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- 【Assassin's Creed Odyssey】アサシンクリード オデッセイ [2022/10/25]
- 【Assassin's Creed Origins】歴史観光ディスカバリーツアー [2020/05/03]
- 【Assassin's Creed Origins】偉大なる始祖 [2020/05/01]
- 【Assassin's Creed Origins】クソ真面目なシリーズ転換作 [2019/08/27]
- 【Assassin's Creed Rogue Remastered】アサシンクリード ローグ リマスター [2018/09/27]
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前作『アサシンクリード オリジンズ』は紀元前50年頃を舞台とした、アサシン教団の始まりを描いた作品。
そして『アサシンクリード オデッセイ』の舞台となるのは、そこからさらに歴史を遡った紀元前430年。
当然アサシン教団なんて影も形もない頃だが、この星と"かつて来たりし者"たちの関わりは、ここから遥か古代にまで遡るのだ。
今後のシリーズがここからさらに時代を逆行しても何らおかしくはない。そのうち「アサシンクリード ストーンエイジ」とかマジで出そうである。アサクリ、洞窟とかふらふらさせるのが好きだし。

メジャーカンパニーのAAA級タイトルすら淘汰され厳選されてゆく昨今において、アサシンクリードはもっともメジャーの資本とマンパワーの凄みを教えてくれるシリーズだ。
そのボリュームや作り込みはシリーズを重ねるごとに、どんどん大きくなるばかり。
『オリジンズ』はその膨れ上がる一方な各要素を収めるために、オープンワールドのアクションアドベンチャーからオープンワールドのアクションRPGへと、システム的に大きな転換を図った分岐点的作品であった。

だけどプレイヤーってのは保守的なもんで、オレなんかはその転換によって生じたシリーズ過去作とのゲームテンポの違いに、慣れ親しんだ形との齟齬から戸惑いを大きく感じてしまっていた。
だが一作を経ればさすがにその変革も咀嚼できる。
そして『オデッセイ』は『オリジンズ』で試みられた新たなスタイルを、より一層研ぎ澄ませた。
シリーズ最高峰と言っても過言ではないその完成度の高さに、オレはベースとなった『オリジンズ』も掌返しで再評価している。

シリーズ最古の背景となるのはスパルタとアテナイが争うペロポネソス戦争真っ只中のギリシア。
ソクラテス、ヒポクラテス、ペリクレス、ヘロドトス、クレオン、ブラシダスと名の通った歴史著名人には事欠かない。
個人的には『オリジンズ』の古代エジプトよりも遥かにとっつきが良い時代だ。
そしてシリーズも10年以上重ねれば、これら歴史著名人のストーリーへの絡ませ方もより洗練されてくる。
特にアスパシアやアルキビアデス(アテナイきっての厄ネタ男)のそれは、なかなか大胆で印象的であった。

そんな混迷の時代に立ち向かう我らが主人公ときたら、シチュエーションもわきまえず女だろうが男だろうが見境なく手を出しまくるとことんフリーダムなやつ。
まあこれは主人公を制御するオレにも問題があるのだが、後々の時代のエツィオやアルノの大先輩、プレイボーイ系アサシンの系譜の祖と考えれば納得もいくかもしれない。

その主人公が駆けるのは北はマケドニアから南はクレタ島まで、温暖で実り豊かなギリシアの大地と美しいエーゲ海の島々。
メインストーリーを普通に追っているだけでは半分の地が未踏破になってしまうボリュームは前作譲り。
そしてそんな広大な地を巡る歴史観光は、とことんストレスフル。
アサクリの歴史はプレイアビリティ向上の歴史と言ってもいい。

大地を二本の脚で(あるいは馬で)駆け抜けるその道程は、過去作と比較してアクションからマップの造りまでストレスがこれでもかと軽減され、ついにはアサクリを象徴するムーブであるイーグルダイブでさえも形骸化させてしまった。
さらに地味なところではオリーブの木や鉄鉱石など、フィールドでの収集アイテムの視認性の高さも驚かされる。

