田舎度を大幅に増した舞台だが、その生活はグリーンベイルでの暮らしよりもさらにカジュアルで便利だ。
ピーキーな自動車は軽快な羊に取って代わり、空腹も極端に命に関わるものではなくなり、くどかったほどの衒学趣味もちょっぴり控えめになった。

それでも全編を貫く唯一無二のへんちくりんなテイストは健在だ。
斜め上を行ったまま帰ってこない物語。奇抜な登場人物たち。食への異常なまでのこだわり。
事あるごとにこれが『レッドシーズプロファイル』のブラッシュアップされた後継作であることを再確認させてくれる。
スローかどうかは人それぞれだろうが、このゲームには確かにライフがある。
レイニーウッズでのごくありふれた、それでいてちょっと奇妙な田舎暮らしの日常にグッドライフを感じられたのであれば、おめでとう、あなたはこのゲームに選ばれた人間だ。Have a Good Life!
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2021/12/16 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
シャークスプロイテーションなんて言葉があるのかどうかは知らないが、動物パニック映画の始祖となった(それ以前に「ヒッチコックの鳥」や「黒い絨毯」なんてのもあったりはしたが)名作「ジョーズ」からわずか数年後には、「ジョーズ3-D」なんてキワモノに早々と至っていたことから考えると、サメ映画ってのはハナっから柳の下のドジョウによる悪ノリの繰り返しを宿命づけられていたジャンルなのだろう。

とにかく巨大化なんてのは当たり前。頭が2つになるわ、竜巻に乗って飛んでくるわ、ゾンビになるわ、霊体になるわ、タコと一体化するわと、もう思いつく限りやりたい放題の惨状となり、可哀想なことに「オープン・ウォーター」や「ロスト・バケーション」といった比較的マジメな映画までそれに巻き込まれて、いまや一大ジャンルを形成しているサメ映画。
この人食いザメが主人公のアクションアドベンチャーも、そんなブームの流れがなければ生まれてこなかったようなゲームであろう。

もっともサメのアクションアドベンチャーは、映画「ジョーズ」のシネマゲームである『Jaws Unleashed』が既にあり、決して目新しいコンセプトではない。
しかし日本版は未発売に終わり、一部の洋ゲー好事家間の話題だけに留まっていた『Jaws Unleashed』から15年の時が過ぎ、アホみたいに増殖し認知度も広がったサメ映画も相まって、サメゲームがよりマスに広がる土壌はしっかり形成されていた。
その中で満を持して登場してきた人食いザメゲーム、その名もズバリ『Maneater』。さあ、間抜けで鈍くさい人間どもを、食って食って食いまくってやれ!

なんて意気込みもゲームの序盤で早々と壁にぶち当たる。
どんな世界も最初は下積みからコツコツと。サメの場合も決してそれは例外ではなかった。
チュートリアルでバシバシ暴れ回っていた大ザメの狼藉も束の間。本編が始まるとプレイアブルキャラクターとなるのは、その大ザメから生まれた小ザメ。
親の仇であるシャークハンターから逃れて湿地帯に来たはいいが(「なんでサメが淡水で生きられるの?」なんて野暮なツッコミを駆逐したのは、濫造サメ映画の数少ない功績であろう)、まだ身体が小さいうちはサメと言えど食物連鎖ピラミッドのせいぜい中堅がいいところだ。

それどころかアリゲーターあたりにはビクビクしなきゃならない。
ハンドバッグのくせしやがって。オレ、サメなのに畜生!
それでも耐え忍んでナマズやカメを貪り食ったり栄養の溜まり場を見つけたりして身体が大きくなれば、食物連鎖ピラミッドもいっきに駆け上がってゆく。
同じ肉食魚相手に芋を引くこともない。パイクやバラクーダなんて雑魚は言うに及ばない。
アオザメなんてその名の通り青い奴らだし、シュモクザメなんかは見掛け倒しもいいとこだ。
そして「ジョーズ」の主人公でもあったホオジロザメ。メガシャークに進化しちまえばこいつらだって何てことはない。

唯一厄介なのは終盤以降に登場するシャチだが、考えてみればこいつらは「ジョーズ」の柳の下を狙ってSPACロマンを標榜してきた旧敵だ。面子にかけて負けられねえ!
それでもやはり一番の敵となるのは人間。一人ひとりは海に引きずり込んでしまえば単なるエサだが、やけに射程の長い銛や銃器、さらにはダイナマイトなんかで武装して、それより何より漁師やらサメハンターやら沿岸警備隊やらと、とにかくしつこく後から後から湧いてきやがる。
まあ面倒くさい相手だからこそ、船を叩き壊して虚しく海中で足掻いてるときの食べ甲斐が一層増すもんだが。

今どきのネイチャー系ドキュメンタリー番組の体裁を借りたストーリ進行もゲームのコンセプトに収まりがよく、「ジョーズ」のクイント船長を想起させるシャークハンター、スケイリー・ピートとの二重の復讐譚も、これまた程よいアクセントになっている。
賛否が分かれるのはオープンワールドシステムのゲームとしてはかなりタイトなボリュームだが、良くも悪くも人食いザメのコンセプト一発勝負の作品なだけに、この短さでさっさと切り上げたのはベストの選択ではないだろうか。
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