ボリュームに作り込み、そしてトータルな完成度と、膨大なリソースとマンパワーを惜しみなく注ぎ込んだ大メジャーによる超AAA級の娯楽大作。
アサシン教団のまだいない遥か古代のインタラクティブ史劇は、アサシンの看板に恥じないシリーズの中でも屈指の傑作となったのだった。
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2022/10/25 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
『アサシンクリード オリジンズ』を遊んでいて、プレイフィールの大幅な変化の他にもうひとつ違和感を覚えたのは、歴史うんちくガイドがメインストーリーから一切姿を消していたことだ。
歴史上の人物に出会ったり歴史的な建造物を訪れるたびにビューボタンから展開していた、あのちょっと斜に構えたトリビアの数々。
ガイド役を主に務めていた現代アサシン教団員連中の衒学的でうんざりする語り口に、かっ飛ばして進行させていた人も多いかもしれないが、しかしなんだかんだ言いながらアサシンクリードシリーズの歴史エンタメ的なスタンスを補完する重要なエッセンスだ。

しかし『オリジンズ』には、それは影も形もない。
ギザのピラミッドを、スフィンクスを訪れたとき、いつもなら当たり前のように付いてきた豆知識の数々が今回はまったく流れてこない。
いや、大ピラミッドやスフィンクスのような著名な存在ならば、こっちでも個人的になんとか補完のしようがある。
だがそこまでメジャーじゃない事柄となるとそうはいかない。メインストーリーの中でオレのバエクが古代都市メンフィスを訪れても、「え、メンフィスってエルビス・プレスリーの出身地じゃないんですか!?」とおろおろするばかりだ。

だけど慌てる必要はない。今回のアカデミックな歴史ネタコーナーはメインストーリーの外にあった。
ゲーム本体の発売から数ヶ月後に無料アップデートによって新たに付け加えられたディスカバリーツアーモードは、シリーズ旧来のエクストラ的なものに取って代わる新しい歴史ガイドだ。
このディスカバリーツアーの肝は、メインモードとまったく同じ広大なマップを同様に徒歩や乗り物、ファストトラベルを駆使して自在に巡れるところにある。
ストーリー的なものは勿論のこと、余計な戦闘に煩わされることもない。警備兵も盗賊もあの鬱陶しいワニやカバも、すべてこちらをスルーしてくれる。

攻撃的なアクションを除いては、こちらの行動にも一切制約はない。
市場を踏み荒らそうが神聖な寺院の壁をよじ登ろうがピラミッドの内部を荒らそうがお構いなし。とことん傍若無人な観光客気分で緻密に再現された古代エジプトを自由に旅ができるのだ。
そして各地に点在するのはツアーガイド。ピラミッドや石切場、ローマ軍の砦など歴史観光ポイントで、古代エジプトの文化や日常、歴史や建物の成り立ちなどの解説を聴くことができる。
このガイドも過去作のような厭味ったらしい衒学的なものではなく、非常にオーソドックスなスタイルだ。

そんなガイドを耳に留めながらの古代エジプトのセカンドジャーニーは、予備知識もろくに無いままストーリーとサブクエストに追われていたメインモードのそれよりも楽しく豊穣なものだったりする。
このディスカバリーモードで選択できるキャラクターは多岐に渡るが、オススメしたいのはレイラやウィリアム・マイルズといった現代編のキャラクター。
彼らが生活感たっぷりに動いている古代エジプト民のモブたちに紛れ込んでいる景色は、時代を超えてきた歴史観光客の気分を一層増幅してくれるのだ。
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2020/05/03 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
初代というのはそれだけで偉大なものである。
会社の創業者に芸事の本家本元、幕府の将軍に宗教の開祖、そして歴代タイガーマスク。もうあらゆる分野に言える当たり前の話だが、初代の存在なくしては何ごとも始まらない。
守成の二代目に中興の祖など、跡継ぎたちの中にも劣らぬ功績を残した者たちもいるだろうが、やはりそれらはすべて初代の業績があってのことだ。

ましてやアサシン教団は2000年以上の歴史を持つ、由緒なんてレベルをはるかに超えている団体だ。
それを興した人間ともなれば、もうイエス並みに神格化されても当然の存在である。
このオレも教団に10年以上に渡って籍を置く身だ(途中なんかテンプル騎士団にいたこともあったような覚えもあるが……)。
その偉大なる初代が「指をさすだけで山を崩した」とか「台風に向かって大喝すると進路が変わった」なんてふかしと共に語られたとしても、それを話半分としても受け入れていたかもしれない。

アサシンクリードシリーズ本編の通算10作目『アサシンクリード オリジンズ』は、その偉大なる教団の創始者を描いたゲーム。
映画に例えるなら「人間革命」とか「日蓮と蒙古大襲来」みたいなスタンスの作品だ。
……なんか例えが異様に偏っているような気もするが、パッと思いついたのがここらへんだっただけで、深い意図はまったくない。
しかし伝承ならば高潔で完全な人物と語り伝えればいいが、実際に忌憚なく語られちゃう主人公シワのバエク、あんまり崇め奉りたいタイプでもないのが困ったところである。

ファラオの守護戦士の末裔バエク。頑固で保守的、短気で口より先に手が出るタイプ、教条主義者のくせして好色。正直あんまり親しくなりたいタイプではない。
まあアサクリ歴代の主人公は、どれもこれも友だちにするには難のある連中ばかりで(例外はケンウェイ父くらいのもんか)、それが隠れしアサシンたる所以なんだろうけど、創始者がこれであるならば納得できる話だ。
そんな面倒くさい親父を操作して縦横無尽に走るのは紀元前プトレマイオス朝のエジプト。
一口にプトレマイオス朝と言ってもその時代は何百年にも渡るが、舞台となるはクレオパトラやらカエサルが出てくる一番わかり易い末期。

アサシンクリードのシリーズメインタイトルは、どれも膨大なマンパワーとリソースを割いて生み出されているが、『オリジンズ』はその中でも"ビッグバジェットの超力作"の称号がもっとも相応しい作品だ。
その膨大なエネルギーによって作り上げられた古代エジプトワールドの広大さ、そして広さをものともしない密度はハンパではない。
アサクリシリーズの本領がスケールの大きな歴史ジャーニーにあるのならば、『オリジンズ』はその集大成といえる完成度かもしれない。

そのスケールに合わせるために『オリジンズ』は従来シリーズ作の箱庭ステルスアクションから、もっと束縛度の緩いアクションRPG的なスタイルに大きく舵を切った。
しかしその方向転換が100%成功しているとは言い難い。オレはこのゲームをプレイしている間、ずっとなんとも間延びした居心地の悪さを感じていたのだけど、その理由はこの世界が決して広すぎるだけではない。
テンポが悪く緩慢に展開するメインストーリー(教団と騎士団の対立構図で物語を牽引できない様は、なんとももどかしさを感じさせる)、そしてフックに欠けて代わり映えのしないサイドミッション。この広大な地を右に左に渡り歩かせる導線の貧弱さは『オリジンズ』の大きなウィークポイントだろう。

もちろんこの有り余る情熱と研究と精査と学識によって作り上げられた、古代エジプトの広大な"生きたジオラマ"は、もうそれだけで手放しに絶賛したい。
だけど実際にシワのバエクとしてこの世界を動き回っているときには、「また同じようなミッションかよ!」とか「ワニ多すぎ! 100日経つ前に殺す!」とか、歴史ジャーニーの感動より先にそんな些末的な感想ばかりが先に立っていたのもまた事実だ。
始祖を描いた作品として、そしてシリーズの方向転換の始まりとして、二重の意味でオリジンとなったアサシンクリード古代エジプト編。
思えば意欲はめちゃくちゃ買うんだけどもどかしい部分も多かった感想は、初代『アサシンクリード』のそれと非常に似通ったものがあるんだよな。オリジンズ、確かに偽りのないタイトルだ。
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2020/05/01 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
8月をまったく更新することなく終わってしまいそうなので生存報告を兼ねてとりあえず。
ただでさえ暑さには弱い上に、お盆前後には仕事がめちゃくちゃ忙しくなり、体力が落ちて色々と患う散々な状況で、もうゲームどころではなかったんですけど、罹患するしないに関わらず去年も酷暑の時期にはブログの更新パタリと止まってましたね。ウケる。

それでも一応ゲームは細々とプレイしてまして、まぁいまやっているのは『Assassin's Creed Origins』なんですけど、これが一向にエンジンの回転数が上がらないままだらだらと続けているような具合で、その原因がオレ個人のゲームに対するモチベーションが上がってないのか、あるいは『Assassin's Creed Origins』自体に原因があるのか、自分でもよくわかんないんすけど。
ただまあプレイした人ならおわかりでしょうけど、この作品、過去のアサシンクリードシリーズからかなり舵を切っていまして、そのプレイフィールはシリーズ過去作よりも、なんだろ、そう、『レッド・デッド・リデンプション』とか近年の『GTA』シリーズに近い感じがするんですよ。
ストーリーを牽引するうねりみたいなモノは淡白にして、その分プレイヤーのペースでその世界に身を置いて息づく感覚を重視しているというか。

だけど世界への没入感に比重を置くには、やっぱりアムニスじゃないですけれど、プレイヤーとキャラクターの同期性ってのが重要になってくるわけで、その点『レッド・デッド・リデンプション』や『GTA』ってのは比較的それが掴み易いんですよね。
開拓時代の西部の男や現代社会の犯罪者の生活感とかアティチュードとか、なんとなく理解できるし、それによってプレイヤー自身の立ちふるまいも構築できるし。
だけど紀元前エジプト人のそれなんかは、もうさっぱりわかんないよ。価値観も風習もなに食ってたのかさえ知らないし。それでいきなり古代神の名前出されてもわかんねえし。畏れようも崇めようもねえって。

それでもシリーズ過去作にはアサシンとテンプル騎士団の対立構造という、ゲームを強引に引っ張るフックがあったから、こっちもいざとなれば「とりあえずてんぷらの奴ら、みんなぶっ殺す!」なんて単純なモチベーションで強引にアクセルを踏めたけど、この『オリジンズ』の場合はその対立構造が確定する前のお話だから困ったもので。
あとはカテリーナ・スフォルツァのパン見せエピソードに立ち会ったりとか、マルクスのために聴衆集めたりとか、そんな歴史をネタにいじったり遊んだりする側面も薄くなっているようで。
今までのアサクリのノリならば、たとえばスフィンクスの鼻を削ったのはプレイヤーだったとか、そんなこと平気でやってそうでしょ。
そういう歴史遊び、衒学趣味も今作では妙に生真面目になっちゃってるような印象があるんだよなあ。

なんか構成もなんもなくだらだらと書き並べてしまったけど、なんだろ、涼しくなってちゃんと更新するようになるときの作文リハビリというか、リハビリなってねえな。
まあとにかくみんな体だけはホント気をつけましょう、いつまでもムリは利かないよってのが、いま一番伝えたいことですね。ゲームやるのも体力は必要だよね。
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2019/08/27 | Comment (2) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |
この世で面倒くさい人間の東の横綱が左翼から右翼に転向したやつ。そして西の横綱が右翼から左翼に転向したやつ。
こうした人たちは、かつての自分に対する近親憎悪もあってか、元いたクラスタに対して必要以上に攻撃的になりがちだ。
そういった部分を買われて転向先ではチヤホヤされたりするもんだから、面倒くさい資質にもさらに磨きがかかったりするのが、また困りもんで、えーと、もう通算何作目になるんだかもよく分からなくなってきたけど、時代的には『アサシン クリードIV ブラックフラッグ』と『アサシン クリードⅢ』の間に位置する『アサシン クリード ローグ』。
その主人公シェイ・パトリック・コーマックは、まさにそんな厄介極まりない転向者。

「えー、ジョージ・モンローさんの手引きで、今度テンプル騎士団に入ることになったシェイといいます。ども、よろしく。
以前はアサシン教団に所属していたんで、皆さんの中には快く思わない方たちもいるかもしれませんが、諸々の疑念は今後の活動ぶりで証明します。
確かに以前はアサシンにいたんすけど、えー、エデンのかけらとか、あとはネットの情報とかで真実に目覚めまして、これからは秩序と友愛の理念のために活動していこうと決意しました。
まずは行動だと思うので、アサシン狩りとか、この世界を脅かす真実を世に知らしめるとか、それから懲戒請求とかいろいろ頑張っていきたいと思います。
まず最初はですね、アサシンの連中は皆さんのことを"天ぷら"などと呼んで貶めていますから、それに対抗するような侮蔑語、例えば"バカシン"とか"パカシン"なんてのを広めるのがいいんじゃないでしょうか。
いや、こういうの案外重要です。大丈夫、ニコニコとか協力してくれるはずです」

その本来なら一大決心たる転向に至る経緯を、「先駆者の遺物を手にとったら、唐突にドリフのセット崩壊みたいな大地震が起きちゃった、どうしよう!」なんて、およそ雑な展開で処理してるもんだから、それまた困りもの。
アルタイルの昔からアサシン教団の教義にどっぷり漬かってしまっているこちらが、そんなアバウトな理由で急にテンプル騎士団の側に感情移入できるわけもなし。

またエツィオやアルノ、ジェイコブなど、陽気なプレイボーイが多かった歴代の主人公に対して、このシェイ・コーマック、険のある暗い顔立ちになにかと根に持つ性格ときているから、過去シリーズですっかりアサシン脳に染まったこちらとしては、「そうだよな、クラスで陰キャラだったようなやつが、テンプル騎士団に行ったりするんだよな」などと、歪んだ納得に至ってしまうのであった。
おいおいおい、陰キャラの恨み節に付きあわされるのかよ、勘弁してよ。
そんなこっちの心情もお構いなしに、かつての仲間であるアサシンを次々と屠るシェイ。
あのなぁ、お前が殺して回ってるその人たち、気分的にはまだオレの仲間なんだけどな。

付き合いづらい恨み節たるキャンペーンモードが、「え、ここで終わり!?」の声が思わず出てしまうくらいタイトなボリュームで終了してしまうのは、ありがたいことなのか、それとも「おい、正編のフルパッケージでこれか!」とアブスターゴとテンプル騎士団に文句をぶつけるべきとこなのか。
時代背景も魅力に乏しい上に、舞台がぶつ切り状態で、シリーズの売りたる歴史観光的な要素も希薄。
まあそれもこれもリソース使い回しの裏事情や、新世代機か既に登場していたにもかかわらず旧世代機のみでのリリース(ちなみに前作の『ブラックフラッグ』は新旧両世代機マルチでの発売。Xbox OneとPS4に対応したこの『リマスター』版は、2018年になってようやくのお目見え)など、その微妙極まりない立場からも、シリーズの鬼っ子ぶりがひしひしと伝わってくる。
そしてその鬼っ子ぶりも、シェイ・コーマックの転向者って厄介なポジションでもって、なんとなく納得させられてしまうのであった。
この記事に含まれるtag : オープンワールド アサシンクリード
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2018/09/27 | Comment (0) | Trackback (0) | ホーム | ↑ ページ先頭へ ↑ |